沖縄100Kウルトラマラソン2022 レース体験記【9時間1分】

これから私がお送りするのは、2022年12月18日に行われました沖縄100Kウルトラマラソンのレース参戦体験記です。

  1. レース前
  2. レース前半
  3. レース後半
  4. フィニッシュ後

と4ページに分けて展開するので少々長くなるかと存じますが、短編小説をお読みになるつもりでごゆるりと読んでいただければ幸いです。

目次

レース前

1:30 起床

レース当日は1:30にスマホのアラームで起床。前夜はレースに備えて19:30ごろ就寝。6時間ほど熟睡して100kmに備えた。起きてアラームを切った瞬間、

かめ

あっ、今日イケる気がする…!!

と好走を予感。全く根拠はなかったけれども、何故だか9時間切り (サブ9) を達成できる気がしてならなくなってきた。外では10m/sの北風がビュービュー吹き荒れていた。しかし好走の予感は不思議と薄れることはなかった。むしろ、 (こんな強風の中で100km走り切れたら絶対記憶に残るだろうな^^)と思い出作りのお膳立てに感謝したぐらい。

私の過去の経験では、起床直後にこうした良い予兆を感じた勝負事では必ず成功している。中三の時に出場した国体馬術競技の当日も、大学受験浪人生として迎えた北大受験の当日も、両方とも勝利の予兆を感じて実際に優勝/合格をもぎ取った。勝利の予兆を現実にすべく、電気をつけてベッドを抜け出し、ウルトラに向かう準備に取り掛かる。レース用ウェアにゼッケンを付けたり、悪天候に備えて冬用のウェアをバッグに詰めたりと慌ただしく動き回った。

当日朝に摂った水分は、answer600を1.5個溶かしたエネルギー満点のドリンク。レース前に固形物を摂取すると消化にエネルギーを取られてしまう。なるべく楽にエネルギーを貯蔵できるよう考えて前夜に作っておいた。

半分ぐらいドリンクを飲んだ段階で少々お腹が膨れてきた。(これ以上無理に飲んだら内臓に負担をかけてしまう)と考え、残りのドリンクは今後のバス移動中や会場での待機時間で飲み干すことに。出立時刻が来るまでの間、脳から邪念を追い払うべく座禅を組んで瞑想。集中力をじわじわと高め、「サブ9するぞ!」との掛け声とともに立ち上がって部屋を後にした。

3:00 バスで与那古浜公園へGO

事前に予約していたバスへ乗るため、スマホで道を調べながら集合場所へ。2:45ごろバス乗り場に到着。既に30名ほどのウルトラランナーが列をなして乗車を待っておられた。4年前にもこのレースに出場した。その時も全く同じ思いを抱いた。ウルトラランナーからは何か尋常ではないオーラが感じられる。これからお金を「払って」100km走りに行く人は正気ではない。鉄人ランナーたちの後ろに私も並ぶ。添乗員さんが乗車開始の合図をするのを今か今かと待っていた。

バス停前で15分ほど立っていると、強風がモロに体を直撃し、急に身震いが始まった。武者震い?いや、寒くて震えた。こんな寒い中で走って大丈夫かな?。今さら走らず帰るだなんて論外だけれども、このコンディションで走ればどうなってしまうか予想できず、生命の危機を感じた。札幌市民でも肌寒感じる寒さ。本州や沖縄在住のランナーさんにとってはもっと寒く感じただろう。

3時ちょうどにバスへと乗車。空いていた最後方の席に着席。バス出発後、運転手さんが暖房を効かせてくれた。そのおかげで震えが止まり、冷えた体を芯まで温めることができた。45分間のバス移動中、終始目をつむり体を休ませておいた。ココで余計にキョロキョロしていたら気力を浪費してしまう。レースで記録を狙うには、レース前のエネルギー消費量を極力抑えたい。

与那古浜公園に到着し、バスを降りるとまた寒くて震え始めた。念のためバッグに入れていたユニクロのウルトラライトダウンを着用。「大丈夫大丈夫」と心に言い聞かせて寒気がおさまるのを待った。

4:00 スタートするのやめようかな…

スタート会場には風を遮るものが何もない。公園の真ん中に仮設テントが何個か立っていた程度。あまりに寒くてテントの下でうずくまっていた。北風が強い。寒くて体が動かない。手がかじかむほどの換気。ここは本当に沖縄なのだろうか?レースに向けて気分を高めていきたかったものの、レースの事より寒さに対処するので精一杯。震えていたのはみんな同じ。至る所で「今日寒いね~!」と天候を嘆く声が聞こえた。沖縄100Kへ出場するランナーは、冬の寒さを忘れるためにわざわざやってきたはず。季節外れの極寒に全員が首をかしげて困っておられた。

スタート時刻が近づくにつれ、どんどん戦意がしぼんでくる。

  • こんな寒い中100kmも走らなくちゃいけないのかよ…
  • 果たして生きて帰って来られるだろうか?

と、体が拒否反応を示してきた。中間地点で受け取れるドロップバッグの預け入れ受付は4:30まで。締め切り10分前まで出走するか否か本気で悩んでいた。「ここまで来たからにはレースに出たい!!」という強い気持ちがある。そのもう一方では「こんな気象コンディションでまともに走れるわけないじゃないか…」という弱い気持ちも。心の中での葛藤の末、とにかく50kmまでは走ってみようとの妥協案で決着。あまりに余裕がなければ中間地点でリタイアすればいい。もし中間点で余裕があれば、残り50kmを走ればいい。選択を未来の自分に託す。万が一50kmでリタイアしても大丈夫なよう、ドロップバッグに物をたくさん詰め込んでおいた。中間地点のある糸満市役所はホテルのある那覇市から近い。リタイア後、ただちに宿へと戻れるよう、持ってきた全ての手荷物を中間点へ送った。

寒さ対策として、上半身には長袖と半袖とウィンドブレーカーの計3枚を着用。下半身には半ズボンの下にロングタイツを装着。ココで私は一つ、重大なミスを犯した。寒さをしのぐため会場では上述のダウンを着ていたが、ドロップバッグを預ける際にダウンを預けそびれてしまった。その結果、レースではダウンを携行してスタートすることに。余計な荷物を持って走ると体力を消耗してしまう。邪魔くさいので腰へ巻いて走る。ダウンジャケットを腰に巻いて沖縄のレースを走るランナーなんてちょっと見たことがない。「あ~、やらかしちゃったな…」と後悔に苛まれてしまった。過ぎたことを悔やんだってもう仕方がない。 (腰を温められてよかった^^)と苦し紛れのポジティブ思考へと切り替える。

整列開始5分前から動的ストレッチを開始。体を動かしたおかげで心拍が上がり、体温もほんの少しだけ高まってきた。コレでようやくやる気が出てきた。5分前から始まった整列へと急いで向かって人の中に並んだ。

4:40 整列

沖縄100Kは目標タイム別に整列するシステム。8時間切り、10時間切り、12時間切り、14時間切りと4つの区分に分かれて並ぶ。私はサブ9を目指していた。『10時間切り』を目指すグループを探す。あまりに前方へ陣取ると、スタート直後にペースを乱されてオーバーペースになりかねない。なるべくマイペースでレースに入れるよう、あえて後ろの方に並んだ。

整列後、周りを見渡して違和感を覚えた。「何かおかしいなぁ…」と思っていると、受付で貰っておかねばならなかったハンディライトを貰っていないことに気が付いた。危ない、危ない。コレがなければ足元を照らせずに段差で躓いてしまう。慌てて受付へ向かってライトを入手。すぐに列へ戻って事なきを得る。沖縄南部の道路は街灯が少ない。もしこのライトがなければ、躓いて転んだり、行き先を誤って迷子になってしまいかねない。スタート地点へ移動するまで残りあと1分だった。本当に危機一髪。あわや大惨事になりかけた所だった。4:45ごろ整列を終える。そこから5分ほど歩いてスタート地点へ。目的地に着き、その場で足踏みなどをして体を冷やさぬよう気を付ける。

ランナーの静寂が気になったのか、司会の方が最前列に並ぶランナーさんへインタビューをし始めました。最前列には100km8時間切りを目指すエリートランナーさんが集まっている。司会者へインタビューされた方々はみな異次元の目標タイムを口にした。あの人たちはどうやら100kmを7時間半で走り切ろうとしているらしい笑。いったい何を食べたらそんなに速いペースで走り続けられるのだろう。また、ある女性ランナーの方が「先週タイで100mile走ってきて、今週は100kmで女子総合優勝目指します♪」と軽い口調で言うのを耳にした。この人は果たして何を言っているのだろう。笑うしかない。160km走った翌週に100km…??ちなみのこの女性ランナーとは、レース中に長時間並走した。激坂をものともせずグイグイ駆け上がっておられた。ホンマにすごい。先週160km走ったとは思えない。

5:00 スタート

スタート30秒前にランニングウォッチでGPSを捕捉。臍下丹田に力を入れて集中力を高めていった。目を瞑って何度か深呼吸。スタートを知らせるピストル音が聞こえた。いつもの大会なら「よし、行くぞ!」と気合を入れてダッシュで駆け出す。今回のウルトラは「あぁ、始まったんだなぁ」といつになく平常心で合図を迎えた。ポジティブな気持ちもネガティブな気持ちも両方ともない。『今』というこの瞬間に己の全神経が集中していた。

50kmでリタイアするか否かは分からない。悔いのないよう最善を尽くすしかない。

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