試験前日
会場下見

試験当日にドタバタしないよう、起床から会場入りまで事前にシミュレーションしておくことにいたしました。
- 朝5時に起床して
- 軽く体幹トレーニングを行い、シャワーを浴びて
- コンビニに行って朝食を購入し、部屋に帰って朝食を摂り
- 7時15分ごろホテルを出て
- さっぽろ駅から地下鉄南北線で北18条駅まで向かい
- 駅から西方面へ歩く
このようにして、実際に北大の試験会場前に辿り着けるのを確認しておいたのです。
ホテルから会場までの所要時間は約30分ぐらいだったと記憶しています。
二次試験開始は08:40であり、試験の1時間前には試験教室に入っていたかったので、翌日はもうあと10分程度速く出発する必要があると判明しました。
外で行動してみて感じたのは、屋外に出ている時間が短いため、そこまで寒いわけではないという点でした。
むしろ服の下は暑いぐらいで、ヒートテックじゃなくてエアリズム等の薄い下着の方が快適なのではないかと考えられました。
ただ、ヒートテックは暑けりゃ脱げますが、エアリズムを着て行って寒さを感じた時には手の施しようがありません。
そこで、試験本番は予定通り、ヒートテックを身にまとってテストに挑むと決めました。
試験会場前の時計を見ると、まだ8時にもなっていませんでした。
このままホテルに帰っても手持ち無沙汰になっちゃいますから、少し北大構内を散策してみようと思い立ちました。
メインストリートを南進し、北図書館の交差点を右折しました。
ラクロスコート→陸上競技場と道なりに歩いて行き、赤ふんどしで有名な恵迪寮の前に到着しました。
学生寮を目の前にすると、YouTubeで寮生が寮の窓から雪山に向けて飛び降りる動画を見て、(世の中にはこんなにクレイジーな奴らが存在するのか…)と衝撃を受けた事をまざまざと思い出しました。
もしかしたらあの衝撃の光景を垣間見られるかもと思って5分ぐらい寮の窓を眺めていたものの、その日は雪山にダイブする寮生はいなかったようでございました。
北大構内を西側から出て、今度は馬術部方面へ足を運びました。
馬術部前に辿り着くと、50cmほど積雪している馬場の中を馬が一生懸命走っていました。
私は小さい頃に一度だけ北海道で外乗(ホース・トレッキング)をした経験があって、あまりに一歩一歩の反動が大きくて振り落とされそうになったのを思い出しました。
馬からしても雪の中を走るのは肉体的に大変だろうから、(雪の中で調教される北大の馬はものすごくタフなのだろうなぁ)と一人で妄想を繰り広げていました。
馬術部前から東へ進み、地下鉄で北24条駅からさっぽろ駅に向かいました。
改札を出て時計を見るとまだ11時にもなっておらず、札幌駅を徘徊するか/ホテルに帰るか逡巡した末、超スローペースでホテルに戻ることにしました。
札幌駅を南口から眺めると、地元の中心駅・広島駅より遥かに大きい点に思い至りました。
札幌にまだ新幹線が乗り入れていないのにこれだけ建物が巨大なのだから、(札幌駅が新幹線駅になったら一体どうなっちゃうんだろう?)と、期待でムズムズ・ウキウキしました。
近くのコンビニで昼食を買い、ホテルに戻ってむしゃむしゃと食べました。
その日の午後からは、持参したテキストの総復習にとりかかりました。
テキストの総復習

前述の通り、浪人時代の目標は総合理系主席合格でした。
落ちる恐怖と戦いながら合格最低点越えを狙って勉強していた昨年と違い、浪人時代は当落線上の勝負ではないため割と気負わず勉強できました。
また、浪人時代のセンター試験(現:共通テスト)での獲得点数は総合理系配点で255/300と芳しくなく、センターリサーチでも総合理系80位程度と主席からは程遠い成績でした。
センターの点数がもし1位だったら二次試験で守りの姿勢を取ってしまったでしょうが、80位から1位を狙うのに守りもへったくれもないだろうから、あくまで挑戦者として一点にこだわり、攻めて攻めて攻めまくるアグレッシブな姿勢で逆転首位を勝ち取るつもりでした。
主席合格を達成すべく、試験当日へ脳の調子を合わせにいきました。
最終調整として総復習を行い、取り出したい知識を脳からすぐ引き出せるよう、知識を加工・整理していきました。
まず、英語に関しては以下の2つを実行しました。
- 北大英語15か年を英語長文だけ全文速読(150~180 word/min)
- システム英単語(シス単)の全フレーズを日本語から英語へ瞬時に変換
北大英語は処理速度が命のため、英語を英語のまま理解できるよう、実際に出題された英文のレベルに目と頭を順応させておいたのです。
また、シス単で入試頻出単語の意味を入念に確認し、単語を見たらすぐ単語のイメージを想像できるよう、思考回路を活性化させた。
英語に関してはそこまで不安を抱えていなかったので、最終調整は軽めに留めました。
英語の次は数学に取り掛かりました。
数学の最終調整として、以下の3つを行いました。
- 新数学スタンダード演習IAIIB・IIIを流し読み
- 北大数学15か年を流し読み
- 北大数学50か年の複素数&確率分野だけ解き直し
まず、浪人時代の一年間に繰り返し解いてきたスタンダード演習を読み、(今までこれだけ多くの問題をモノにしてきたんやなぁ…)と感慨に耽っておきました。
次に、北大数学の赤本を開き、問題を見た瞬間に解答方針が頭に浮かぶ事をちゃんと確かめておきました。
最後に、北海道大学数学入試問題50年(註:絶版)という超分厚い問題集を使用し、試験で出題されたら困りそうな問題を数問だけ解きました。
理科の調整に関しては、持参した問題集を眺める程度にしておきました。
というのも、浪人時代に大量の演習をこなしたおかげで、理科にものすごく自信をつけていたからでございます。
現役時代から何度もやってきた名門の森と化学重要問題集をパラパラとめくり、(コレを簡単と思えるなら北大の問題は楽勝だな^^)と翌日の戦いを楽観視しました。
事実、北大の問題は上記2つの問題集より2ランクほど簡単なため、理科については容易に乗り越えられるシナリオが頭の中で描けました。
全教科の最終調整が完了し、コンビニで夕食を調達した。
でっかいおにぎりを頬張りながら、一年間の浪人生活を振り返ってみました。
回想

ベッドで横になり、回想を始めると、京大に落ちたあの日の悔しさがふつふつと鮮明に蘇ってきました。
中3から京大だけを目指して4年間勉強してきたため、不合格になったショックは相当なものでございました。
不合格から一か月ほどは悲しさでシャーペンが手につかず、浪人期の4月後半に入試成績を知ってようやくショックから立ち直ったのです。

あと数点届かなかった合格ライン、次はぶっちぎりで超えてみせるぞ…!
と、私の闘争心に火が付きました。
5月~8月末までは入試直前期並みに勉強しました。
その甲斐あって夏の京大オープンは農学部A判定(冊子掲載)。おまけにマーク模試との合計点は昨年度の合格ラインを余裕で上回る結果でした。
ただ、私のエネルギーはここで尽きました。
自分のキャパを上回るほど精神にストレスをかけ続けたせいで体が耐えられなくなってしまい、このまま京大を目指していては試験を受けに行くことすらままならぬほど心が擦り切れていたのです…
そこで、このままの学力を維持して合格できる大学を目指すことに決めました。
いくつか候補があった中で、一番キャンパスが私好みな北海道大学に照準をカチッと定めました。
大変失礼な物言いですが、北大に合格するのは正直(余裕だ)と思っていました。
河合塾の全統記述模試では総合理系で常に一桁順位だったし、気の緩み以外で落ちる要素が全く見当たらなかったのです。
そこで、何か目標を定めて挑戦しようと思い、主席合格を目標にしました。
ターゲットまでの距離を測るため、10月末に行われた北大オープン模試を受験しました。
模試の結果としては、総合理系3位、受験者全体で40位でした。
一位との差は10~20点ほどで、“十分狙える目標だな”と確信しました。
センター試験で9割(270/300)を取るとして、二次試験で360/450取れれば総合理系主席になれると考えました。
点数の配分としては
- 数学:130/150
- 英語:110/150
- 理科:120/150
このような形を想定しており、特に数学で失敗しないよう、沢山の演習を積んでいきました。
残念ながらセンター試験でコケてしまい、予定より15点低い点数を取っちゃいました。
だからといって主席合格を諦めるわけにはいかなかったから、数学で満点を取るつもりでこれまで苦手分野を各個撃破してきたのです。
明日は自分の全てを出し尽くす。出し惜しみなどせず、開始から終了まで突っ走ってやる。
もし疲れて動けなくなっても、北大病院に連れて行ってもらえばすぐ元気になるだろう…!
決戦を前にして戦意が昂じ、それを押さえつけるようにして一日を終えました。
試験当日編に続く…
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