31日:高校時代の戦友が札幌に来た!
高校時代の同級生と札幌で奇跡的な再会を果たした。学会参加で札幌にやってきた彼 {Kくん(仮)}と連絡を取り合って北大正門で再会。1.5時間かけてキャンパスツアー。日没までにイチョウ並木とポプラ並木を見せ終え、日が暮れてからは北部方面の建物を色々と紹介した。道中、互いに近況報告をする。話し方や性格が昔から二人とも全然変わっていない。広島出身同士だと広島弁が弾む。「○○じゃけぇね~」『そうじゃのぉ~』などと傍から聞いていればヤクザかと思われる会話。B1の4月に広島弁丸出しでクラスの女子に喋りかけた所、ものすごい勢いで引かれて怖がられてしまった。以来、札幌では広島弁を使わぬよう十分注意して過ごしていた。これまで抑えていた方言のブレーキを全面開放。広島弁を使うのは久々だ。標準語なんかよりもずっと流暢に言葉を紡げる。
私とKくんとは高一のときだけ同じクラスだった。席が近く、ときどき言葉を交わしたのを覚えている。高校時代の私は激情型。感情の波が今よりもずっと激しかった。また、意識を乗馬へと傾けていた。学校の授業中も教科書をほったらかして乗馬の専門書を熟読する有様。Kくんはいたって温厚なタイプ。怒っている様子を見た記憶がない。授業は背筋を正して真剣に受けていた。学年成績トップ10内での順位をめぐって競い合った好敵手だ。興味関心も性格もまるきり逆の二人。なぜだか妙に仲が良かったから不思議。
Kくんとは浪人時代の予備校が同じだった。浪人中、顔を合わせるたびに言葉を交わし、互いに前向きな言葉をかけてやる気を高め合っていた。私は京大農学部志望。Kくんは某大学の医学科志望。一年間の浪人の末、私も彼も志望校へ行けなかった。私は北大へ、彼は首都圏の理系学部へ行った。Kくんはすごい。大学を出て、学士編入試験を受けて某国立大医学科へ合格した。医者になる夢を諦めなかったわけだ。今は医学科五年生。来年は病院就活や国家試験対策などで大忙しになるらしい。博士課程早期修了予定の私などKくんの足元にも及ばない。Kくんの有する意志の強さには口を開けて感服するばかり。
偉大なる戦友を引き連れ、すすきのの居酒屋『一笑』へと入店。サッポロクラシックで乾杯🍻。「うまいっ!」と言ってもらえて僥倖だ。Kくんは札幌滞在期間中にまだ海鮮料理を食べていなかったらしい。魚を食べずに本州へ帰すわけにはいかぬ。内地とはレベルの違う圧倒的な海鮮料理をたらふく食べてもらわねばならない。
コース料理の開きホッケ焼きを口に入れる。食べた瞬間、口の中で身がトロトロに溶け、あっという間に我々の身体と一体化してしまった。あまりの旨さに『ヤバい…』とKくんも絶句。医大生を絶句させられたホッケくんはもっと胸を張って良い。次から次へと運ばれてくる料理に舌鼓をうちながら会話。『北海道の人ってこんなに旨いものを毎日食べとるの?』「ほうよ」『えぇのぉ~』3か月前まで下宿の中に冷蔵庫がなかっただなんて口が裂けても言えなかった笑。コース料理に飽き足らず、単品で商品をいくつか追加注文。Kくんにぼうずの刺身やシカもも肉などを食べさせ、北海道を大々々満喫させてあげた。
帰りしな、リクエストを受け、留学時に撮った写真をKくんに見せた。日本とは全く趣の異なる雰囲気にすっかり魅了されていた。Kくんは大学の医学系写真部に属しているらしい。いくつかの写真に目を見張り、『コレ、現像した方がえぇよ!』とのアドバイスを受けた。今度、カメラ屋さんへ行って現像してもらおうと思う。ロンドンのタワーブリッジやイスタンブールのボスポラス海峡を撮った写真を家の中に飾っておきたい ……そうなんだよ。ヨーロッパの街並みや観光名所だけは本当に素晴らしかったんだよな。悪い思い出ばかりが強いイギリス留学だけれども、良かった所にもしっかりと着目し、その部分へ何がしかの価値を見出していきたい。見方を変えれば失敗は成功に変わる。成功と見るか、失敗と捉えるかであの四ヶ月半の持つ価値は真逆になる。
Kくんと互いの健闘祈って散会。次に会う時には互いに「先生」となっているはず。
2〜4日:三連休で博士論文のイントロ完成
二か月前の三連休は「逃げ恥」を、先月の三連休は「獣になれない私たち」を視聴。今月も初旬に三連休が発生。何かドラマを見てやろうと思い立った。どうせならガッキーの出ているドラマが良い。ガッキーを見ているだけで身体が回復してくるから。家の壁にガッキーの写真を3枚貼ったおかげで心身ともに絶好調。ドラマの中で動くガッキーを眺めたら運気まで高まって来るだろう。Amazon Prime Videoで検索。いくつか視聴候補のドラマを見つけた。どれを観ようか悩んでいるうちに1時間以上も経ってしまった。悩み疲れてPrime Videoアプリを閉じる。優柔不断な性格だとこういう時に辛い。
ガッキーを観る代わりに博士論文 (D論) を仕上げることに。博士学生を癒してくれるものは、ガッキーか博士課程修了に限る。
大学院を出るにはD論を提出する必要が。何百ページもの創作物を全て英語で記さねばならない。D論の本編は過去の主著論文を貼り付けるだけでOK。自分の場合、これだけで計140ページ以上稼げる。指導教員のD論は136ページ。本編だけで指導教員の記したD論をボリュームで上回っている以上、指導教員から「少なすぎる」と文句を付けられなくて済む。問題なのはGeneral Introduction (GI)。研究の背景やコンセプトに関する超詳細な記述が求められる。自分の学術論文のコピペでは駄目。膨大な数の研究例を引用しつつ、全くのゼロからA4用紙20ページ以上の文章を作る。
GIの執筆が大変なのは容易に想像をつけられる。学術論文一報あたりのイントロへ費やす紙面は2~3ページ。D論のGIはそれの10倍近く。学術論文一報のイントロ執筆でさえ青息吐息なのに、それの10倍もの負荷が掛かるとなっては作業の困難さを想像するだけでおぞましい。大変な仕事は前々から取り掛かるのが吉。D2の9月あたりからGIを書き始めた。「どうせ仮提出まで3か月あるしな」とダラダラゆったりペースでの執筆。時間にゆとりがある状況にかこつけて、あまり真剣にGIを書いてこなかった。あっという間に仮提出まで1か月を切る。過去2か月間の進捗はわずか10ページ。このままでのペースで書き続けていたら間に合わない。お尻に火をつけなきゃ早期修了できなくなる。
どうしてこんなにダラダラしてしまったのだろう?家で作業していたのが良くなかったに相違ない。D論執筆に疲れるたび、下宿の壁へ貼ったガッキーをボーっと眺める。ガッキーがあまりに可愛すぎるせいで、D論よりガッキーを眺める時間の方が長くなってしまった。研究室へ行けばガッキーへ甘えずに済む。さすがに研究室の壁にはガッキーの写真を貼れないから。ガッキーは自分の癒しの源。癒されてばかりでは仕事が捗らないと学習した。癒しの存在がかえって悪い結果をもたらす場合も。モノは使いよう。バランスの取れた人間になるためガッキーが試練を与えてくれたことに感謝。
三連休は毎日大学へ通った。早朝にランニングを終え、朝8時からPCの電源をつけてGIを淡々と記す。三連休は研究室へほぼ誰も来なかった。自分の居室への出入りは私一人だけ。家より圧倒的にノイズの少ない環境。作業が自分でも信じられないほど捗った。日本語原稿を生成AIで英語化。今月からはClaudeを契約した。ClaudeはChatGPTやCopilot AIよりも言語処理力が圧倒的に優れている。おまけに、人間よりも人間らしい文章を書いてくれる。私のヘタクソな日本語原稿を素材に、まるでネイティヴが書いたのかと見まがうほど美しい英文が出来上がった。
三連休でGIが完成した。GIは全部で36ページ。これだけ記せば、まぁ、文句は言われないだろう。
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