【苦行】七年半 (2685日) に及ぶ「冷蔵庫無し生活」の末に導き出された結論

目次

結果と考察

大学一年生:冷蔵庫無し生活に苦闘

一番苦しかったのが一年目だ。冷蔵庫のある実家生活から冷蔵庫のない札幌生活へと移行したが、自身の体質をなかなか変えられずに食べ物で苦労する一年となった。

北海道の春は冷涼だ。5月でも最高気温は20度を下回り、半袖シャツだと少し肌寒いぐらい。部屋の中に食べ物を置いていても腐らない。家全体が冷蔵庫みたいなものである。冷蔵庫がなくても案外余裕かもしれない。やはり、冷蔵庫に頼るのは甘えだったのか。

夏が来た。気温が30 ℃を超える日が続く。湿度は低い。でも気温が高い。7月初旬から食べ物が腐り始めた。キャベツは黒くなり、チーズや納豆からは異臭が。ゆで卵の色は灰色。味は臭い。全然美味しくない。最も厄介だったのが米の腐食。冷凍せず冷凍タッパーに入れて保存しておくと、一日経てばタッパーの内蓋がネバネバとしてくる。そう、『発酵』しているのである。自家製★発酵玄米の出来上がり。二日も経てば玄米の表面へ白い胞子が姿を現す。もしも一週間程度放置しておいたら、胞子からキノコでも生えてくるのだろうか?

私はもったいない精神の持ち主。食べ物を残して捨てるだなんて論外である。腐っていようが何だろうが食べ切らねばならぬ。食料生産者さんの顔を思い浮かべたら捨てられない。腐ったキャベツは食べても大丈夫。腐ったチーズは少しお腹が緩くなる程度。腐った納豆と腐った玄米が大変。口に含んだ途端、”絶対に口へ含んではいけない”と直感する異様な臭いが鼻を突く。咀嚼してグイっと飲み込むだけで涙目に。おまけに激しく下痢を催す。一時間はトイレから出られなくなるぐらいの酷さ。唯一の救いは鯖缶の存在。缶詰だけは絶対に腐らないから安心して笑顔で食べられた。ライスは0点、笑顔は満点。ドキドーキ⭐️ワクワクは年中無休♪

暑くて辛い夏を乗り越えると、9月からは涼しい秋が、12月からは極寒の冬が到来。室温は10℃台、あるいはひと桁にまで落ち込み、食べ物に優しい気温となった。こうなったらもう食べ物は腐らない。玄米を胞子が覆うだなんてありえない。冬は最高だった。なんせ、ベランダが冷凍庫なのだから。夏の間に食べられなかった生ものをいっぱい買って愉しんだ。アイスも買った。めちゃくちゃ美味しかった。”北海道の冬は厳しい”と言うが、私にとっては食べ物が絶え間なく腐り続ける夏の方が厳しかった。越冬ならぬ「越夏」に苦しんだわけだ。

大学二・三年生:発酵玄米を食べても腹を下さなくなった

ヒトは過去から学ぶ動物である。失敗から得られた教訓を胸に刻み、同じ過ちを決して繰り返さぬことで漸進的に進歩していける。同じ失敗を犯すヤツは猿だ。いや、賢いサルならミスを繰り返さないだろう。腐った玄米を食べて腹を下したなら冷蔵庫を買えばいい。冷蔵すれば食べ物は長持ちする。暑い所に放置しているから腐る。それはビッグバン以来、銀河系で受け継がれてきた自然の摂理である。

二年目の私は昨夏の失敗を分析した。イグアスの滝のような下痢は如何にして引き起こされたか、と。家ではもちろん、講義中にも考え続けた。生死にかかわる問題である。授業どころではない。授業よりも食生活の問題の方が重要。一か月ほど考えた末、ついに結論を見出すに至った。腐った食べ物を”大量に”食べたがゆえに腹を下してしまったのだ、と。たくさん食べなきゃ腹を下さないはず。己の免疫力が打ち勝てる程度の腐食物なら無事に消化・吸収できるであろう。食物の質はこの際、問題ではない。大切なのは【量】。量が全ての鍵を握っている。一度に”たくさん”発酵玄米を食えば必ず腹を下す。少量なら大丈夫。ならば少量から慣らしていけばいい。下痢にならぬ程度の量から腐食物の摂取を始め、クリア出来たらその都度摂取量を増やす。食べられる量の限界をスモールステップで探る。命懸けの作戦だ。仕方がない。冷蔵庫を買うのは甘えだから。

夏が来た。とりあえず食事の量を春の半分に減らしてみた。半分ならどうか?腐った食べ物でも半分なら食べられるのではないか?腐ったキャベツと腐ったチーズ、それに腐った玄米を食べてみる… 翌朝まで何の問題もない。下痢は一切催さなかった。次は食料を一割増しにして挑戦。コレも大丈夫。何の不具合もなさそうだ。次は二割増し。ココで少し怪しくなった。下痢と緩い便の中間ぐらいの便が出るように。これ以上のチャレンジは危険かもしれない。私の消化器の限界は春の7割程度だと分かった。以降、夏場は七割の量を摂取し続けた。発酵食品を食べても腹を下さなくなった。胃腸が腐った食べ物を消化する仕様に変わったのであろう。消化器は使えば使うほど強くなってくるらしい。

翌年夏は春の七割を下限に実験再開。漸進的に食事量を増やし続けた結果、春とほぼ同じ量を下痢無しで消化できるように。相変わらず米はネバネバなまま。普通の人が見たらすぐに捨てるであろう酷い状態。しかし、特殊な訓練を三年積んだ私には難なく食べられる^ ^ この何とも言えない優越感に浸りながら、昼と夜、一人で腐った食べ物をモグモグと頬張る。ここまでくればもう冷蔵庫など不要。あったらあったで便利なのかもしれないが、私は無しでも生きられるから買う必要性を認めなかった。

大学四年生~大学院修士一・二年生:研究室に配属。研究室の冷蔵庫を使えるように

四年次に上がって研究室に配属され、冷蔵庫と全く縁のない生活が終わった。学生部屋に冷蔵庫が置かれていたのだ。冷蔵庫なんて久々に見た。「入れられた食べ物は絶対に腐らせませんから!」と言わんばかりな頼もしい顔。無論、私に冷蔵庫など不要。腐った食べ物を不自由なく消化・吸収できるようになったからだ。でも、、、折角なら使わせてもらおうかな。腐った食べ物より腐っていない食べ物の方がよっぽど美味しいに決まっているから。タッパーに入れた米を冷凍庫に入れて保存。食べたくなったらレンジでチンし、解凍してアツアツのご飯を頬張る。腐っていないご飯を夏に食べられたときの嬉しさったら最高。涙がこぼれ出た。お米があまりに美味しすぎて目から米が出た。チーズも卵も冷蔵庫に入れて保管。腐っていない、良好な状態の食料を食べられる歓びを全身で味わった。

いかんいかん。これでは冷蔵庫にベッタリ甘えてしまう。過去三年間で養った忍耐力を冷蔵庫ごときで失ってたまるものか。週に一度は腐った食べ物を摂取する日を意図的に作った。こうでもしなけりゃ冷蔵庫がなければ生活できなくなってしまいそうだったから。不味いな… いや、冷蔵庫に入れられた食べ物が美味しすぎるだけだ。冷蔵庫の中に料理人でも潜んでいるのだろう。扉を閉めた瞬間に壁から這い出てきて、再び扉が開けられる前に特性スパイスで味付けしてくれていたに違いない。

冷蔵庫があると夏でもアイスを食べられるようになる。食べたいときに冷凍庫の扉を開け、好きなアイスバーを好きなだけ食べられる。なんて贅沢な営みなのだろう。なんて幸せな、快楽あふれる人間的な行為なのだろうか。食べ物は痛まない。まして、腐るなど論外。欲しいな… いやいや!!無しで生きていかねばならぬ。天に誓った冷蔵庫不所持の誓いを一瞬の快楽のために無為にするのか?お前の言葉はそんなに軽のか?日本男児たるもの、自分の言葉に責任を持たねばならぬ。ならぬものはならぬ。買わない。どれだけ欲しくなっても買ってはいけない。

大学院博士一年生 (D1):そろそろ冷蔵庫が欲しくなってきた…

私にとって最大の誤算は、学生生活が七年目に突入したことだ。学士&修士課程 (4+2年)で大学院を出るはずが、気が付いたら博士課程 (3年)へと足を踏み入れてしまっていた。どれだけ欲しいものでも6年なら我慢できる。7年は厳しい。まして8年だなんて長すぎる。札幌の夏も徐々に本州と同じく湿度が上がってきた。一番暑い時だと気温32度・湿度70%といった感じ。気温は低いが、湿度のせいで体感気温が暑い。エアコンなしでは寝られない。一晩中エアコンをつけた結果、ものすごい額の電気代が請求される。

博士課程進学後、日本学術振興会特別研究員DC1 (学振DC1)に採択された。学振DC1とは、日本政府から月20万円の金銭的支援を受けながら大学院に通える制度。私の生活には月15万円もかからない。普通に暮らしているだけで月5万円余る。5万もあったら冷蔵庫を買える。毎月一台ペースで冷蔵庫を手に入れられる。自分が我慢をやめた瞬間に買える。一万円札5枚とヨドバシゴールドポイントカードを握りしめ、北大南門から徒歩3分のヨドバシカメラへ行けばいいだけ。こんな簡単なことがどうして自分にできないのか。冷蔵庫一つを買い渋っている人間が果たして将来の日本を支えられるのだろうか。

そろそろ冷蔵庫が欲しいなぁ。お金があるのに買うのを我慢しているだなんて今更ながら変に思えてきた。冷蔵庫は現代版・三種の神器の一角を占める家電。最強の刀「草薙剣」に相当するのが冷蔵庫。大半の現代人は当たり前に所持している。研究室に所属している学生は私以外、全員が冷蔵庫ホルダー。自分も欲しいなぁ… いや、ダメだ。まだ我慢しよう。

大学院博士二年生 (D2):もう我慢できない… 買おう

博士課程を早期修了することに決めた。通常は修了までに三年かかるが、研究論文をいっぱい出版できたおかげで一年繰り上げての修了が叶いそう。札幌の夏も今年が最後。就職したら流石に冷蔵庫を買う。冷蔵庫無しで過ごす夏は今年まで。はぁ。冷蔵庫なし生活は大変だったなぁ。腐った食べ物を食べ続けただなんて有り得ないわ。よく死なずに済んだよ。神様のご加護は偉大だなぁ…

就職したらどんな冷蔵庫を買おうか。ちょっとAmazonで冷蔵庫を見てみるか。いろんな冷蔵庫が売っているな。安いものは1万円台後半から買える。高いものだと30万円近くするらしい。こんなに大きな冷蔵庫があったら何でも入れられるじゃん。果たしてキャベツを何玉入れられるのだろうか。ハーゲンダッツなら100個は入りそうだ。

・・・

新生活を夢想しているうちに冷蔵庫が欲しくなってきた。あと一年、いや、あと半年我慢すれば就職先で新生活が始まるというのに、止められぬほど強烈な衝動が私を冷蔵庫購入へと駆り立てた。おいおい、いま買ってどうするんだよ。引っ越しのとき一緒に持って行けるの?ていうか、あと半年で終わりだぞ?!これまで七年半も我慢できたのに、あとたった半年ぐらい辛抱できないものか。自分へ冷静になるよう呼びかけるも、心の中のリトルかめは「冷蔵庫を買う」と言ってどうしても聞かない。仕方がない。冷蔵庫を買おう。引っ越しのときに処分することになっても構わないよう、なるべく安いやつを買うとするか。ヨドバシカメラで冷蔵庫を購入。8月6日、私の冷蔵庫無し生活は2685日で幕を閉じた。

冷蔵庫購入以降

家に冷蔵庫を導入して一番変わったのは、毎日研究室へ行かなくても構わなくなったことだ。家に冷蔵庫があれば、家の冷蔵庫に食べ物を入れられ、家とスーパーの間だけで食生活が完結する。これまでは研究室の冷蔵庫に食料を入れていたので研究室へ食べ物を取りに行かざるを得なかった。毎日研究室へ来る私を見て、他の学生や先生は私を”大変研究熱心な学生”と見ていたようだ。実態は違う。冷蔵庫の中に入れた食べ物を取りに行くために研究室へ行かざるを得なかっただけ。私だって好きで毎日研究室へ行っていたわけではない。行かなくて済ませられるなら行きたくはなかったさ。冷蔵庫導入後、用があるときだけしか研究室へ行かなくなった。四年間研究室皆勤賞の模範的大学院生が、いつの間にか週に2日しか姿を現さぬとんでもないダメ学生に変貌。

また、家でアイスを食べられるようになった。食べたいときに冷凍庫の扉を開け、473 mLのハーゲンダッツアイスクリームを幾らか食べる。快楽物質が止めどなく溢れ出てくる。幸せすぎる。気持ちが良い。アイスを口に含んだ途端、エンドルフィンを飛翔エネルギーとする天使数名が私を天国へと誘う。現世でもう少しやるべきことがあるので、”申し訳ないが”と天使からの誘いを断っている。今までの自分はちっぽけなプライドのせいでこれほど深い幸せを享受せず生きてきたのか。愕然とした。もっと早く冷蔵庫を買えばよかった。

最後に、食べ物の作り置きができるようになった。三食分の料理を一気に作り、一食はすぐに、もう二食は冷蔵して翌日食べるといった感じ。一食分より複数食分作った方が一食あたりの食費を安くできる。冷蔵庫のおかげで調理の労力が減り、食費を抑えられる信じがたい成果が顕れた。電気代はせいぜい月に数百円。ほかの費用が下がっているから電気代など余裕でペイしているだろう。

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