日本社会にFランク大学が不可欠な理由【絶対潰すな】

北大と国研で研究している化学系大学院生かめ (D2) です。

博士課程で研究する中で、アカデミアの世界における様々な現実を目の当たりにしてきました。教育機関としての価値や社会的役割について、深く考えさせられる経験を重ねてきたのです。

ネット上では「Fランク大学なんかいらない」「Fランなんて潰してしまえ」との声を多数見かけます。今回は、一見すると必要性を疑問視されがちなFランク大学について、その存在意義社会的必要性を多角的に検討していきます。社会システムの中で果たしている役割を丁寧に紐解いていくことで、その重要性が浮き彫りになるはずです。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

博士人材の受け皿としての重要な役割

高等教育の世界で見過ごされている深刻な現実があります。それは、博士号取得者の構造的な就職難です。

国内の大学や研究機関では常に、研究職ポジションの数が博士号取得者の数を大きく下回っています。この著しい需給の不均衡は、高度な専門性を持つ研究者たちのキャリアに重大な影響を及ぼしているのです。

博士人材は、研究資金の充実した国公立大学で働きたくてもなかなか叶いません。アカデミアでの活躍を諦めて企業で働く方が多くいらっしゃいます。この状況下で、Fランク大学は重要な役割を担っているのです。教育機関での職を得られる貴重な受け皿となり、研究者としてのスキルを維持しながら、産業界へのキャリアトランジションを模索する期間を提供しているのです。

研究室質を離れた教育現場での経験は、博士人材に新たな可能性をもたらすでしょう。専門知識を持たない学生に対して複雑な概念を説明する機会は、コミュニケーション能力を磨く絶好の機会。また、教育現場での経験は、研究者としての視野を広げることにもつながるかもしれません。最先端の研究に没頭していた博士課程とは異なり、より実践的な教育ニーズに触れることで、研究と社会をつなぐ新たな視点を得られるのです。仮に国公立大学で研究者になれずとも、大学教員としての勤務経験があれば民間企業で働けます。Fランク大学で教鞭をとっていた経験は、のちのち研究開発や技術営業などにおいて強みとなるでしょう。

かめ

Fランク大学の必要性について、博士人材の観点から指摘する人は多く居ません。博士人材にとってFランク大学は最後の砦。無くなったら困ると方が多数現れるでしょう

学び直しの場としての価値

Fランク大学には、従来の教育システムが見落としてきた独自の役割があります。それは、高校までの教育システムへついていけなかった学生たちに「学び直しの機会」を提供している点です。

多くのFランク大学では中学生レベルの講義を行います。英語ではアルファベット、数学では代数や幾何の概念から導入を行うようです。失礼ながら、Fランク大学へ入る学生のレベルだと一般的な国公立大学の講義では対応できないでしょう。国公立大どころか、高校レベルの講義さえ理解が難しいかもしれません。

Fランク大学は、そうした学生たちに学び直しのチャンスを提供しています。基礎から学修するアプローチは、従来の教育体系では見落とされがちな「学び方の多様性」に対応しているのです。

学び直しの過程では、今まで分からなかった話を理解できたことによって自信を得られるかもしれません。高校まで勉強へついて行けずにくすぶっていた学生にとって初の成功体験となる可能性もあるでしょう。Fランク大学で培われた自信は、将来の学習意欲や職業生活における自己実現に決定的な影響を与えます。自信は様々な挑戦や成功に繋がり、それがまた新たな挑戦に直結するのです。Fランク大学は、学力的に低い層へ精神的活力を与えてくれる存在。長い未来を元気に生き抜く土台形成としての場として機能しています。

社会の安定性を支える存在

日本の労働市場では、大卒資格の有無が就職機会に決定的な影響を与えます。この観点において、Fランク大学は単なる教育機関以上の重要な「社会的セーフティネット」として機能しているのです。大卒資格は社会参加への重要なパスポート。正社員としての採用機会や将来的なキャリアアップの可能性などを掴むにあたって欠かせません。また、地方都市においてFランク大学は、地域経済の担い手となる人材育成の場として重要です。地域の中小企業と連携し、その土地に根ざした就職機会の開拓に貢献しています。

若年層の安定的な就労は、社会の治安維持にも重要な意味を持ちます。就職によって収入を得られ、個人の人生の質が上がれば、治安はおのずと安定するでしょう。定職に就けないことによる経済的不安定さは、時として反社会的な行動のリスク要因となり得るのです。

Fランク大学は、教育と大卒資格付与を通じた就労支援により、社会の安定性を下支えしています。若者の社会的孤立を未然に防ぎ、健全な社会参加を促す場として非常に重要です。安定した雇用は、地域コミュニティの維持・発展にも一役買います。正社員として働く若者は、地域社会の担い手として税収に寄与し、地域の経済循環を支える存在となるでしょう。

つまりFランク大学は、単なる個人の生活安定だけでなく、地域社会全体の健全性を支える基盤としても不可欠な役割を果たしているのです。

高卒でも不自由なく働ける社会を目指して

ここまで、Fランク大学の必要性について自説を述べてきました。

長期的な視点に立てば、現状の教育システムは理想的とは言えません。本来であれば、高卒でも十分な収入を得られる社会を目指すべきでしょう。必ずしも大学進学が必要でない人材までもが、社会システムの都合で進学を強いられている現状は、教育資源の非効率な配分につながっているからです。

この問題の本質は、日本の労働市場における「学歴フィルター」の存在にあるのではないでしょうか。多くの企業が採用時に重視する大卒資格は、必ずしも職務に必要なスキルや能力を反映していません。むしろ、それは選考の便宜的な基準として機能しているに過ぎないのです。

職業教育の充実と職業資格の価値向上は、この状況を改善する重要な鍵となるかもしれません。高校卒業後すぐに専門的な職業訓練を受けられる体制を整備し、その修了資格が労働市場で適切に評価される仕組みを整備してみてはいかがでしょうか。

企業の採用慣行も変えるべき。学歴を重視する今までの採用体系を抜本的に見直し、職務遂行能力や潜在的ポテンシャルをもっと評価する方向へと転換していかねばなりません。「大学進学=人生の成功」という固定観念を見直す社会的な風潮の醸成も必要です。

このような改革は、一朝一夕には実現できません。Fランク大学の存在意義を考えることは、より良い教育システムと社会の在り方を模索するための重要な出発点となるでしょう。

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