広島生活春夏秋冬vol.24 二年目・10月|広島三原則による東京都併合と運勢ポールシフトに対する分霊箱の防衛術

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希望の轍

お好み焼きなら徳川へ

博士課程を退院して広島に帰ってきた当初、故郷に根を張って一生過ごそうと考えていた。就職して一年経ったころ、心の中のリトルシンジローが「今のままではいけないと思っている」と騒ぎだした。シンジローの演説を端緒に将来を考えはじめ、やがて私自身も「だからこそ、今のままではいけないと思っている」と思うに至った。

博士課程では数多くの理不尽に遭遇した。何回リジェクトされたら気が済むんやというほど主著論文が掲載拒否になって、予備審査会では予定時間の倍以上も審査員の先生に詰められた。潰れかけても耐えられたのは、広島に帰って働きたいとの想いがあったからこそ。これまでの経験を活かして地元に恩返しがしたかった。転出超過四年連続ナンバーワンの広島に帰って、ひとりの広島っ子として地元を盛り上げたかった。

愛着のある故郷では二年弱過ごした。高校時代まで行ったことのなかったエリアを開拓し、広島の魅力を別の角度から何度も何度も掘り起こした。広島は実に住みやすい。ほふく圏内に何でも揃っていて、山も川も海もぽにょも揃っていて、誠に風光明媚である。プライベートについては100点満点である。

人生の1/3が睡眠ならば、1/3は会社である。マットレス選びと同じぐらいに会社での時間も重要である。広島で働いた開発系Grの人間関係”は”最高だった。それ以外の面がグダグダで、極めて労働負荷が高くてしんどかった。おまけに業務内容に関心が持てなかった。深く掘り下げるのが得意な私にとって、手広く・早くが求められる量産開発職は絶望的に合わなかった。

このまま弊社に居続けるとして、量産開発職を続けられるだろうか。量産開発が無理なら、研究系のポジションに移れるだろうか。答えは両方ともノーだった。私の居場所はこの会社には無い。この会社に残る限り、不満は募る一方であろう。

ネットで詳しく調べたところ、専門分野に近しい仕事は広島県外にあると分かった。広島県内で探しても見つけられず、チャッピーもClaudeも「県外に出るのが**筋がいい**」と返してきた。会社以外は完璧でも、広島を離れなければならないのか。

広島が好きだからこそ離れるのが嫌で、離れずに済む方法を何か月も考えた。検討を加速すればするほど、広島を離れるべき理由が積み上がっていった。広島への想いは果てしなく強かったけれども、覚悟を持ってFA宣言した。アライさんと肩を組んで「広島が、好きだから」と号泣しつつ退職した。広島を離れ、広島三原則のもと併合した”こっちの広島”に引っ越した。

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いつまでズルズル株価さげとるんじゃ

転職活動で気にしていたのが仕事内容や給料面なら、転職直前に気になるのは会社の内側の部分である。特に人間関係が気になった。配属先グループにうまく馴染めるだろうかとか、四股は一日何度までなら踏んでいいのかとか、入社先で待っているであろう先輩がたとの相性が気がかりだった。

転職を経て給与は大幅改善され、職種も量産から研究に変わった。そのうえで人間関係にも恵まれていたら120点である。まぁ、そんな簡単にはいかないよな。普通は、何かを得たければ、その代償に何かを失わねばならない。今までの人生はずっとそうだったから、今回も何かしらの落とし穴が待っているであろう。

こっちの広島で働き始めてひと月が経った。どうやら何か深刻な思い違いをしていたようだ。今までの経験則が通じない、ニューワールドに足を踏み入れたらしい。会社から笑顔で帰ることができたのは、会社員になって初めてである。しかも、転職初日から月末までずっと笑顔で、毎日が楽しくてたまらない。アムステルダムに行って素晴らしいマッシュルームの店の前で吸った覚醒剤の副流煙と同じぐらい、朝の空気が清々しい。

年収も業務内容も良くなって、人間関係まで良くなってしまった。オフィスが会社への愚痴であふれていた前職と違い、プライベートのエピソードトークや研究の話で和気あいあいとしている。あと、仕事内容が面白すぎて、ついうっかり土日も勉強し始めた。これはもう、何というか、その、なんか、えっと、何なんだろうか。転職前の自分に怒られそうなほど会社生活の質が良くなった。

あまりにも急に生活が好転したものだから戸惑う。どこかの誰かから巧妙に騙されているのではないか、とキョロキョロしてしまう。転職エージェントさん、私の入社先って、ここで合ってます? ひょっとして他の人の行き先と間違えていません? え、やっぱり間違えてます? 私もそうだと思いましたよ。今さら言っても遅いですよ。意地でもこのチームにしがみつきますから。

学生時代は研究に没頭していた。自らの手で新たな知見を生み出す『研究』という行為に魅せられ、知的好奇心の赴くがまま、無限に時間を費やせていた。会社での研究は大学での研究とは質が違うけれど、何らかの対象を掘り下げ、真理を突き止めようと試みる点は同じで、私の最も得意とする研究活動が仕事になったのだ。

博士課程と一社目を経て、二社目でようやく研究を生業にできた。スーパー・ハイパー・ウルトラ・超・どんだけ・エクセレントワーク(SHUCDEW)と巡り会えたのだ。

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研究を仕事にできただけでも嬉しいのに、職場での居心地まで良くなった。楽しすぎて、家に帰っても「はよ明日になってくれ」と望むド変態となった。いつの間にか、未来は待ち受けるものから、待ち遠しいものへと変わっていた。

二社目は、ちゃんと服を着れない私のため、ちゃんとした服を用意してくれた。なんか知らんけど、制服に着替える時間まで業務時間カウントしてくれる。もちろん、通用門をほふく退出するまでの時間までカウントされる。おまけに、無料で滝のように飲めるコーヒーメーカーが常設されている。猫舌の私は初日に舌と鼻の穴を大火傷し、「貴重な教訓をありがとうございます」と頭を下げながら、以来、ホットココアの氷割りでぬるめココアを味わっている。

前職に対する文句ならいくらだって書ける。短冊一枚に不満をひとつずつ書いて、大型SUVを三列目までぎゅうぎゅう詰めにできるぐらい書き連ねられる。それなのに、こっちの広島の弊社に対する文句は、未だにゼロである。素晴らしすぎて困っている。ホワイトにもほどがある。白すぎてホワイトアウトし、方向感覚を失った。

今までの私は、現状に対して抱いた不満を解消すべく奮闘してきた。怒りやプライドを動力源に、目の色を変えて突っ走ってきた。負のエネルギーをひととおり燃やし尽くしたいま、胸の中はいつになく凪いでいる。愛と喜びに満ちた平穏な世界が訪れた。自分を自分としてそのまま受け入れられているから、存在意義を証明するために頑張る必要もなく、未だかつてない前向きなエネルギーが身体の隅々にまで満ちている。

前職では衰退産業に属していた。これから市場参入者が増えるなかで過当競争とコスト削減に汲々とする暗い未来が見えていた。こっちの広島では成長産業に携わり、会社全体がイケイケドンドンで、人も設備も拡張しまくっている。左肩上がりのグラフばかり見ていたのが、右肩上がりのグラフばかり見るようになった。自然と未来に希望を持てるようになった。

前職では「こんな面白くない人生なら長生きしなくていいや」と企業型DCに入らなかった。早く死ぬなら老後に対する備えなんか不要で、ただでさえ少ない手取りからお金を払って、60歳まで資金拘束される確定拠出年金を積み立てるなど考えられなかった。

こっちの広島に移って、長生きに対する野心が芽生えた。「この世界がどうなっていくか見てみたいから」と企業型DCに加入した。加入したというか、会社が勝手に月何万円か積み立ててくれるらしい。おまけに持株会にも入って、勤め先の株を買い始めた。

生まれてから広島を離れるまでは、マイナスをゼロに戻す人生だった。満たせど満たせど満たされない思いを満たすための毎日だった。東京転職を機に人生がポールシフトした。これからは日々の営みが資産となって、進もうとすればするだけ前に進めるのだ。まるで生まれ変わったかのように、世界の色彩が明るく照り映え、どこまでも瑞々しく見える。

振り返れば、過去の軌跡が希望の轍わだちとなって、未来へとまっすぐに伸びていた。

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アムスの素晴らしいマッシュルーム店と同じぐらい素晴らしい弊社でSHUCDEWできる以上、転職を考える必要など、もうこれっぽっちもないわけで。10月末日、ビズリーチとOpenworkを退会し、就職四季報も処分した。これで、ようやく落ち着ける。

広島を離れ、広島以外の全てを手に入れた。東京の夜空には北斗七星が燦然と輝いていた。

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