博士転職活動記vol.1|博士一年3月 まだ誤差の範囲

  1. 博士一年・3月 まだ誤差の範囲
  2. 博士二年・6月 賽は投げられた
  3. 博士二年・2月 天は人の上に年収を作る
  4. 会社員一年目・4月 悪い予感は、たいてい当たる
  5. 会社員一年目・6月 パワー・ポッター
  6. 会社員一年目・7月 失われた研究生活を求めて
  7. 会社員一年目・10月 活字をくれと、叫ぶ秋
  8. 会社員一年目・12月 もうあと一年、踏ん張ろう
  9. 会社員二年目・5月 惨めで、苦しくて、仕方がない
  10. 会社員二年目・5月 このさき二年は繁忙期
  11. 会社員二年目・6月 初夏にして希望は潰え
  12. 会社員二年目・6月 会社員二面相
  13. 会社員二年目・7月 スーツで乗った新幹線
  14. 会社員二年目・7月 頭が行くと、身体が止める
  15. 会社員二年目・7月 お時間、よろしいでしょうか?
  16. 会社員二年目・7月 去り際の芝は蒼い
  17. 会社員二年目・8月 最後の広島

学部四年次に研究室配属され、実験に取り組み始めた直後、将来は研究者になると決めた。自らの手で新たな知見を生み出す営みに快感を覚えたのだ。自分が得た知見はまだ世界の誰も知らないし、私が第一発見者である。もっと色々なことを知りたい。起きている間はずっと知的探求していたい。研究者になれば私の希望が叶うのだから「研究者になるしかないじゃないか」と進路が固まった。

研究者になるには博士号がいる。博士号など無くても研究者にはなれるけれども、大半の研究者は博士号を持っており、事実上必須の学位。博士号を得るには、博士課程で所定の審査を突破する必要があり、博士号を得るべく博士課程に進んだ。

研究室では電池材料の基礎研究をしていた。二次電池内部における界面反応を光学的に可視化しつつ、様々な角度から化学メカニズムを検討していた。

それまで実験一辺倒だったから、理論的なバックボーンは皆無。今後研究者として飛躍するにあたって、理論的な武器を持っておきたかった。それに今の時代、研究者は国際的な活動が求められるし、学生のうちから海外とのコネクションを作っておきたかった。

そこで、指導教員にお願いして、指導教員の指導教員に留学先を斡旋していただいた。行き先はイギリスのオックスフォード大学で、半年留学することになった。訪問先で研究理論を吸収しつつ、訪問先ラボで研究仲間を作ろうと心積もりしていた。

・・・・・・・

イギリス留学は、渡航費に30万円以上かかった。現地民の家へホームステイさせてもらうことになり、賃料でひと月12万円払った。オックスフォード大学には客員研究員として留学したのだが、大学への在籍料として半年で80万円払った。そのほかにも食費や諸々の雑費があり、合わせて250万円以上の出費となった。

留学費用は、全額自腹。学部時代から貯めてきた貯金と、博士課程で国から貰っている研究費で賄った。どうせ250万円払うなら、250万円以上の収穫を得たい。いっぱい学んで、いっぱい仲間を作り、「いい時間だったな^ ^」と笑って帰りたい。イギリスを大好きになって帰国したい。

私の希望は叶わなかった。訪問先ラボには人間がおらず、ラボは装置がほぼ全て壊れていて使いものにならなかった。おまけに、私を受け入れてくださった研究者の方ともアポを取れず、ラボでひとりうなだれていた。

幸いホームステイ先には恵まれていた。家には可愛い犬がいて、毎日虚しくて泣きそうになりながら帰ってくる私にじゃれついてきて、とにかく癒された。あと、ホストの娘さんがめちゃくちゃ美人で、あやうく好きになりかけるところだった。彼女と話すため懸命に英語の勉強をし、言っていることを聴きとるためリスニングも頑張った。おかげで少し英語が得意になった。

とはいえ、本来の目的だった研究は何ら進められなかった。進むどころか、頭を使っていないぶん、能力は退化しただろう。わざわざオックスフォードまで行っておいて、犬やお姉さんと遊んでばかりいていいのだろうかと思った。学位審査会は刻一刻と迫る。イギリスで遊んでいる暇があるなら、日本に戻って専門書を読みふける方がいいのではないか。

結局、半年間の留学予定を3ヶ月半で切り上げて帰ってきた。イギリスで、何も成し遂げられなかった。250万円も使って、何もできなかった。なんて中途半端な人間なのだろうかと情けなくなった。どうしてこんなに無力なのだろうかと悲しくなった。留学に失敗したことで研究者への道が閉ざされたように感じ、進路を企業就職へと切り替えた。

・・・・・・・

傷心状態で進路を考えたとき、まず真っ先に「地元に帰りたい」と思った。高校生まで過ごした広島に戻って心機一転やり直したかった。

中学時代まで両親からDVを受けてきて、実家に対して良い思い出はないが、広島という街は好きである。街には熱気があり、海も山もあり、隅から隅まで勝手を知っている。あそこに戻ればもう一度前に進めそうな気がした。というより、広島でなければもうどうにもならない気がした。何かにすがりつかなければ立っていられないほど弱りきっていた。

これまで学部から博士まで電池の研究をしてきて、多少なりとも専門性を培ってきた。企業では、これまで育ててきた知見を活かせる仕事に就きたい。広島で電池研究関連の仕事はないだろうか。大好きな街で大好きな電池を探求できる仕事はないだろうか。まぁ、そんなに都合よくは見つからないよなぁ…

あった。たったひとつ見つかった。
何か運命のようなものを感じ、履歴書と研究概要を作ってメールで送った。あとで見返したら誤字だらけだった。留学中に日本語を使っていなかったせいか、日本語が構文レベルで破綻していた。せめてChatGPTで校正してから送ればよかった。こんなものでよく選考通過させてくれたな。

SPIの対策に打ち込んでいたところ、いきなりTeams最終面接に呼ばれた。何が何だかよく分からぬうちに面接が始まり、気付いたら終わっていて、気付けば内定をいただいていた。

本来なら喜ぶべきだろう。次の居場所が見つかったのだから、手放しで「ありがとうございます」と言いたいところである。留学先で希望を打ち砕かれ、疑心暗鬼になっていた私は、そう素直に事実を受け止められなかった。何か裏があるのでは、と勘ぐった。一度現場を見ておきたく、人事担当者に職場見学を希望し、オフィスや実験室を見せていただいた。

企業のR&D現場を見に行くのは初めてだった。オフィスの皆さんはキビキビ動いていて、背中からシゴデキオーラが漂っている。生産ラインも迫力があり、製品がすごいスピードで組み立てられていくのを目の当たりにし、ため息が漏れた。最後に電池実験室を見せていただいた。休止中だったのか、稼働中の恒温槽は少なく、担当者の方が「仕方がないね」と宥めてくれた。

職場環境は全体的に納得のできるものだった。ここでならどうにか再起を果たせる気がする。

それでも、何かが引っ掛かる。ここで素直に内定受諾したら、地獄を見そうな予感がする。何が私にそう思わせるのか、考えてみたものの、正体を掴めなかった。当時の私には深く考える余裕がなかったし、次の居場所が見つかった喜びの方が大きく、口頭で内定承諾して工場を後にした。

これが、間違いの始まりだった。

~次作~
Coming soon…

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