東京遊覧
先月末の金曜日、会社員になってから三度目の有休を取った。有休のたびに日本各地へ赴き、日頃のぽんぽこりんな業務で負った疲労を回復させている。どこかへ行くと、どこかに行ける。旅は心を内側からリフレッシュし、頭を外側からリフレッシュしてくれる。リフレッシュなんて、なんぼやってもいいものです。筋トレと一緒で、心は負荷から回復していく過程で強くなるのだから。
会社員生活はマンネリ化しやすい。自ら進んで変化を求めに行かなければ、これから何十年も同じような生活になってしまう。
私はメーカーで開発職に従事している。毎日同じ場所へ通勤しており、正直言って、もう飽きてしまった。駅まで歩いて通うところを、ほふく前進で向かう日もある。最近は会社までのタイムアタックを始めた。どれだけギリギリに家を出られるかのチキンレースを自らに課している。ときどき、乗らなければならない電車を余裕で乗り過ごしてしまうこともある。それも含め、通勤にハラハラドキドキ要素を織り交ぜ、心に起伏をもたらしている。
かつての自分にも強い上昇志向があった。もっと良い研究がしたい、もっと高い給与が欲しい、もっとたくさんの彼女が欲しい、などと妄想を繰り広げていた。七カ月間の会社員生活を経て、上昇志向がほとんど消え失せた。上を目指し続けると疲れてしまう。上を見続けると首が痛くなる。それに、これから何十年間も成長し続けるなんて無理だ。いまの自分は、平凡な日々に感謝し、何気ない平和に至福を感じるフェーズに入った。悟りまでもうあと1マイル。


今回のUQでは東京に行った。港区女子の生態系観察と、サッカーのルヴァンカップ決勝応援のために。
通勤ラッシュ真っただ中の広島駅へ。弊社の社員が在来線でじっくりコトコト会社を目指すなか、満面の笑みで一歩一歩かみしめるようにして新幹線乗り場へ。広島県外に出るのもUQのときぐらい。普段はランニングとサッカー観戦で大忙しで、なかなか旅行に繰り出せていない。ここぞとばかりに遠出を目論む。遠くに出かける口実を作ってくれたサンフレッチェには心から感謝したい。
広島-東京間は新幹線で3時間50分。カップヌードルを80個作れるだけの時間がかかる。広島は『四時間の壁』の内側にある。東京へ向かう人の七割近くが新幹線を選ぶ。個人的には飛行機の方がいい。いくら壁の内側にいるからとはいえ、四時間弱も椅子に座るのは苦痛極まりない。第一、四時間も椅子に座っていたら、椅子になってしまう。ホモサピエンスとして生まれ落ちて無機物と化すのは残酷すぎる。


広島を07:43に発った。10時ごろ、名古屋に着いたあたりで、意識が混濁し始めた。どうせだったらスッキリ眠ってやろう。カップヌードルが一匹、カップヌードルが二匹、カップヌードルが三匹… そういえば、カップヌードルなんて久しく食べていない。高三の冬は毎日食べていたのにな。北大志望に切り替えた浪人期は、札幌ラーメンの袋麵を毎日食べて願掛けをしていた。美味しかったなぁ。塩辛かったなぁ。ぐっすり眠るつもりだったのに、味覚が刺激され、唾液が口から胸元へ大氾濫した。
定刻通り東京に着いた。ホテルチェックインまでまだ3時間以上もあり、その辺をブラブラ散策して時間つぶしを試みる。
東京には外国人が多い。ひょっとすると、日本人よりも多いかもしれない。観光客っぽい外国人も多いが、日本に住んでいそうな外国人もたくさんいる。東京は1400万人都市。ロンドンやニューヨークよりも大きな、世界最大規模のメトロポリタン。日本でも東京だけは世界都市。人の密度も、人種の多様性も、顎を削りすぎて食材咀嚼力を喪失した港区女子の人口密度も桁違い。

皇居前の高層ビル群を歩きながら見上げた。どこまでも、どこまでも摩天楼が続く。あっちもビルならば、こちらもビル。ビルが無い所には巨木が立っている。広島にこのような場所はない。最も栄えている紙屋町あたりでも、背伸びすれば屋上に手が届く程度のビルばかりだ。東京は広島とはスケールが違う。我らがホームタウンよりも、むかし住んでいた札幌よりも、都市としてのボリュームが五段階は上だった。
三菱商事の本社ビルが見えた。遠巻きに眺めていると、ランチに出かけるのであろう商社マンが何グループか出ていった。あれが年収2,000万円プレイヤーか。自分と同じサラリーマンのはずなのに、彼らにオーラを感じたのは気のせいか。背中からどことなく「陽」の雰囲気が漂う。一挙手一投足が麗しく、眩しかった。自分とは住む世界が違う。彼らとは関わることも無いのだろうな。
丸善東京本店にも入ってみる。四階建てで、1Fには資格や自己啓発本が並んでいた。どこを見てもお金の本がある。カネ! 投資! NISA! とやかましい。この空間に居るだけで疲れる。静けさを求めて2Fへ上がる。
広島と違い、東京の丸善は、カバーが派手派手しいものを優先的に平積みしている。視覚的刺激に訴えて購買意欲をかき立てる作戦だろう。YouTubeのサムネを見ている感覚になった。東京民には適度な刺激かもしれないが、一時間前に上京したばかりの27歳独身異常男性からすれば刺激が強すぎる。心が安らぐはずの小説コーナーに行ってもダメ。本が刺激的な帯をまとってこちらに顔を向け、「俺を買ってくれ!」「アタシの方がいいわよっ!」と自己主張してきた。しんどくて、耐えられなくなって、立ち読みすることもなく出てきた。


書店に気力を根こそぎ吸い取られ、グッタリしてしまった。フラフラしているうちにホテルのチェックイン可能時間が迫ってきた。散策を切り上げ、山手線で秋葉原へ。当然、車内も刺激だらけ。広告や宣伝の喧しいこと、深夜に広島中心街を駆け抜ける暴走族のごとし。
東京は、人々を消費活動へと駆り立てる仕組みであふれている。「お金を出したらこんなに良い思いができますよっ!」と盛んに訴えてくる。反対に、消費せずじっとしている人に対しては、「何もしなければ周囲に差をつけられてしまうよ!」と不安を煽り立てる。
人間同士は、本来、仲間である。蹴落とす対象ではなく、手を取り合って楽しく生きていくための友好的対象なはず。果たして我々は誰と(何と)競争させられているのか。資本主義も煎じ詰めればこうなってしまう。東京に居ると、幸せの本質を見失いかける。恐ろしい街だ。私に東京は、合わない。
実は、高校生の頃から「東京にだけは行きたくない」と考えていた。物価が高い。自然が少ない。人が多すぎて酔う。確かに、東京の企業は給与が高い。高い賃金を得る見返りに、人として失ってはならない””何か””を捧げなければならない。私にとっては、広島や札幌ぐらいの都市規模がちょうど良い。便利だし、混みすぎない程度に賑わい、自然もあって、麺の入った真正お好み焼きもある。今後も東京にだけは住まないだろう。移住するなら、札仙広福のうち、まだ住んだことのない仙台か福岡にしたい。
一年半ぶりのつくばエクスプレス(TX)。筑波訪問は、D2の6月に国研を訪れて以来となる。どうしてわざわざ筑波にホテルをとったのか。研究に情熱を捧げた日々の余熱がまだ残っているうちに再訪しておきたかったから。会社員になってこの街を訪れて、筑波が自分の眼にどう映るのか。研究とは無関係に筑波を眺めたとき、何を感じ、どう想うのか、確かめておきたかった。
TX車内は広告がまばら。刺激が少なく、車両の中すら研究所のように凛としていた。筑波には何もない。遊び場もなければ、国研の周りにはコンビニすらない。ノイズが極端に少ないおかげで、仕事に全集中できる。やるべきことに打ち込みたい人にとって、筑波は最高の街ではなかろうか。学生時代の私にとっても、筑波は意識を研究だけに向けさせてくれる唯一無二の場所だった。
筑波はこの世の隠れ家である。何もないからこそ、何でも創れる。


つくば駅を出ると、大雨だった。急いで駅ビルに避難する。ついでにロピアで夕食を調達した。
学生時代、ロピアには数知れずお世話になった。
ロピアに行けば、不思議と気分が上がる。彼らは食べ物の見せ方が抜群に上手く、売価はこちらが心配になるほど安い。肉のラインナップが豊富。総菜も、どれにしようか迷い、軽く15分は右往左往するほど何もかもが美味い。たとえ研究がうまくいかなくても、ロピアで買い物をすれば気分が上向いてきた。筑波での研究生活を走り切られた要因の七割はロピアにあるといっても過言ではない。
我が恩人のロピアにて、健康増進ハッピーセット「唐揚げ・焼きそば・チキン巻きチーズ」を購入した。食べれば食べるほど痩せ、BMIが下がる、日本の伝統的健康食。鹿島神宮の建御雷神もびっくり仰天のフルコース。健康的すぎて我ながら鼻高々の豪華ディナー。精進料理ばかり食べていた院生時代の私が見たら失神するかもしれない。不摂生なんて、旅行にでも行かなければやろうと思わない。ここぞとばかりにジャンクフードを摂る。これで二か月ぐらいは食べずに済むだろう。
お金の余裕って、大事だなと思った。お金があれば、旅行にも行けるし、好きなものを好きなだけ食べられる。
学生時代は「お金が無いから」と数多くの夢を諦めてきた。卒業目前に計画していたスペイン旅行すら諦めざるをえなかった。いまの自分は、お金を持っている。昔の自分が叶えるのを諦めた願い事に手が届く。過去の日々を良き思い出として昇華すべく、いまを最高に輝かせていきたい。いまが最大輝度で煌めいていれば、学生時代の苦闘が報われるような気がする。そう信じて、いまをお金の暴力で充実させていかなければ。
マネーは、パワーである。力こそパワーだ。


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