博士課程早期修了への道†8 A報投稿、B報執筆完了!見えてきたぞ、早期修了!

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半年越し!やっとA報を投稿へ

D1の春休みに原稿を完成させてから投稿するまでに半年かかった。その間、論文の骨子が根本から破綻したり1、追加実験を行ったり2、関係各所とのディスカッションで原稿の無限修正編に突入したり3した。本当に大変だった。研究が心底嫌いになった。一報の論文を出すのになぜこれほどまでに辛い思いをしなくちゃならぬのか。一生懸命書いたからといってバズるわけでもなくない。歴史の荒波に呑まれ、風化し、いつの間にか存在を忘れられて消えていくだけなのに。半年もあればブログを100記事は書ける。リジェクトなど無い。投稿許可はサイト主の自分が出せる。ブログの方がよほど人助けになる。論文はいくらたくさん書いても人の役に立つか分からない。

博士課程進学を選んだのは自分。D進した以上、論文を書かざるを得ないのは分かっていたはずだ。たとえ論文執筆がどれだけ過酷でも、そこで味わう辛さを甘受しなければならない。自分の中で咀嚼し、吸収し、前へと進むエネルギーに変えて一歩ずつ歩かざるを得ない。こんな時に彼女でもいれば「助けてぇ~…」と泣きつけるんだけどな。私の心を癒してくれるのはYouTubeで見る可愛いネコの動画だけ。ちなみに私は生粋の猫派。犬は柴犬を除き、動物として認めていない。柴犬以外の犬は、ネズミーランドのハゲネズミと同列に扱う。犬は怪物だ。やたら滅多にワンワン吠えまくってうるさい。柴犬はモフモフしていて可愛い。アイツだけは動物と認めてやってもいい。

YouTubeでネコ動画に癒されながらA報を仕上げる。英文原稿を書き、先生からタコ殴りにされ、もう一度ブラッシュアップして校正会社へ渡す。校正された英文を確認して投稿へ。投稿先はJournal of the Electrochemical Society [JES]。指導教員が投稿を許可してくれた中で最もグレードの低い学術雑誌。今回ばかりはビッグジャーナル行脚4をしている暇はない。予備審査会まで4か月しかない以上、少しでも上のインパクトファクターを目指してビッグジャーナルへの掲載を狙う時間はない。8/18 (日) 、JESへ投稿した。半年越しの投稿。何だか肩の荷が下りて楽になった気分^ ^

B報原稿執筆完了。指導教員とのディスカッションも終えた

A報投稿直前に指導教員から『待った』が掛かり、A報投稿が1か月遅れてしまった。結果的に『待った』は妥当だった。あのままの出来でA報をJESに投稿していたらリジェクトされていたかもしれない。先生には感謝しなくちゃならない。いつも本当にありがとうございます。先生は私に嫌われるのを覚悟した上でストップをかけてくれたのだろうと思う。教員って尊い職業だな。私のようにクソ生意気な学生を卒業まで面倒を観なきゃいけないだなんて大変。

先生に対しては感謝している。しかし、先生によってB報の投稿まで遅らせられるわけにはいかない。B報を投稿した瞬間に早期修了要件を満たす。なるべく早くB報を投稿しなくては早期修了計画に差支えが生じる。B報を投稿しなくてはいつまで経っても博士課程を出られない。B報投稿の遅延はメンタルに悪い。ゴールまであと一歩のところで足踏みさせられ続けるのは辛い。早期修了を決定付けてしまいたい。大学院を出たい。会社に就職したい。地元の広島に帰って羽を伸ばしたい。

先月からB報の原稿執筆に着手。今月初旬、第一稿を書き終えた。今までだったら国研の共同研究者さんに見せていた。私の研究分野について、指導教員より共同研究者さんの方が詳しいからだ。今回はまず、原稿を指導教員へ見せた。先生とのディスカッションを済ませ、先生に『待った』をかけられる要素を無くしたうえで共同研究者さんに見せればスムーズだろう、と。A報作成時と同じぐらい詰められるかと思ったら、今度は案外スムーズに進んで拍子抜け。書き直し箇所は微か。あっという間に議論を終え、共同研究者さんのもとへ原稿を送ることができた。これだけ早くOKが出たのは、自分の論文執筆力が向上したおかげなのだろうか?それとも、指導教員は再び投稿直前に待ったをかけるつもりなのだろうか?いずれにせよ、考えても仕方がない。共同研究者さんとの議論を通じて原稿をブラッシュアップしていくだけだ。

博士論文のイントロ執筆に着手

博士課程の早期修了が現実味を帯びてきた。A報がアクセプトされ、B報のステータスが「投稿中」へ変わった瞬間に飛び級のGOサインが灯る。そろそろ研究の総まとめに取り掛かろうか。研究論文の執筆はおしまい。あとは博士論文を書き上げて提出するのみ。いまの段階で記せるのはイントロだけかな。本編や結論はB報完成後に構成を考えた方がスムーズだろう。

指導教員曰く、博士論文は英語で記さねばならないらしい。日本人が日本の大学で日本の科学予算を使って研究したのに、その総決算をなぜ異国の言語で記さねばならぬのか意味不明。英語で書いたって日本人の大半は読めないじゃないか。後輩だって読めない。英語で何百ページもある論文なんて読む気にならんでしょう。せめて博士論文だけは日本語で書かせてよ。日本人なんだから母国語の日本語で書きたい。こういう所から言語が失われていくのだろうな。日本人が日本語を捨てたら世界から日本語が消えてなくなってしまうじゃないか。文化的側面から何日間も抗議したが、『英語で書け』との一点張りで話にならなかった。いいさ、別に。日本語と英語の両方で作成し、日本語バージョンだけ研究室に残して出ていくから。

日本語にせよ、英語にせよ、これまでの仕事にふさわしいイントロを書きたい。修士論文のコピペではなく、全くのゼロからオリジナルの文章を作るつもり。日本神話の【国生みの物語】から書き始めてやろうか。引用文献番号[1]は歴史書・古事記にしよう。謝辞は「天照大御神に捧ぐ」で締めくくる。伊勢神宮内宮の宇治橋の写真を載せれば完璧だな。夏季休暇のうちにイントロを仕上げたい。10・11月は学会と予備審査の準備期間に充てなきゃいけないから。

脚注

  1. 博士課程早期修了への道†5 論文の骨子が完全破綻。新しい研究計画も共倒れ。早期修了に暗雲が立ち込める ↩︎
  2. 博士課程早期修了への道†6 毎日フルスロットルで実験。博士論文用のデータを全て集め切るも、未だにA報が片付かない ↩︎
  3. 博士課程早期修了への道†7 A報投稿間近。B報執筆見切りスタート。あと6か月、何が何でも走り切る ↩︎
  4. 学術論文が四回連続のリジェクトを経て五度目にアクセプトされるまでの一年間【ビッグジャーナル行脚の果てに】 ↩︎

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