幸福な家庭は全て互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸の趣が異なっているものである。
トルストイ『アンナ・カレーニナ(上) 新潮文庫』
こんにちは!札幌と筑波で蓄電池材料研究をしている北大化学系大学院生のかめ (M2)です。2016年3月9日に京大農学部に不合格となり、翌年3月8日に北大総合理系へ次席合格を果たしました。
この記事では、京大に落ちてから北大合格を掴み取るまでに起きた出来事と心の揺れ動きを記していきます。
- 先行きが見えず不安を抱える浪人生の方
- そんな浪人生を陰で支えるご家族の皆さん
こうした方々にピッタリな内容なので、是非最後までご覧いただければ幸いです。
それでは早速始めましょう!
浪人生活・春
3月:京大不合格。河合塾への入学を決意する
2016年3月9日、実家(広島)で合格発表を迎えました。スマホで結果を確認するも、そこに私の受験番号『0439』がどうしても見当たりません。現役当時の受験校は京都大学一校のみ。京大専願で特攻したため不合格により浪人が確定しました。落ちた時の感想は「信じられない…」の一言に尽きる。“なんでA判定なのに落ちたんだ“と採点ミスすら疑った。後々落ちた原因を顧みれば(そりゃ落ちて当然だよな)と納得します。しかし、若かりし頃の私は自分が悪いなどと一切思わず、”A判定で落ちるなら何判定だったら受かるんだよ…“とただ下を向きうつむいていました。落ちた当日に高校へ不合格の報告へ行くと、担任も「えっ…?」と言葉を失っていらっしゃった。帰り際に出会った学年主任も「信じられない…」と絶句しており、(みんなの期待を裏切っちゃったんだ)と自責の念をますます募らせる不合格発表の一日でした。
当初、これからの一年間は自宅浪人(宅浪)するつもりでした。今の実力をキープし続ければ来年も勝負できると思っていたし、予備校代を親へ支払わせるのが非常に申し訳なかったからです。ただコレには両親が猛反対。特に宅浪経験者の父親が「絶対やめとけ」と強い口調で遮ってきた。「お金は出してやるから」と説得され、一年間予備校へ通うことに。そこで不合格の翌々日、河合塾と駿台の入学説明会へと単身参加してきました。
まず午前中は駿台の説明会へ。校舎は近未来的なデザインで、勉強のやる気を掻き立ててくれそうな明るい雰囲気。けれどもどこか厳しそうな印象。束縛が多く、自由を奪われ、息苦しくなってしまいそうな予感がした。午後には河合塾の説明会へ。こちらは駿台とうって変わり、校舎に落ち着いた雰囲気が漂っていた。加えて束縛もかなり緩く、学生を信頼してある程度自由に勉強させてくれそうな感じ。私は強制力がなくても自主的に勉強するタイプなので、何となく(河合塾の方が合っているのかな)という印象を持ちました。家に帰って「河合塾へ行きたい」と両親へ話すと、なんと両親とも元・河合塾生だったことが明らかに。やっぱり血筋は争えない。“親に合っていたものは自分にも合うだろう”ということで河合塾への入学を決意しました。
4月:予備校生活開始。幼馴染や高校の同級生と望まぬ再会を果たす。京大の点数開示で発狂
親に一年分の授業料約70万円を支払ってもらい、その数日後から河合塾へ通うことに。登校初日はガイダンス。一年間の大まかな流れをチューターさんから説明して頂く一日。憂鬱と緊張の入り混じった不思議な気持ちで教室へ入ると、そこで待っていたのは大勢の見たことのある顔。高校の同級生が数十人、小学校時代の同級生がこれまた数十人、そして幼稚園時代の同級生まで何人か発見してしまいました。こんな所で出会いたくなかった。できれば娑婆で、もっと互いに愉快な心持ちで再会できればよかったと思う。しかし、知り合いとたくさん出会えたおかげで憂鬱が幾ばくか和らぎました。特に“高校で仲の良かった同期が1年間一緒“という点が大変心強かった。(コイツに負けまい)と心を燃やすことで勉強のやる気を掻き立てられるし、先行きが不安になっても昼休みにお喋りでもすれば気が紛らわされるだろうと思ったからです。実際、彼らの存在のおかげで一年間何とか耐え抜けました。その後も友人一名とは交流を続け、大学院博士課程に入った今でも半年に一度は会う仲です^ ^
一点だけ困ったのが『周りに大勢の女子がいる』という点。中高一貫男子校へ通っていたため女子の隣なんて小学校以来。女子に免疫のない男子高生にとってこの状況は天国かつ地獄。たまに女子をチラ見しては心を癒される一方で、気が散って勉強に集中できず途方に暮れることもありました。何の偶然か、久々に会った知り合いの女子が総じて可愛く見えたんです。小学校の時はイマイチだったのに急に女性らしくなっていたかと思えば、幼稚園以来12年ぶりに出会った女子がとんでもなく別嬪さんになっていた。そんな天使女の子たちが「あっ、かめちゃん!久しぶり~^ ^」と笑顔で近づいてくるのだからもうニヤ気を抑えられません。最早勉強など手につかない笑。しばらくは女子がいる環境に適合するだけで精いっぱいとなっていました。
4月の中旬から下旬のどこかで宿敵・京大からハガキが届きました。内容は自分の入試成績。(いったいどの科目で何点取れたのだろう?)とすぐさま中身を閲覧すると、
- 英語:115/200ぐらい
- 数学:60/200
- 国語:60/100
- 理科:120/200ぐらい
とこのような成績でありました。合格最低点からは約6点差、僅差での不合格だった訳です。このハガキを見て募らせたのははちきれんばかりの悔しい気持ち。「もっと数学で点を取れなかったのか…!」と試験中の私を引っ叩いてやりたくなった。女子に囲まれ夢見心地な気分も一瞬にして覚めました。
ニヤニヤしている場合じゃない、正念入れてやらなアカンわ…!!
とようやくエンジンが起動しました。
5月:ゴールデンウィーク返上で猛勉強!全統マーク模試で衝撃の834/900
浪人生にゴールデンウィークなどありません。予備校の授業が休みになったら自習に取り組む必要があります。基本的には予備校テキストの復習をし、それでも演習量に不安を感じた場合は市販のテキストでゴリゴリ演習。家の自室で勉強したり、予備校の自習室やエレベーターホール前の机で問題を解いたり、場所をコロコロ変えて勉強に飽きが生じないよう工夫して日々を過ごしました。浪人後、改めて現役時代の問題集を解いてみると、現役時代に理解の及んでいない箇所が至る所に見受けられた。抜け漏れなく知識を網羅できていないのだから点数が伸び悩んだのも当たり前で、京大二次の数学で点数を落としまくったのもナルホド道理というわけです。“自分はたまたまA判定が取れただけだったのだな”とココでようやく気が付きました。偶然手にしたA判定で欣喜雀躍してしまい、地に足を付けず基礎を怠り当然の成り行きで不合格に。あと半年気付くのが早ければ現役合格できていたかな?そんなのもはや後の祭り。今更結果は変えられません。
気持ちを入れ替え勉学に励み、怒涛の追い込みで基礎固め。それからすぐに第一回・全統マーク模試を迎えました。マーク模試はセンター試験(現・共通テスト)の形式を模した実戦形式のテストであります。自分にどれぐらい基礎力が身についているかを測る指標としてめちゃくちゃ参考になるわけです。マーク模試に向けた特別な対策は特に何もしませんでしたが、本番では全科目かなり良い手ごたえを得ました。実際、数学(I・A&II・B)と英語リスニング試験の3つは満点、他の科目も軒並み9割越え。合計点は900点中834点、得点率は92.6%と今までに取ったことのないハイスコア。もし現役生の私がこんな点数を取っていたならきっと「ひゃっほーい!」と手放しに喜んでいたでしょう。そりゃそうです、834点もあれば理三やデジハリ大以外ならA判定ですし、今後も実力が伸びていくことを考えれば(落ちるわけがない)と自信過剰に陥るはず。しかし、浪人時代の私は全く喜びませんでした。現役時代の経験上から『いくら良い判定を取ろうと受験本番で失敗したら何の意味もない』と肌で感じていたからです。喜ぶ気持ちを抑えるどころか、そもそも嬉しいという感情すら微塵も湧き上がってこなかった。私より周囲の学生の方がハイスコアに湧き上がっていたほど。
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