「博士号ってなに?」と聞かれたら、この話をしようと思う

D進希望の後輩Aさん

博士号って、聞くだけで知のラスボスみたいな雰囲気がありますよね。先輩はそのラスボスを倒したんですよね?

かめ

倒したというより、何度も地面に転がされて、そのたびに立ち上がってたら、最終的にラスボス側が“まあ、合格でいいか”って言ってくれた感じだよ

後輩のAさん

そんな感じでクリアするんですか
もっと壮絶な一騎打ちかと思ってました

かめ

壮絶ではある。けど見た目は地味。ひたすら机に向かったり、実験器具を洗ったりしながら、じわじわ削られていく戦いだね

後輩のAさん

地味な消耗戦が続くタイプのラスボス……
それはそれで手強いですね

かめ

手強いというより、逃げ道が少ない。だから博士課程を終える頃には、称号というより、人生の深い部分が擦れて残った火傷の跡みたいな感触が残るよ

後輩のAさん

火傷の跡。とんでもなく生々しい比喩なのに、どこか魅力的ですね。博士号って、そんなに人を変えるんですか?

かめ

自然と変わるよ。研究は寝不足やトラブルだけじゃなく、自分の価値観や覚悟にまで踏み込んでくる。気が付くと、何を大切にして生きていきたいのか、みたいな問いが、勝手に心の奥に置かれている。博士号は、そういう知との対話の先で見えてくる景色なんだ

後輩のAさん

博士号には、研究者の哲学がにじむんですね。どんな景色か、すごく気になります

かめ

じゃあ、そこから話していこう。話していくうちに、博士号の本質が少しずつ見えてくるはずだよ

目次

人類の地図に、ほんの少し線を足すということ

Wahyudin Syam © 2024
後輩のAさん

博士号って、やることを全部終えたらもらえる称号みたいに思ってましたけど、そういう単純なものじゃないんですよね

かめ

うん、少し違うね。博士号を得るには、博士課程にいる間に学術論文をいくつも発表して、仕上げとして博士論文の審査を通過する必要がある。これらは作業リストというより、研究者としての力を見定める道のりに近い

後輩のAさん

見定めるって、具体的にはどんな力が見られているんですか?

かめ

知の領域を前へ押し出す力だよ。筋力テストというより、未知の扉を自分の手で開けられるかどうかを試される感じかな。
学術論文に書かれる内容は、人類史上で初めて報告される知見。新しい現象、高性能な材料、革新的な方法論など、どれも厳密な実験と深い考察で組み上げられている

後輩のAさん

“初めて”っていう一言の重さがすごいですね

かめ

初報告の知見は、分野全体の地図を書き換える力を持つ。研究者たちは、全員でその地図を少しずつ広げてきた。論文が発表されるたびに、人類の“わかっている範囲”が更新されていく
博士課程で論文を出し続ける作業は、みんなの地図づくりに参加することそのものなんだ

後輩のAさん

既存の知識を組み合わせるだけじゃ足りない理由がよくわかりました。地図はコピーじゃ広がらないですもんね

かめ

そういうこと
新しい視点や方法が示されると、分野は質的に変わる。量を積んでも届かない領域があって、博士号の価値は、その質的更新に関わった人間に授けられる点にある

後輩のAさん

博士号って、学界からの証明書みたいな役割を持ってるんですね

かめ

認証書と言ってもいいね。『この人は未知の領域に踏み込み、知の地平を実際に押し広げました』という証明書。学士や修士は既知の知識を学び、それを活用する段階にあるけれども、博士はそれからまだまだ先で、新しい知を生み出した者に手渡される

後輩のAさん

となると、先生に情で頼みこんでも無理ってことか

かめ

情は研究の世界では武器にならないよ。博士号は、知的遺産を実際に残せたかどうかに尽きる。能力そのものが審査されるから、そこに嘘は紛れ込まない

後輩のAさん

潔い世界ですね。だからこそ、博士号って響きに重みがあるんだなと感じます

かめ

研究で生まれた一粒の知は、小さくても確かに前進を作る。博士号は、そうした“前へ進めた経験”の積み重ねの先に見えてくる称号なんだ

“まだ半人前”から始まる、研究者という生き方

後輩のAさん

博士号って、新しい知をつくった証なんだっていうのはよく分かりました。でも“研究者として一人前になった証”とも聞きますよね。博士には若い人も多いし、一人前かどうかはちょっとよく分かりません

かめ

その感覚は自然だと思うよ
博士号を取ったからといって急に人生経験が豊かになるわけじゃない。ただ、博士号持ちには世界で誰も知らなかったことを、自分が最初に解き明かしたという経験がある。この一点は研究者としての背骨をつくるんだ

後輩のAさん

背骨、いい言い方ですね。未知の扉を開けた経験がある研究者って、たしかに芯が強そう

かめ

誰も見たことがない景色を一度でも見たことのある人は、研究への向き合い方が変わる
研究の世界では、前に進んだら次の瞬間に誰かに追いつかれるし、油断したらあっという間に抜かれる。今度は自分が必死に追いかける番になる。そうした流れが延々と続く

後輩のAさん

ちょっとしたマラソンですね。しかも世界中のトップランナーと走るやつ

かめ

そうだね。順位に意味があるというより、みんなが同じ地平へ向かって走り続けている状況が大切なんだ。誰かが一歩前へ進めば、その一歩が分野全体の基準になる
博士号を持つというのは、知的活動のバトンを受け渡す、アカデミックなリレー競技の正式な選手になるってことなんだ

後輩のAさん

日本代表のユニフォームを渡されるような気持ちになりそうです

かめ

その比喩、意外と合っているかも
博士人材の活動は、そのまま分野の未来に反映される。良い研究が増えれば日本の研究力は伸びていくし、停滞すればそのまま世界との距離が開く。博士号は、専門分野の明日を担う立場に立った証なんだよ

後輩のAさん

博士を取った瞬間から、背負うものが大きくなるんですね

かめ

そうかもしれない。でも、それを重荷と感じる必要はないよ。博士を取ったばかりの研究者は経験も少ないし、半人前と呼ばれることもあるから、これから何年もかけて力をつけていけばいいんだ

後輩のAさん

企業で働く博士にも、その積み重ねは必要ですか?
先輩は企業に行ったみたいですし

かめ

もちろん必要だよ。アカデミアから企業に環境を移しても、専門性を自分の力で広げていく意識は同じだよ。研究者なら論文で貢献する。企業なら技術開発や制度づくりで貢献する。博士号は、自分の専門領域をひたむきに拡張していく人にこそふさわしいんだ

後輩のAさん

そう聞くと、博士号って、「ここから本格的に歩き始める」という意味にも感じますね。学位授与式で第一の人生を終え、新天地で第二の人生がスタートする…

かめ

まさにそこだと思う
博士号は、研究者としての生き方が本格的に始まる節目なんだよ。専門を深め、社会へ還元し、未来へ向けて少しずつ知を積み重ねていく。博士号を持つ人は、各々がそんな道を歩んでいるんだ

博士課程がくれた、「哲学」という軸

後輩のAさん

先輩はよく「博士課程はきつい」って言うじゃないですか。あれって、やっぱり相当なんですか?

かめ

正直に言うと、かなりきつい

後輩のAさん

どれぐらい…?

かめ

深い海の底で、たった一人、光を探し続けるような感じ。研究が難しいというより、あらゆる試練が積み重なってくる。博士課程には、思ってもいない落とし穴が、次から次へと現れるんだよ

後輩のAさん

落とし穴って、たとえばどういうものですか?

かめ

そうだね。自分の例だと、D1の後期に、投稿中の学術論文が四回連続でリジェクトされた。このときはさすがに心が折れかけたね。「これ本当に意味あるのかな」って深夜にアパートでぼんやり考えたこともある

後輩のAさん

四回って…
一回リジェクトされるだけでも辛いのに

かめ

他にも、論文が投稿目前で論理不整合により全編書き直しになったり、留学先で全然うまく研究できずに落ち込んじゃったり。博士課程は、努力した分だけ結果が返ってくる場所じゃないから、常に精神的に揺さぶられるんだよ

後輩のAさん

それはしんどい。でも、そういう経験って、逆に博士課程の象徴みたいにも感じますね

かめ

そうなんだ
博士課程で一度も(辞めようかな)と思ったことがない人はいないんじゃないかな。辞めるという選択肢はいつも目の前に置いてあって、ふとした時に誘惑してくる。苦しいときに踏みとどまれるかどうかが、その人の資質を決めていくんだろうね

後輩のAさん

誘惑に勝ち続けた結果が博士号、という感じなんですね

かめ

うん。もちろん、辞めた人が劣っているわけでは全くないけれど
博士号を持つ人は、研究者としての技量だけじゃなくて、いろんな試練を越えてきた経験がある。だから博士号取得者同士で一緒にいると、言葉を交わさずとも「ああ、あなたもあの地獄を越えてきたんですね」と妙に連帯感を覚えるんだわ

後輩のAさん

戦友、みたいな感じですか?

かめ

近いよ。研究の内容はそれぞれなのに、なぜか共有されている痛みがある。誰も口にしないけど、誰もが感じている
博士課程って、研究を通して人生そのものを深く見直す時期にもなるんだよ

後輩のAさん

人生を見直す?

かめ

研究が行き詰まったり、実験がうまくいかなくなったりすると、ふと“幸せって何だろう”とか“自分は何を大切に生きたいんだろう”と考えたくなる瞬間がくる。研究者になるつもりが、いつの間にか哲学者になっている。そういう意味では、研究って、ただデータを出す以外にも、自分自身と話す時間でもあるんだ

後輩のAさん

先輩、今日ちょっと詩人っぽいですね。でも、なんとなく分かります。自分の選択とか価値観とか、自然と問い直すことになりそう

かめ

そういう問いは、研究者にとってすごく大事なんだ
博士号はPh.D.とも呼ばれている。正式名称は Doctor of Philosophy、つまり「哲学博士」なんだよ。博士号を取るっていうのは、研究の哲学に加えて、当人の人生哲学が芽生えた証でもある

後輩のAさん

へぇ~

かめ

博士論文の審査では、研究の細部だけじゃなくて、その研究をなぜやったのか、そこにどんな意味を見出しているのか、そういう深い部分も問われるんだ

後輩のAさん

自分の研究の“背景の背景”みたいなところまで聞かれる感じですね

かめ

その通り。質問にしっかり答えられるかどうかは、知識だけでは足りない。研究に対する覚悟とか、自分なりの価値観が定まっていないと耐えられない。博士課程の学位審査は、【自分自身を言葉にしてみせる試練】でもあるんだ

後輩のAさん

博士課程は、単に知識を深める場所じゃなくて、自分の哲学が育つ場所なんですね

かめ

そうそう、そういうこと
博士課程を経験すると、多くの人が否応なく哲学的になる。矛盾や困難にぶつかったとき、何を正しいとするか、どう判断するか、徹底的に考え、自分の軸ができていく

後輩のAさん

博士課程って、研究も大変だけど、人としての密度も濃くなりそうですね

かめ

濃いどころじゃない

後輩のAさん

ドロドロ?

かめ

そう、ドロドロ。いや、ネバネバ…?
博士課程の数年間は、自分の内側をひっくり返しながら進むような時間になる。だからこそ、博士号は人生の節目になる。もし人生についてじっくり考えてみたいなら、博士課程は想像以上にいい場所だよ

後輩のAさん

研究しながら人生を見つめ直す……
不思議だけど、すごく豊かな時間ですね

かめ

博士号は、単なる学位じゃなくて、そういう時間をくぐり抜けた証。だから、取得できたら胸を張っていい。博士課程で得た哲学は、これから先の人生で必ず道しるべになるんだからさ♪

まとめ

後輩のAさん

ここまで話を聞いて、博士号の印象がすっかり変わりました。
博士号は、研究の最高学位というより、もっと人間的で、もっと深い意味を持ったものなんですね

かめ

うん。博士号って肩書きだけ見ると硬いけど、実際はもっと生き物みたいな称号なんだ。そこには知の探求の歴史も、本人の苦しさも、喜びも、迷いも、酸いも甘いも全部詰まってるから

後輩のAさん

博士号って、すごく静かで、とても熱いものかもしれません。知の世界と、自分の人生の両方について、自ら舵取りをしていくという意味で

かめ

その通りだよ
博士号は終わりじゃない。むしろ“ここからどこまで進める?”って、世界から投げかけられた挑戦状みたいなものだ。これから先も、自分の専門を愛しながら、時に悩みつつ、歯を食いしばって前に進んでいくんだ

後輩のAさん

重くて、明るい。難しいけど、前向き
素敵だなと思いました

かめ

そう感じてもらえたなら十分だよ

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