ウルトラマラソンの5つの魅力!100kmを2回完走して分かったこと

こんにちは。馬術競技と研究からマラソンに転向した、100km自己ベスト9時間1分(2022沖縄100K)の化学系大学院生ランナーかめです。

「100キロも走るの?気が狂ってるんじゃない?」—私がウルトラマラソンを始めた当初、よくこんな反応をされました。確かに、一般的なフルマラソン(42.195km)の2倍以上を走破するウルトラマラソンは、多くの人には “狂気の沙汰” に映るかもしれません。しかし、実際に走ってみると、そこには想像を遥かに超える魅力が隠されていました。大学2年次の12月、沖縄でのウルトラマラソン完走をきっかけに、私はすっかりその虜になってしまったのです。人生の価値観を変えるほどの感動、見知らぬランナーとの深い絆、そして何より—自分自身の新たな可能性との出会い。

この記事では、私が実際に体験して感じたウルトラマラソンならではの5つの魅力をご紹介します。これからウルトラに挑戦しようと考えている方はもちろん、すでにウルトラランナーとして活動されている方にも、新たな気づきを見つけていただける内容となっています。

スポーツの世界には「限界に挑戦する」という言葉がありますが、ウルトラマラソンほど文字通りその言葉を体現できる競技は少ないでしょう。なぜなら、ここで語られる「限界」とは、単なる身体能力の限界ではないからです。

目次

ウルトラマラソンの5つの魅力

  1. スタートからゴールまで味わえる非日常体験
  2. ランナー同士の絆を育む共走の時間
  3. 自己との対話を可能にする余裕のあるペース
  4. 「復活」という特別な体験
  5. 何物にも代え難いゴールの感動

スタートからゴールまでが非日常

ウルトラマラソンの第一の魅力は、その全てが日常から かけ離れている点です。遠征先での走行、早朝5時のスタート、100kmという距離、最長14時間に及ぶ走行時間—これらは全て、私たちの日常生活の尺度を超えた特別な体験となります。

たとえば、朝5時のスタート時には、まだ街全体が寝静まっている中、ヘッドライトを装着したランナーたちが光の帯となって走り出します。夜明け前の静寂と期待に満ちた空気、そして仲間たちとの高鳴る鼓動—この瞬間から、すでに非日常の冒険が始まっているのです。

私の初ウルトラ体験は、札幌から沖縄への2000km以上の移動から始まりました。大雪による欠航で出走すら危ぶまれる事態を乗り越え、太平洋の水平線から昇る朝日や、84km地点の橋上から眺めるエメラルドブルーの海など、かけがえのない景色との出会いがありました。これらの光景は、一般的な観光では決して味わえない特別なもの。なぜなら、自らの足で100kmという距離を重ねてきた者だけが見ることができる景色だからです。完走後は2週間ほど余韻に浸ることになり、日常生活がややスローペースになります。しかし、それすらもウルトラマラソンの魅力の一つといえるでしょう。日常と非日常の境界線を、自らの足で超えていく—その体験は、私たちの生活に新しい色を添えてくれるのです。

ランナー同士の絆を育む共走の時間

ウルトラマラソンでは、特に序盤において、様々な人との会話を楽しみながらゴールを目指すことができます。これは単なる世間話ではありません。100kmという途方もない距離を前に、互いの不安や期待、人生経験までもが自然と語られていくのです。

サブ9(9時間切り)より遅いペースのランナーの間では、特にこの傾向が顕著です。「なぜウルトラを走るようになったのか」「仕事と練習をどう両立させているのか」—そんな会話を交わしながら、知らず知らずのうちに絆が深まっていきます。私自身、初めてのウルトラで出会った経験者から、単なる道案内以上のものを教わりました。「エイドステーションでの補給の取り方」「暑さ対策の工夫」「疲労時の対処法」など、書籍やネットでは得られない実践的なアドバイスの数々。そして何より、疲労困憊時の「歩くな、走れっ!」という力強い励ましは、今でも耳に残っています。

フルマラソンでは自分のペース維持に必死で、他人と会話する余裕すらありません。しかし、ウルトラマラソンでは、むしろ仲間との交流が完走への重要な要素となるのです。

自己との対話を可能にする余裕のあるペース

ウルトラマラソンの特筆すべき魅力の一つは、ゆったりとしたペースでの走行により、深い自己内省が可能になることです。これは決して「楽に走れる」という意味ではありません。むしろ、身体的な苦しさと向き合いながらも、精神的な余裕を保てるという、独特な状態なのです。

通常のマラソンでは考えられないことですが、ウルトラでは「走りながら考える時間」が存在します。日常生活では常に周囲の喧騒に邪魔され、なかなか向き合えない自分自身の内面と、静かに対話できる時間が生まれるのです。私の場合、初ウルトラでの走行中に、小学校時代のいじめられ経験を新たな視点で捉え直すことができました。40km地点を過ぎたあたりから、ふとその記憶が蘇り、「あの経験があったからこそ、今の自分がある」という気づきを得たのです。苦しい記憶が、人生の糧として受け入れられた瞬間でした。

このような自己との対話は、日常の瞑想や座禅でも可能かもしれません。しかし、100kmという極限に向かって走り続けながら行う内省には、特別な深みがあります。肉体的な限界に近づくことで、逆説的に精神は自由になり、新たな気づきを得られるのかもしれません。

「復活」を体験できる

ウルトラマラソンならではの体験として、「終わった」と思える状態からの「復活」があります。これは単なる「第二の風」とは異なります。完全に力尽きたと感じる状態から、再び走り出せるようになる—この体験は、人間の潜在能力の深さを実感させてくれます。

この「終わり」と「復活」の波は、まるで潮の満ち引きのように訪れます。最初は60km付近で訪れる大きな壁。足が重くなり、エネルギーが枯渇し、もう前に進めないと感じる瞬間です。しかし、諦めずに前進を続けていると、不思議なことに再び力が湧いてきます。ただし、この「復活」のタイミングは、心の持ちようで大きく変わります。「もう無理だ」と諦めの気持ちを抱くと、復活は遠のきます。逆に、どんなに辛くても「必ず復活する」と信じて前進を続けると、より早く復活を体験できるのです。

この発見は、スポーツの領域を超えて、人生における困難な状況にも応用できる学びとなります。どんな苦境でも、諦めずに前進し続ければ、必ず道は開けるという確信を、身をもって体験できるのです。

何物にも代え難いゴールの感動

最後に挙げられる魅力は、ゴール時の比類なき感動です。これは単に距離が長いから感動が大きいという単純な話ではありません。100kmという距離を走破する過程で経験した全て—苦痛、絶望、復活、他者との絆、自己との対話—が一つになって、この感動を形作るのです。

フルマラソンとの比較で言えば、距離は2.4倍(42.195kmと100km)ですが、感動の大きさは計り知れません。なぜなら、ウルトラマラソンは単なるスポーツ競技を超えて、一つの人生経験となるからです。初ウルトラでのゴールでは、老若男女問わず感極まって涙する光景を目にしますが、それは単なる達成感以上の、人生の転換点としての意味を持つものなのです。

100kmを走破した経験は、私たちの「常識」を大きく書き換えます。「無理だと思っていたことが実は可能かもしれない」という気づきは、人生における新たな挑戦への原動力となります。サハラマラソンや川の道フットレースといった、さらに過酷なチャレンジが視野に入ってくるのも、この意識変革があってこそなのです。そして、この感動は一度味わうと忘れられない中毒性を持ちます。「もう二度と走るものか」と誓ったはずが、数日後には次のレースのエントリーを考えている—そんな経験をした人も多いのではないでしょうか。

おわりに

ウルトラマラソンの魅力は、単なる距離の長さだけではありません。予期せぬトラブルや困難を乗り越え、自分に合った練習方法を模索する過程そのものが、ランニングの新たな楽しさを発見する機会となります。フルマラソンが計算可能な挑戦だとすれば、ウルトラマラソンは予測不能な冒険です。その不確実性こそが、多くのランナーを魅了し続ける理由なのかもしれません。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

カテゴリー

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次