【世界道草紀行#15】なぜ、人は海辺で人生を考えるのか

海とは何か。永田町や霞ヶ関で日々喧々諤々の議論が交わされている。海とはあまりに多義的な概念なので、仮りぐらしのスパゲッティーとか、結婚雑誌といえば絶苦死胃とか、吾輩は猫であるとか、様々言われている。

アウトドアのアクティビティーは、海派と山派に大別される。解放感を求めるのが海派ならば、安心感とか非日常感を味わいたいのが山派である。私は、どちらかといったら海派。わりと内省的な性格なので、たまには何も考えず海風を受けながらボーッと過ごしたくなるのだ。転職前のアパートは海からほふく前進30分の所にあり、オーシャンフロントの部屋から毎日好きなだけ海を眺められて心地よかった。

バルセロナは、スペイン東部の港町である。人口は百万人を優に上回り、世界各地から大勢の観光客が一年じゅう集まっている。リゾート地としての側面が強いが、大都市らしく交通網が張り巡らされていて便利である。

バルセロナの魅力は様々ある。美味しいごはんもあれば、サグラダ・ファミリアを中心とする独創的な建物も素晴らしい。数ある魅力の中で一番のものは、やはり海ではなかろうか。右から左まで水平線が広がっていて、地中海をはるか彼方まで見渡せる。地球の丸さを体感できるほどのスケール感である。

おまけにバルセロナは天気がいい。雨がほとんど降らないのだ。特に9月は晴れの日が多く、好きなだけ陽光を浴びられる。太陽の光を浴びれば元気になるし、日焼けして見た目が健康的になる。日焼け目的で長期滞在する旅行客がいるぐらい、バルセロナのビーチは素晴らしい。

ホステルにチェックインし、下り坂を道なりに海方向へと進んだ。平地に入って海側へと方向転換すれば、海の香りをまとった強烈な潮風が前から吹きつけてきた。海の匂いって、いいよなぁ。目尻と口角の距離が自然と近づいていく。夕方になって暑さが和らぎ、街を歩く人の数が増えてきた。

ビーチでは、砂の上で日光浴する人が多かった。仰向けで胸板を焼いたり、うつ伏せで背中を仕上げたりするなど、思い思いの姿勢で寛いでいた。では私も、と砂浜へ裸足で入ったところ、熱すぎて2秒で引き返した。ちびっ子は海で嬌声をあげて泳いでいた。キャーキャー言いながら水をかけ合っていて、元気だなぁ、可愛いなぁと思った。

ビーチの前に石段があって、良い塩梅に日よけのネットも張ってあった。石段はすこし温い程度。砂を払い、荷物を下ろして座った。地中海を真正面から眺め、その広さにため息が漏れた。地球って、ものすごいサイズなんだな。目の前で見ればデカすぎて全貌を確認できないほどの巨大タンカーが豆粒大に見える。

海の先には、まだ行ったことのない国がたくさん広がっている。それなのに、まだ10か国程度にしか行ったことがない。東南アジアやアフリカに至っては未体験である。こんなにも広い世界が広がっているのに、行かずに済ませるのは勿体なくないか。将来に備えて投資するのも大事だろうが、今の私にもなるべくお金を使って色々な世界を見せてあげたくなった。

旅客のすき間を縫うようにして行商人が歩いていた。プレートにカクテルかワインを載せて「うまいぞ~、飲まんか~?」とセールスしていた。遠くから見れば美味しそうなのだが、日光にあぶられた飲み物を持って来られても困るよね。絶対ぬるくなってんじゃん。売り方を考えなきゃ、誰も買わないでしょ。

業を煮やした商人は、ジュースをカーペットに持ち替えて練り歩いた。ほらみんな、砂は熱いだろう? このカーペットを敷けば熱くないぞぅ。どうだ、要らないか? ビーチに来ている人は、熱さを楽しみに来ているのだ。熱さを欲する我々に涼しさを提供するのも無理な話。誰も相手にしていなかった。

商人のおっちゃんを眺めながら、資本主義は限界かもしれないと感じた。需要のないところに需要を作り、すき間を埋めるように何かを供給して世界を回す今の仕組みって、もう難しくないか。世界が変わる速度が速すぎて、着いていけない人がどんどん増えてきた。

バルセロナの人々は、起きて、飯を食って歩いて、誰かと喋って、飲んで、ちょっと働いて、ぐっすり眠る。日本人サラリーマンの私からすれば「こんなのんびり屋ばかりで社会は回るの?」と心配になるレベルである。私の心配をよそに、スペインは機能している。圧倒的成長とかコッカラッスとか誰も言わずとも、国家としての体をなしている。ビーチでたそがれながら、これからの日本社会は、勇気をもって速度を落とせるかが問われるかもしれないな、などとぼんやり考えた。

20代の半ばまでは、突っ走ればいくらでも遠くに行けると思っていた。人生を、どこまで遠くに行けるかを競うレースだと捉えていた。誰かと一緒に歩調を合わせて進むなんて調子が狂うし、自分のペースで突き進みたくて、ずっと一人で動いてきた。

20代半ばに大学院の博士課程へ進学した。世界一の研究者になるべく日夜研究に励んだが、研究でも留学先でも不運が相次ぎ、ひとりで抱えられるストレス許容値を超えて精神崩壊した。幸い、病む寸前で歩みを止めたおかげで決壊には至らなかった。

精神を病みかけると、頑張りたくても頑張れなくなる。頑張るのに必要な馬力が湧いてこないし、頑張り切れずに燃え尽きたら今度こそ終わると思うと身体が動かなくなる。突っ走ることしか知らなかった私が突っ走れなくなった。無力感がハンパなかった。頑張れない人なんか無価値だと思っていた当の本人が無価値側の人間になったのだ。

博士課程の終盤から、人生をどう進めるか考え出した。昔のように速さで競えない以上、戦い方を変える必要がある。どうやって生きていけばいいのかずっと悩んでいたが、バルセロナのビーチで答えらしきものの端緒を掴んだ気がする。

別に、生き急がなくたっていいんだよな。誰かと競う必要もなく、何も成し遂げられずともそれはそれで良いんだわ。迷いながら描いてきた軌跡それ自体に意味があり、納得のいくように生きられたら、それでいいんだろうな。寄せては返す波へ揺られるように、運命のいたずらに身をゆだねてみよう。予想外の方向に転がったら、それはそれで楽しめばいいじゃないか。

博士課程に在籍していたとき、事あるごとに指導教員から「そういう運命なんだよ」と説かれた。学生時代は説教臭くてうるさいなぁと思っていたが、二年経ってようやく意味が分かった。ものすごい大事なことをワンフレーズで言い表していたんだな、先生は。もうちょっとわかりやすく言ってくださいよ。気付くの二年も遅れたじゃないですか。あ、こういうのも含めて急いだらダメなんだろうな。

ほんと、人生って難しいわ。

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