こんにちは。札幌と筑波で蓄電池材料研究を行う北大工学系大学院生のかめ (M2)です。
中一最後の英語テストで学年270人中260位という衝撃的な成績をとったのですが、その後色々あって、高1最初のテストで学年1位を獲得しました。
この記事では、私が英語の成績を爆上げした一連の過程について記していきます。
- 英語の成績を何とかしたい人
- 英語の点数を上げるヒントが欲しい人
こうした方々にピッタリな内容なので、興味のある方はぜひ最後までご覧頂きたいと思っています。

それでは早速始めましょう!
中1:そもそも勉強事態に全く興味が持てなかった


私は小4の頃から中学受験用の塾に通い、3年間の勉強を経て中高一貫校の中学生になりました。
物心がつく前からたくさん勉強していたわけですが、私はなにも、勉強したくて中学に入った訳ではなかったのです。
当時の中学を選んだ理由は自由な校風がウリだったからです。
”何事にも縛られずのびのびと行き来するその学校の生徒になりたい”と思い、(勉強するの嫌だなぁ…)と思いながらもグッとこらえて中学受験に挑んだのです。
こうした動機で入った学校で、真面目に勉強できるはずがありません。
中学合格のご褒美に買ってもらったゲーム機が私の相棒となってくれ、起きている間はほとんどゲームをして過ごしている有様でした。
ココだけの話、ゲーム中毒が悪化して、一時期学校でもこそっと隠れてゲームをやっていた経験があります。
昼休憩になると個室トイレへとダッシュして、それからチャイムが鳴る寸前まで狩り(モンハン)に出かけたものでした。
試しに一か月ほど勉強時間を計測してみた所、中一時代の私は一日平均14分しか勉強に費やしていませんでした笑
申し訳程度に教科書をパラパラめくり、授業の復習を済ませて14分が過ぎていた形です。
成績の低さは言わずもがな。中一最初のテストから総合成績は180位/270人でした。
そもそも勉強に興味が持てなかったので成績が悪いのを何とも思っていなかったし、授業進が進むにつれて成績が190位→210位と低下していっても(ふ~ん、で?)としか感じなかったほどでした。
中一最後のテストでは、総合順位220位と衝撃的な成績でした。
特に英語は260位(下から11番目…!)でした。ここまでくると流石に親も看過できなかったらしく、成績表が家に送られてきた日の晩、父親から呼び出されて思いっきり説教されました。
中1から中2になる春休み:父親とマンツーマンで英語レッスン


ウチの中学には成績下位の人間だけを集めた勉強合宿、通称『セミナー合宿』が長期休暇に設けられておりました。
(もしかしたら呼ばれちゃうかも)と危惧していたものの、結局そこに呼ばれず、”このままじゃ私の将来がまずい事になる…”と危惧した親が家で『疑似セミナー合宿』をしてくれました。
私は全教科が苦手科目だったのですが、その中でも英語が圧倒的な不得意科目でした。
英語は積み重ねの科目のため、低学年で躓くとその後の学習が進まなくなります。そこで両親との対話により、まずは英語の苦手克服に着手しました。
勉強を始めるにあたり、父は「コレなんて読むか分かるか?」と言って、一つの単語をノートに書いてくれました。
eye
コレをパッと見た瞬間、(アンタは自分をバカにしてるのか?)と非常に腹立たしく感じてしまいました。
こんなの誰だって読めますよ。ふざけるなって思いました。
とはいえeyeの読みを答えなければ先に進めなかったので、



分かったよ、コレは「いうい」や
と答えました。
私が「いうい」と言った途端、両親は揃って大笑いし始めました。
私は親の笑っている訳が分からず、



何で笑っとるんや…
分かった、「いぅい」か?
と付け足しました。
すると、父親が腹を抱えて輪をかけて笑い出しました。
父は涙を流しながら「アホか、”アイ”やろ笑!」と私を叱り、”自分が如何にアホだったか”と一人真面目な顔で反省させられたのでありました。
完全にプライドをへし折られた私はしぶしぶ父の指導に従いました。
まずは中学の教科書を父の前で音読し、発音記号の読み方から逐一矯正されました。
次に英文和訳する事を求められ、その次は父が買ってきてくれたくもんの中学英文法の参考書を使い、ゼロから英語を頭に叩き込みました。
この3段階を経て中1の期末試験を解き直してみると、解けない問題が何一つなく、全問スラスラと解けてしまいました。
(今までどうしてこんな簡単な問題を間違えていたのだろう…?)と絶望すると共に、(ちゃんと勉強すればできるようになるじゃん^^!)と自信をつけられた春休みでした。
中2:とりあえずテキストの英文を全部覚えた→学年順位20位前後


苦手を克服してから中2に入ると、授業が少しだけ楽しくなっておりました。
相変わらず頭の中はゲーム一色ではあったものの、少なくとも勉強嫌いではなくなっていたから、家でも少し勉強するようになっていました。
一日の勉強時間は14分→60分/dayと格段に伸びたし、ある時、英語の授業で先生から発音を褒められて嬉しくなっちゃって、(もっと褒められたい)と思って家で熱心に音読するようになりました。
毎日喉が枯れるまでCDの音声を真似て音読特訓を積んだ結果、いつの間にかテキストの英文を全部暗唱できるようになっていました。
我が学校の定期テストはテキストをベースに作成されるため、テキストを丸暗記していればほぼ全ての問題の答えが分かるのです。
他の学生は授業で習った英文法に基づいて解を導き出していたようなのですが、私はテキストの該当箇所を思い出す事によって点数を稼ぎ出しておりました。
中2最初の定期テストでは、英語で260位→110位と大幅なジャンプアップに成功しました。
その次のテストでは50位、その次は30位、そして中2最後のテストではなんと20番台にまでのし上がりました。
何かひと科目でも成績が上がると、それにつられて他の科目まで成績が上がります。
私の場合、英語と同じく苦手だった数学は、200位から30位と英語に負けないぐらい爆伸びしました。
中3
前期:単語帳と構文集を丸暗記→学年順位10位前後
完全に英語が好きになった私は、英語の勉強に没頭していくことになりました。
学校で配布された単語帳と構文集を家で全文暗記し、学校では隣の席のヤツの前で試験の全範囲を暗唱してみせました。
やればやるほど英語の成績が伸びて楽しくなっていきましたし、隅から隅まで暗記したテキストを前にすると何か征服した感じがして達成感がありました。
また、ただの丸暗記ではなく英文法に基づいてテストに解答できるようになり、中2で頻発していた記憶間違いによる凡ミスもほとんど姿を見せなくなっておりました。
英語の学年順位は10位前後。中1の頃には考えられない成績だった。
しかし、どう頑張っても満点は取れず、中3前期は(どうやったら満点をとれるのだろうか?)と考え込む毎日でした。
後期:サムに勝つべく京大対策を開始した
私はどーしても満点を取りたかった。
というのも、私の学年には英語ペラペラの帰国子女が一人いて、そいつにどうしても勝ちたかったのです。
ではどうして勝ちたかったかというと、何となく帰国子女の彼がムカついたからですね。
彼のニックネームはサムといい、私を含む他の学生をどことなく見下している感じがしたので、一度サムの鼻をへし折りぎゃふんと言わせたかったのです。
ただ、サムはすでに英検準一級を保有しているほどの英語力の持ち主だったから、まともに立ち向かっても負けてしまうのは容易に想像がつけられました。
加えてサムは”がたい”も良かったため、腕力でも英語力でも勝てない私は奇策に打って出る決心を固めました。
中3の後期に入ったあたりから(京都大学へ行きたい)と思うようになりました。
京大に受かるには少しでも早く対策を開始した方がいいので、他の科目に先駆けて英語だけ京大対策を始める事に決めました。
学校のテストの点を上げるためには学校の教材に取り組むべき。しかし、いくら正攻法でサムに挑んでも全く勝ち筋が見えなませんでした。
そこで、京大レベルの問題に取り組み思考力を高め、サムに対抗できるレベルに達しようと考えたのです。
書店で京大の過去問を開いてみると、何やら難しそうな長文を和訳させられる形式でした。
他にも和文英訳問題が設けられていたものの、(英作文は高3でやればいいや)と思い、一旦スルーする決断を下しました。
英文和訳問題の対策として、英文読解の透視図という頭がおかしくなるほど難しい参考書を最初から最後まで和訳しました。
途中で投げ出したくなった時は「打倒・サム」を合言葉に歯を食いしばって耐え、語彙力を高めるためシステム英単語という新しい参考書まで買いせっせと覚えていきました。
高1:ついに学年1位


こうして迎えた高1のテスト。
他の教科はそっちのけで英語だけに懸けており、脳も英語の試験当日に向け1週間前からピーキングしていきました。
その結果、英語で初めて満点を取り、学年1位を獲得しました。
サムはどこかでミスして96点だったらしく、学年1位は私”だけ”という気持ち良すぎる結果でした。
ウチの学校では高1から定期テストの成績が廊下に張り出されるため、他の成績上位者の成績も一目瞭然という訳であります。
英語で学年主席になった時、嬉しくてニヤニヤが止まらず、定期試験の成績表が家に送られてきた日には一日中笑っておりました。
なお、他の科目の成績もよく、特に数学は学年2位でした。
全12科目の総合成績は280人中7位であり、高1の一年間は4回の定期試験全てで総合順位がトップ10入りしていました。
最後に
私がどん底から学年主席まで成り上がったサクセスストーリーはこれにて完結でございます。
中1の成績をご覧の通り、私は頭の悪い人間です。
しかし、親による指導や懸命な努力により、ついに帰国子女を凌駕するまでに成績を高められました。
努力が報われるとは限りません。
しかし、報われたいなら努力するしかありませんので、この記事をお読みの学生さんには「自分の可能性を否定せず、粘り強く戦い抜いて下さい」というエールを喉が枯れんばかりに送りたいです。
以上です。




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