前作
炭火焼鳥
中学高校時代に課外活動で乗馬をやっていた。小学四年のゴールデンウィークから乗馬クラブに通い始め、高校三年生の10月に和歌山国体へ出場するまで9年通った。中高一貫男子校出身の私にかわいい彼女ができたのも、動物園のような学校に行っていて真っ当な人間に育ったのも、乗馬クラブのおかげである。
広島にUターン就職して以来、中学高校時代を思い出そうと何度も試みたのだが、イマイチ上手くいっていない。学校の中で積み重ねた思い出があまりに少なく、断片的な記憶もぼんやりとしている。
たしか、授業中には馬術書を読むか宿題をしていた。休憩時間はグラウンドでネットに向け軟式野球ボールを遠投し、終業のチャイムが鳴ったら帰宅部のエースとして自転車置き場まで猛ダッシュした。部活にでも入っていればまだ学校での思い出もあったのだろうが、私は乗馬で忙しかったから、見た目も中身も帰宅部の迷探偵だった。
勤め先には同じ中高出身の同期社員がいて、ときどき中高時代の話になる。あの先生は癖が強かったとか、あの先生はちょっと何を言っているのか分からなかったとか、話し相手の同期がいろんなことを話してくれて、大変興味深い。自分の学校はそんなに面白い場所だったのかとルーツを再確認できた気がする。
同期の話を呼び水に自分の過去を思い出すこともあるのだけれども、所詮は蜃気楼で、やっぱり何も覚えていないことを再確認する。学校でもう少し周りをよく見て過ごせばよかったなぁと、10年前の己の所業に地団太と四股を踏まされる。
小学四年生から六年生まで、太った体型のことでいじめられていた。中学に入って成長期が訪れてスタイルの問題は解消されるが、今度は変なヤツらから難癖をつけられ、中二の12月までいびられまくった。周囲も学校の教師も助けてくれなかったことから、学校に対する期待を早々に失った。
私にとって学校は同級生と深く交流する場ではなく、乗馬と乗馬の合間に通うものだった。信じられるのは馬だけで、人間が怖く、恐ろしくて、何をしてくるのか分からぬ得体のしれない俗物だと感じていた。なるべく人間と関わりたくなかった。
当然、今のままではいけないと思っている、だからこそ、今のままではいけないと思っているとは思っていたが、じゃあ周囲を信じられるかといったら明確にNoで、何をどうしたらいいのか分からぬまま学校生活を終え、一浪のすえ北大に入学した。
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中高時代の思い出は乏しいが、一人で過ごした時間のことは色鮮やかに覚えている。
特に高校時代は、どうやったら乗馬が上手くなるか四六時中考えていた。記憶力にモノを言わせて馬術書を丸暗記し、脳内でイメージトレーニングを重ねた。週末に乗馬で大量の実験データを得て、平日、学校で授業を受けている間に脳内で機械学習し、自らの乗馬技術を最適化した。週を重ねるごとに上手くなっていったから、いずれはオリンピック選手にでもなれるんじゃないかと思っていた。全然なれなかったな。さすがにレベルが違い過ぎた。
高二あたりから受験勉強を本格化させ、英語・数学→理科→社会→日本語の順に仕上げていった。勉強が好きだったこともあって受験対策は順調だったが、私以上に親が受験、受験と気負い、家でリラックスするのが難しくなった。
そこで、「学校で勉強するから」と嘘をついて早朝に通学し、野球部が前日に拾い損ねた軟式ボールをネットに投げ込んでストレス発散した。数日に一度はグラウンドの端から端まで80mほどノーバウンド遠投していた。おかげでイチローになれた気がするけれども、そのせいで一浪したのかもしれない。ありがとうございます。
受験勉強では現代文の対策に最も苦労した。論理で何とかなる評論はまだしも、情景描写をもとに感情推察する小説が苦手だった。雨や風景の見え方で人間がどう思っているのかなど分からない。悲しいと言っていて実はちっとも悲しくないとか、そうめんが食べたいと言いつつ内心は二郎に行きたいとか、人間はあべこべでぽんぽこりんな存在なのに、心情を文脈から読み取るなど不可能だと感じていた。
国語ができないのは、読書量不足にあるのではないか。小説を読めば情景描写に慣れ、小説問題を解けるようになるのではないか。仮説検証のため、図書館で 四畳半神話大系 と 夜は短し歩けよ乙女 を借りてきて読み、やっぱり意味分からんわ、こんなの無理やわと投げ出し、センター国語で114点を取った。
「小説問題は嫌いになっても、小説は嫌いにならないでください!!」とあっちゃんに懇願され、しょうがねぇなぁと書店に行った。大学に入って夏目漱石全集やロシア文学を中心に小説を読みふけり、M2からはこうして文章の書き手になった。人生は、何があるか分からない。
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中学高校時代、学校で昼休みに食堂でご飯を食べていた。学校に着いてすぐ食券を買い、チャイムが鳴ると同時に教室から飛び出し、中高総勢1600名の天上天下・唯我独尊の階段降下マッチレースを繰り広げ、ときどき段差を踏み外して傷だらけになりつつ、食堂の行列に並んだものだった。
当時はまだ物価が低く、かけうどんの大盛を250円で食べられた。そばを自称する中華麺も同じ値段で食べられ、どれだけ追加してもゼロキロカロリーの天かすをたっぷり載せて食べていた。
学内はうどん派とそば派で二分されていたなか、私はうどん以上・そば未満のスタンスを貫いた。うどんはダルンダルンに伸びまくっていて、噛まずに食べられるから楽だった。そばはそばで逆に固すぎて、人生の困難を噛みくだく力を培うのに相応しいと考えていた。
食堂では日替わり丼が出る。照り焼きチキンの日もあれば、照り焼きチキンの日もあり、ふと生姜焼きが出てくるかと思えば、やっぱり照り焼きチキンに戻る。日替わり丼は列に並んでみて初めて何が出てくるか分かる。
食堂に入ってサルが「やべぇ、今日生姜焼きじゃん!!」と絶叫するのを耳にし、ああ、今日は照り焼きチキンだったのだなと頷く。丼は普通盛で350円、大盛なら400円。具材にお金がかかっていることもあり、ボリュームは控えめで、舌を喜ばせたい貴族的学生のたしなむメニューといった位置づけだった。
サルの私は かけそば大盛 を選ぶ日が多かった。たまに天ぷらそばで、気が向けば少々奮発して照り焼きチキンそばを食った。食堂にはカレーや定食もあったらしいが、最後まで縁がなかった。カレーをこぼしてシャツを汚しかねないし、私は定食っていう顔じゃないしなぁと分際をわきまえていた。いや、そんなことを考える必要もないぐらい、そばが美味しかった。食べ飽きなかった。
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日替わり丼は日替わり丼でも、どうしても食べたい日替わり丼があった。
月に一度、金曜に炭火焼鳥丼が出る。炭火焼鳥丼の日に限って、前日から『明日は炭火焼鳥丼!』と食堂に掲示される。噂によると、白米にキャベツと炭火焼鳥を載せ、上からマヨネーズを源泉たれ流しにしているそう。
白米にキャベツを載せるだけでも犯罪的なのに、上に炭火焼鳥を載せるとはどういうことか。羽だらけで食えたものじゃない。トサカはどう処理しているのか。マヨネーズをかけたら溶けるのか。炭火焼鳥丼を食べた学生は、みな満ち足りた顔で食堂を後にする。かけそばだけ食っていても仕方がないと思い、蛮勇をふるって単身で敵陣に突入した。
初めての炭火焼鳥丼チャレンジは失敗した。食券を買って列に並んだものの、私の3人前で品切れになった。ANAのオーバーブッキングを10年も先取りした形である。厨房を眺めると床が羽だらけになっていた。さすがに鳥の前処理はしてくれるらしい。次こそは食べるぞと、翌月の奮闘を固く誓った。
翌月のチャレンジは、日替わり丼の食券が品切れで失敗した。欲しいものはなかなか手に入らない。どうしても欲しければ、いま以上に努力を重ねなければならない。ふと、頭の中に思い浮かんできたんですよね、07:30という数字が。さすがに07:30に通学すれば食券を買えるだろうと考え、次月は超早朝通学を誓った。
三度目にしてようやく炭火焼鳥丼にありつけた。厨房のパートさんから「はい、お待ち!」と丼を手渡され、あまりに美味しそうだったのでその場で直立不動となった。後ろに並んでいた先輩から肘でこづかれ、現実に戻って席についた。
噛んでみると、なんか豚のような味がする。鶏肉にしては豚のにおいがする。鳥なのか? いや、豚なんじゃないか? 近くに居た同級生に味見してもらうと、どう考えても牛だと言われた。牛だと言われたら牛に思えなくもない。豚のような気がするが、マヨネーズをつけたら全部同じ味だし、まぁいいかと水に流した。
会社の同期に炭火焼鳥丼の話をしたら、正体はラム肉だったと教えられた。厨房に転がっていた羽は何だったんだ、鳥ですらなかったのか。同期いわく、当時の学生はみな知っていたらしい。だったら教えてくれよ。ま、マヨネーズかけたら全部同じ味だけどね。


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