貧しさは、行動の自由を奪う
この世界で暮らしていくにはお金がかかる。衣食住は言うまでもなく、旅行に行くにも趣味を楽しむにも、何をするにしてもお金が要る。
お金があれば選択肢は広がるし、厄介なトラブルの幾ばくかもお金の力で片付けられる。お金がないと、お金があればできたはずのことがことごとくできなくなる。工夫次第でどうにかなる部分もあるが、工夫するにも限界がある。友人に温泉へ誘われても行けないし、飲み会の二次会にだって行けない。出会いの場には、まともな服がないから行きようがない。
お金がないと、行動の選択肢を根こそぎ削られる。行動範囲は大学・自宅・スーパーのトライアングルに収斂し、多様な人間関係を構築するのが難しくなる。行動の自由が制限されるにつれ、経験の格差が開いていく。
同期は、旅先で新たな価値観に出会い、趣味を通じて関係構築し、思いがけない出会いに恵まれている。一方、お金がない私みたいな人間は、自宅で天井を眺めている。人生を形作るのはそういう体験の蓄積であり、お金のない人間は何も積み上げられない。経験の格差は時間が経つにつれて広がっていく。大学を卒業する頃には、体験の総量が別世界になっている。
お金がないと、常にお金のことを考えなければならない。来月の家賃は払えるかとか、今月の食費は大丈夫だろうかとか、この飲み会に参加したら月末がどうなるかとかいったふうに、判断基準がお金に支配される。お金に苦労したくないからこそ、なるべくお金を使わないよう我慢する。
使いたいのに使わないよう我慢するうちに、耐えることに慣れてくる。慣れてくると、本来やりたかったことが何だったか思い出せなくなる。欲望を抑える生活は傍から見れば慎ましく映るかもしれないが、好奇心や意欲を失い、放っておけば無欲の人間が完成する。
お金がなくても楽しめることはあるが、お金がなければ楽しめないことのほうが多いように思う。
貧しさは、内面の豊かさを育む
お金とは、自分と世界をつなぐ道具である。お金があれば自分の外側を取り巻く問題を解決できるし、あればあるほど世界との接点は増え、外との関係性がより濃密になっていく。
ただし、いくら札束を積み上げたところで、人間性は一ミリも磨かれない。磨かれるのだとしたら、世界の大富豪はとっくに全員悟りを開いているはずだが、どうもそうはなっていない。お金で手に入るのは、あくまで外部からの刺激である。
お金があれば高級レストランで食事ができるし、ブランド品を身に着け、海外を旅できる。貧乏だと、レストランで門前払いされる。どうにかパスポートを入手できても、海外航空券を買うのは難しいだろう。つまり、自分の外側の世界でできることが限られる。
すると、意識は自然と内側へ向かう。外で遊べないから、中で考える。やることがないから考える。どこまでも考えるから、どこまでも深くなる。
自分と向き合う時間が増えるにつれ、普段は目を逸らしている自分の弱さや矛盾と正面からぶつかることが多くなった。お金があって外で忙しく遊んでいれば、そんな面倒なことは考えなくて済むが、暇で金欠の人間には逃げ場がなく、目を背けたい部分と延々付き合い続ける羽目になる。
もちろん、考えるのは疲れるし、自分はなんて未熟な人間なのか、と赤面する。恥ずかしくなるほど自分と向き合った先に、自分がどの程度の人間で、何ができて何ができないかが分かる。自分に嘘をつかなくなり、自分にも周囲にも正直で居られる。
お金がなければ、お金がなくても楽しめる趣味に手を伸ばすようになる。無料で見られる美術館の常設展とか、無料で本を読める図書館に足を運ぶ。お金のかからぬ趣味に興じるうちに、自分が何を面白いと感じ、何に腹が立ち、何を大切にしたいのかがはっきりしてくる。外部からの刺激が少ないぶん、自分が本当に何を考えているかに気づきやすい。貧乏が内面を育てるなどと言えば精神論くさいが、札幌で八年間貧乏生活した実感として、あながち的外れでもない。
貧しい八年間を過ごしたからこそ見えたもの
私は大学で過ごした八年間、テレビと洗濯機なしで暮らしてきた。最終学年の夏にようやく冷蔵庫を買えたぐらいのド貧乏生活だった。
お金がないなりに工夫して生きてきたとはいえ、苦しい場面は多かった。海外旅行には最後まで行けなかったし、当時付き合っていた彼女にはまともなプレゼントを贈れず、愛想をつかされてフラれた。経済力は大事だと身をもって思い知った。お金がないために失ったものは多い。失うというより、”手に入れられなかったもの”と言った方が正確かもしれない。
札幌で過ごした学生生活において、行動の自由は皆無だった。お金がないぶん、自分の内面と向き合う時間はたっぷりあって、自室や図書館に引きこもって自らとの対話を重ねた。自己理解を深めるうちに、「お金がないことは、本当に恥ずかしいことなのか?」と問い始めた。
お金のない暮らしを八年続けていると、いつの間にかお金に頓着しなくなっていた。海外文学を読みふけるうちに、何を考え・何をしてきたかで自分の値打ちを測るようになった。貧しさを気にする感覚そのものが薄れていたのだから、卑屈になりようがない。
同級生がとっくに企業勤めしているなか、冷蔵庫もない部屋で博士論文を書く自分は、客観的に見ればかなり惨めだろう。来る日も来る日も考え続けた末に、貧乏なら貧乏なりに、胸を張って堂々と生きていくと決意した。己の魂をどこまで磨いていけるかに集中しようと決めた。貧乏なのはそのままでも、どう貧乏でいるかぐらいは自分で選びたい。
腹が決まってからは、迷いがなくなり、研究と読書に集中できた。
お金はあったほうがいいに違いない。お金は行動の選択肢を増やしてくれる。就職してお金が入るようになった今も、自分の値打ちはお金以外の面で決まると考えている。八年かけて、そう思えるようになった。お金では買えない内面の豊かさを、どこまでも追い求めていきたい。



















コメント