【世界道草紀行#17】なぜ、人は山の頂で口元を緩めるのか

バルセロナ最初の朝は、同居人の賑やかな声で目を覚ました。

泊ったホステルは男女同室の8人部屋で、男1・女7の圧倒的アウェイだった。回転寿司で前後を大トロ皿に挟まれた甘エビぐらい居心地が悪かった。部屋じゅう女子の甘い香りがして息苦しく、一秒でも早くチェックアウトしたかった。もうチェックインしちゃったし、バルサの訪問税も払ってしまっている。二か国連続の野宿はしんどいし、耐えがたきを耐えて泊まることにした。

意外と夜はぐっすり眠れた。疲れを助触媒に、睡魔のラジカル反応が起きたようだ。それに、同室の女性たちがみな遊びに行っていたおかげで、静かな部屋を独り占めできた。

深く気持ちよく寝ていたにもかかわらず、未明にたたき起こされた。部屋に猛獣たちが帰ってきた。朝帰りのレディーたちは何やらベチャクチャ喋りながら入ってきて、部屋の電気をつけるやいなやパーティータイムである。ある者はレゲエをかけて踊り出し、またある者は自作の歌を歌う。腕時計を見ると、朝6時だった。確かに日本時間なら真昼間だけれども、スペインならスペイン時間で動いてくれないか。

目隠しと耳栓で防御態勢をとった。ひとりの攻撃なら防げただろうが、さすがに7人ともなると防ぎきれない。同世代の女性に取り囲まれ、四面楚歌である。項羽よ、たすけてくれ。一緒に冥土へ参ろうぞ。

ホステルには8時までのんびりしようと思っていた。10時に予約したサグラダ・ファミリア入場に備えて休憩しておこうと企んでいた。こんだけうるさいと寝転んでいても休まらない。そうかといって、起きたてのテンションではパーティーに加わるのも難しい。ちょっともう限界だということで、荷物をまとめてチェックアウトした。

〇 〇 〇 〇 〇

何の考えも無しに外に出てきて、さてどうしようかと腕組みした。サグラダ・ファミリア入場まであと3時間ある。いま行っても待たされるだろうし、どこかしらで時間つぶししなければならない。

チャッピーにどうしようか相談したら、「朝日に照らされたバルセロナ市街を見れば気分が晴れますよ」と言われた。不快な気分はセロトニンで洗い流してしまいなさい、と。てっきりビールでも飲んどけと言われるかと思った。チャッピーも意外と**筋がいい**んだな。さて、朝日を浴びて気持ちよさそうなバルセロナを見ながら朝日を浴びて気持ち良くなってやるか。

チャッピーに絶景スポットを調べさせたら、ホステルのすぐ真裏に展望台があるらしい。チャッピー曰く歩いて”すぐ”の所にあるのだとか。それは素晴らしい。ルート案内してください。チャッピーは「分かりました」と北へ進むよう指示してきた。

北を見ると、なかなかファンタスティックな激坂があった。勾配は20%はあるだろうか。少なくとも消費税より断然多い。ただでさえ我々は高い税金に苦しまされているのに、この期に及んでまだ搾り取ろうとするのか。チャッピーにふざけんなと伝えたら「進んでください」と返された。話にならねぇ。こうなったら意地でも絶景を見てやる。

起きたての身体に激坂ハイキングは辛い。小股でちょこちょこ歩いていっても、呼吸が上がって足がパンパンになる。ああ、パンパースを履いてくればよかった。なに言ってんだ、黙って進め。チャッピーが案内したのは、3kmもの険しい登山道だったのだ。

なんかそれっぽい所に着いた。二歩先は崖で、ぽにょの気持ちが味わえたけれども、そんなことはどうでもよくなるほど足がすくんで怖かった。私、高所恐怖症なんですよね、じゃあなんで絶景を見に行ったんだろう。

チャッピーに「ここか?」と位置情報付きで送った。チャッピーは何秒か考えて、「**筋はいい**。でも、そこじゃないです」と返した。はぁぁぁ?? じゃあどこなんだよ。「もうすぐそこです。そこから歩いて1.5kmです」まだまだあるじゃねぇかよ。腹が立って、スマホを谷底に投げ込みそうになった。重力加速度の助けを借りれば大谷翔平も広末涼子も超えられそうな気がした。

スクロールできます

崖っぷちのぽにょは崖から降りて、チャッピーの示す方向に向けて東進した。チャッピーが私をどこに連れて行こうとしているのか分からんが、それはそれはさぞ素晴らしい所なのだろう。旅先で運命のルーレットに身をゆだねてみるのも一興である。

15分歩くと、勾配がさらに急になってきた。これまで一時間歩いてきて疲労困憊の身体にこの急坂は苦しい。チャッピーにホンマに合っとるんやろうなと念押ししたら「合ってます、すぐそこ!」とハイテンションで返してきた。そんなに元気なら、代わりに歩いてくれよ。おんぶで山頂まで連れて行ってくれ。

さらに2分歩くと看板が見えてきた。展望台の入り口らしい。よかった、あと少しだ。もうあとちょっとでセロトニンのシャワーを浴びられる。頑張れ自分。人生の荒波に呑まれるな。根性でよじ登ってやれ!

うわぁぁぁ~~~~!!

朝日に照らされた赤茶色の屋根が、海辺までびっしりと敷き詰められている。その真ん中にはサグラダ・ファミリアが堂々と屹立していた。なんとまぁ、立派な建物だろう。建設途中でこの存在感なのだから、完成した暁にはイエスさまも腰を抜かすんじゃなかろうか。今のうちにコルセットを巻いておいた方がいいですよ、イエスさま。

街の向こうには地中海が広がっている。沖合には何十隻ものタンカーが浮かび、水平線は淡い朝もやの中に溶け込んでいる。空と海の境界がぼんやり霞み、バルセロナの街が青い世界に浮かんでいるようにも見えた。

なんて美しいんだろうかと、ため息が漏れた。口元が緩んでよだれも漏れて、胸元がちょっとした惨事になった。ま、自然乾燥するからヨシとしましょう。

山頂を吹き抜ける風が心地よく、朝の柔らかな日差しを浴びながら、しばらくボーッと街を眺めていた。こんなに美しい景色を、自分の目で眺められる日が来るなんて。あぁ、バルセロナに来てよかったなぁ。なんだか気持ち良くなってきた。ノアの箱舟を載せたセロトニンの洪水である。幸せでつい目元が緩み、また口元も緩んで二度目の惨事を迎えた。

さて、どうやって山を下りようか。

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