こんにちは。札幌と筑波で電池材料研究を行う工学系大学院生のかめ(M2)です。
2022年の5月末にインパクトファクター(IF)当時42の学術雑誌にあと一歩の所でリジェクトを食らい、それから約5か月後の10月20日にIF23の雑誌にアクセプトされました。
この記事では、論文作成に必要な実験データを取る所からアクセプトとなるまでの一部始終を記していきます。
今後ハイインパクトな雑誌に投稿する方にピッタリな内容なので、是非最後までご覧いただければと思っています。

それでは早速始めましょう
B4後期~M1前期:実験が楽しくて楽しくて仕方がなかった
研究室に配属され、講義からようやく解放されました。
せっかく理系学部に入ったのに、配属前はほとんど実験をする機会がなく、(あぁ、ホンマつまらないわ…)とイライラばかりが募っていたのです。
たまっていた鬱憤を晴らすため、学部4年次では毎日ひたすら実験に励みました。
私が大学に入った本来の目的は自らの手で真理を明らかにする喜びを得たかったからであり、実験をして何かデータが得られたとき、(まだ世界の誰も知らないことを自分だけが知っているんだ)と思うとウキウキして夜も寝られなくなるほどでした。
私の場合、卒論の段階から実験テーマを自分で決めるように指導されていました。
「指導」というよりは指導教員の戦略的放置であり、早いうちから私に自立心を養ってもらいたかったのだと解釈しています。
もしかしたらただ単に、指導教員が私に実験テーマを与えるのが面倒だっただけかもしれませんね「じゃあ学費返してよ笑!」
しかし、いずれにしても、研究室生活初年度から自分のやりたいようにのびのびと実験させてもらっていたので、そうした環境を与えてくれた先生には感謝しなくてはならないと考えています。
私の実験熱は修士課程に入っても決して冷めはしませんでした。
衰えるどころかむしろどんどん熱くなり、体力が限界を迎えてまぶたがぴくぴく震え出しても



ヤバい、何か気持ち良くなってきた…!
と麻薬中毒者の如くクスリ実験を手放しませんでした。
私は”実験をやっていると気持ち良くなってくる”というかなり特殊な性癖を有しています。
ランナーがマラソンを走るときに感じる快楽としてランナーズハイなるものがあるのですが、実験を超長時間やり続けても同様の快感を同程度得られるから、快楽を味わいたいがため、私はますます実験や研究にのめりこんでいったのでした。
もし実験を誰かからやらされていたのであれば、おそらくここまで没入することはなかったでしょう。
私はあくまで自分の意志で研究を進めており、その原動力は“誰よりも早く真理を明らかにしたい!”という純粋な知的好奇心だったため、実験をすればするほど結果が出て、だからますます楽しくなって更に実験を重ねるという好循環でした。
膨大な量のデータを整理して指導教員に見せたとき、先生からの指摘により、私がいつの間にかすごい発見をしていたことにハッと気付かされてしまいました。
共同研究先の某・国研の先生とも研究成果についてディスカッションし、そこから私はIF40以上の世界最高峰の雑誌掲載を目指して論文を書き始めていったのでした…


M1の8月~1月:論文作成。論文完成まで半年を要す
図表作成・配列検討
M1前期の中間報告を終え、いよいよ論文を書き始めました。
まずは図表を作成することにしましたが、作るべき図の数があまりに多く、あやうく卒倒しかけちゃいました。
私の属するリチウム電池コミュニティーでは、一つの論文に15~20個程度の図表が掲載されているのが一般的です。
対して、私がこのたび作成しようとしている論文は
- 図 (本編) : 21個
- 表 (本編) : 2個
- 図 (サポーティングインフォメーション) : 18個
- 動画 : 5個
と合計46個ものアイテムから成り立っており、それらを学術雑誌の規定通りに作成するだけでも大変困難な道程でした。
…正直、図表を作るだけならまだ楽勝なのです。
図表を整えた私に待っていたのは、自分の主張を最も効果的に伝えられるよう図表の配列を決める大変ハードな難業でした。
46の階乗(5502622159812088949850305428800254892961651752960000000000通り)という組み合わせから最適解を探すため、作成した図表を印刷し、一枚ずつハサミでくりぬき、物理的に並べ替えられるようにしてみました。
そして、「あーでもない, こーでもない」とうなり続け、並べ替えて順番を模索し続け、2週間かけてついに納得のいく配列を編み出しました。


本文作成
図表に関するアレコレを終え、本文の作成に着手しました。
まずは定石通り結論を作り、主張したい軸を確固たるものにしておきました。
結論を最後に作った場合、論文におけるアピールポイントがブレてしまう可能性があるため、先に結論を作っておき、論文の着地すべき点を明確にしておいたのです。
次に本編を作成しました。
考察や英語表現方法などで頻繁に手間取りはしたものの、基本的には
- 図表から読み取れること
- 考察 (独自論の展開)
- 先行研究と比べてどうなのか
この順番に書いていくだけなので、図表の並べ替えと違ってそれほど苦労しなかった印象です。
もしかしたらコレは、私が日々ブログを書いているおかげかもしれませんね。
ブログは書き方が執筆者の裁量に100%委ねられているのに対し、科学論文は書き方(お作法)がほぼ決まっているため、書きやすさといった点では論文作成の方が何倍も楽だったように感じました。
とはいえ、ブログと違い、論文中では議論を厳密かつ慎重に進めていく必要があります。
もしかしたら私の研究をキッカケに新たな学問分野が花開く可能性だってあるわけだから、その原点たる論文に間違いがあってはならないというわけであります。
本編作成後、ラスボスのアブストやイントロの作成に取り掛かりました。
この論文を作るにあたり最も大変だったのが、これらの作成だったように感じています。
というのも、私の投稿論文と雑誌のエディター/レビュアーとの出会いはまずアブストから始まり、アブストやイントロで (つまらない論文だなぁ)と思われた場合、ディスカッションに目を通してもらえずリジェクトされてしまうため、めちゃくちゃ気合を入れて取り掛かる必要があったからです。
たかがアブスト、されどアブストという事で、論文をアクセプトしてもらえるよう、読む人の好奇心を掻き立てるような文章作成を心掛けました。
自分なりにアブストを完成させて指導教員に見せてみると、10秒ほどの沈黙ののち「もう一度書き直してみよっか^^」と最高のスマイルで死刑宣告されました。
どうやら、私の書いたアブストは一般的な論文としては適しているものの、最高峰の雑誌に載る論文としてはあまりに漠然としすぎているらしいのです。
指導教員からは
- 自分の研究例の新規性について、もっと明確に打ち出すこと
- その論文が何を提言し、科学コミュニティーをどう変えるものなのかアピールすること
これらを始め、様々なアドバイスを頂戴しました。
書いては突き返され、また書いてはやり直しさせられのヘビーローテーションの末、イントロだけで1か月ほどかけ、指導教員が及第点を出す文章がやっとこさ出来上がったのでした。
ココで懸命に頭を使って研究内容を深堀りした結果、M1の3月に全国学会で優秀学生講演賞を受賞できました。論文を書いているときは吐きそうなほど苦しかったですが、”賞”という形で努力が報われ(頑張ってきてよかったなぁ)と感慨に耽ることできました。


論文校正→投稿!
完成した論文を雑誌会社のテンプレートに挿入し、英文を校正会社に送って校正をかけました。
純ジャパの私が書いた英文など英語ネイティヴからすれば噴飯ものなはずだから、ネイティヴに校正してもらってそれなりに自然な表現に直してから論文を雑誌会社に送ることにしたのです。
校正をかけるメリットは他にもあります。校正会社の発行してくれる校正済み証明書のおかげで、“英語が下手くそだから”という理由でエディターやレビュアーからリジェクトされにくくなるのです。
確かに校正料は超高い(私の論文は20万かかりました!!)のですが、内容云々の前に英語表現でリジェクトされにくくなる点はかなりのプラス要素に違いありません。
論文執筆者が名の知れていないアジア人の場合、英語ネイティヴから舐められがちな傾向にあります。
そのためお金を払って英語力ドーピングを実行し、万全の態勢を整えたのち論文を「えいやっ!」と投稿しました。



ちなみに、論文校正料を支払ってくれたのは共同研究者の方でした。研究費から20万円もの大金を出してくれたことは感謝してもしきれない思いです…
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