三大欲求
昔から霊感があった。普通の人には見えないものがフワッと見えてしまう。もっと正確に言えば、「感じなくていいもの」を感じてしまう。幽霊とか、お化けとか、火の玉とかが、墓場や街中で私を待っている。熱を出したときは、家の中でも幻覚を見る。悪夢の中で、無限小に押しつぶされそうになって、胸元に猛烈な苦しさを伴う。
怖いものは嫌いだ。落ちると分かっていながら落ちる雷ほど恐ろしいものはない。中学時代、ひどい成績をとって帰ると、親の前で正座させられ説教を食らった。この人はなぜそんなに怒っているのかとつい首をかしげる。母の左ストレートが飛んできて、回避しきれずモロに食らって歯型が変になった。怖い関連で言えば、ジェットコースターも無理。バンジージャンプもなかなか厳しいものがある。絶叫系は、乗る前から絶叫したくなる。迷惑極まりない。ありがとうございます。
人類はエントロピーの増大に抗い、世界に秩序をもたらしてきた。竪穴式住居に始まり、ピラミッドにエディンバラ城、万里の長城など、たくさん築き上げてきた。アダムとイブ以来、我々はこの世界のエントロピーを減少させてきたのだ。
それなのに。それなのに、だ。どうしてわざわざ絶叫系に乗ってエントロピーを増大させねばならぬのか。ジェットコースターは、物理学的に鑑みて、「効率の悪い自殺未遂」以外の何物でもない。エネルギー保存則に対する冒涜である。ジェットコースターなんか絶苦死胃と同じぐらい意味が分からない。乗れば乗るほど寿命が縮む。ギャンブルなのも共通している。
怖いものと言えば、総菜が怖い。スーパーの一角のあのコーナーは恐ろしい。ランニングをして、体から余分なものをそぎ落としたせいか、変なものを食べると身体がすぐアレルギー反応を起こす。唐揚げなんて食べたら唐揚げになる。翌朝、額に米粒大のニキビが十個できる。広島に帰ってきて以来、どうも鼻がムズムズしてたまらない。全部、唐揚げが悪い。唐揚げのせいだ。こんなところ、さっさと出ていってやる。嘘です、一生お世話になります。
大学入学以来、食べ物の味付けといえば『塩』だった。お米も塩。刺身も塩。キャベツもアボカドも塩で仕上げる。宮古島の海でとれた雪塩がいい。塩以外の味付けも試みたが、塩梅が難しくて諦めた。甘味は、ごく少量で閾値を突破する。酸味は、バランスを間違えたが最後、目元がミッフィーになって舌がヒリヒリする。その点、塩なら安心である。どれだけ加減を間違えても大丈夫。最悪、水をかければリセットされる(されない)。塩さえあれば、なんでもできる。
世間では、減塩、減塩、とよく言われているが、海塩ならむしろ摂った方がいい。海塩はミネラルが豊富。海塩は血液を海水にし、人間を ぽにょ へ限りなく近づけてくれる。研究棟で100人にアンケートをとれば、95人は ぽにょ になりたいと答える昨今。ぽにょ、そーすけ、食べる。ぽにょになることほど楽なことは無い。ぽにょになりたければ海塩をとりなさい。
人間には三大欲求がある。言うまでもなく、食欲・読書欲・ほふく前進欲だ。
食欲には、サバ缶・イワシ缶の八年連続摂取が効く。八年も同じものを食べ続けてみればいい。「どうせまたアレを食わなきゃいけないんだろ…」と、起きた瞬間から食欲が消えている。
読書欲には海外文学が効く。カラマーゾフや百年の孤独といった骨太の本がプラシーボとなる。それでも足りなければ戦争と平和を読みなさい。まだ物足らなければ千夜一夜物語でも見ておきなさい。全部読んだそこのあなたには、世界で一番長い小説にギネス認定された『失われた時を求めて』全十四巻を差し上げます。
ほふく前進欲の発散は、一番難しい。ほふく前進欲を解消したければ、やはり ほふく前進 するしかない。よくよく考えてみると、直立二足歩行は構造力学的に欠陥だらけである。身体の重心が高すぎるゆえに常に転倒のリスクを抱え、心臓は重力に逆らって血液をポンプアップせねばならず、常にフル稼働を強いられる。なぜ、人類は四足歩行を捨てたのか。資本主義社会に最適化した移動手段は四足歩行だというのに。
可能であれば、昨日より強い自分になりたい。昨日よりも今日、今日よりも明後日の自分の方が強くありたい。私レベルになると、通勤と退勤すらトレーニングルームになる。家と駅の間をほふく前進すれば、超人か猿人かアウストラロピテクスになれる。実際には、玄関前で心が折れる。二足歩行の方がどう考えても楽なんだなコレが。
吾輩は会社員である。理性はもうない。三大欲求を克服して神となった。あまりに悟りすぎて、一周回って還俗し、「俺はこれまで何をやってきたのだろう」と途方に暮れている。
食欲との付き合い方が分からなくなった。B1から八年間、毎日魚缶を食べてきた。他のモノを味わう努力を怠り、料理は缶を開けるかキャベツにかじりつく程度しかできず、小学四年生レベルのバカ舌を誇る。水と油を混ぜればスパゲッティーになると本気で信じている。いまのままではいけないと思っている。だからこそ、いまのままではいけないと思っている。


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