ゴールドカード

学生時代と比べてみると、暮らしぶりは随分と良くなった。ぬくぬくゆたゆたした生活を送り始めた頃、ポストに一通のハガキが届いた。金色の誘惑、ゴールドカードへのお誘いである。
北大博士課程修了後、地元の民間企業に就職した。勤め先は、広島No.1のぽんぽこりん企業である。働いてもいないのに給与が出るUQ制度を始め、自己負担率2割でアパートを借りられる唐揚げ社宅制度、風通しが良すぎてむしろ寒すぎる快適な職場など、数え上げるのに量子コンピュータの助けが必要なほどの福利厚生がある。
うちの会社に勤め始めて、生活が劇的に変化した。
まず、食費にお金をかけられるようになった。消費カロリー>摂取カロリーの不等式をようやく等号で結びつけられた。物価高騰に伴い、『食費は月三万円まで』という鉄の掟も壊した。アボ湖をはじめ、栄養満点の食材をたっぷりと摂ることで、Quest of Laziness(怠惰さの追求)を加速させられている。学生時代は「玄米・豆腐・サバ/イワシ缶」の庶民派ミシュラン三銃士。今では栄養も味も少しだけ選べるようになった。おまけに、おはぎまで付く。私、和菓子が好きなんです。どうもありがとうございます。
書籍にもお金をかなりかけられている。毎月2万円は本に費やす。純文学・ノンフィクションルポ・海外SFを中心に買う。自身の専門となるべく離れた領域の知見を深め、業務やブログ執筆やムフフフフなどへのレボリューションを期待している。毎週日曜午後、紙屋町の丸善へ足を運ぶ。店内を物色し、気になった本を手に取って、欲しくなったらメモ帳に記して戻す。一週間後にまた同じ本を手に取る。その時まだ欲しい気持ちが残っていたら購入へのGOサインを灯す。
余剰資金があるとつい使いたくなる。私をAmazonに放り込めば、不必要なモノを大量に買う。これではいくらお金があっても足りない。己の欲をシャットアウトすべく、給料日当日の朝、手取りの7割を証券口座へ移動させている。手元にお金のない状態を作る。こうすれば使いたくても使いようがない。育毛でも植毛でも羊毛でもない、カラカラの財布を作って冬に備える。
来月には初の満額ボーナスが入る。欲しいものはいくつかある。
まずはダウンジャケット。ちゃんと服を着るための、ちゃんとした服による、ちゃんと服を着るための用意が要る。そろそろ脱ユニクロしたい。ユニクロ以外にも服屋さんはあるし、一度ぐらいは買ってみてもいい。次に調理器具。いまは、入居当日にダイソーで揃えた、おもちゃみたいなモノを使っている。包丁の切れ味はネコパンチのごとく、まな板の薄さは鯉のごとし。良い道具は良い料理につながる。道具を新調すれば、我が家が三ツ星レストランに登録される日もそう遠くはない。
一年目冬のボーナスは、手取りで60万円近くになると聞いた。ちゃんと服を着るためのちゃんとした服と、ちゃんと料理するためのちゃんとした調理器具を買っても、55万円は残るだろう。残りは何に使おうか迷う。旅行はどこも人が多すぎて行きたくない。馬主になるにはもう一桁要る。年末ジャンボは期待値が低い。やはり、証券口座に入れるのが最適解か。いや、全額は入れたくないよな。全日本マッチングアプリ促進検討委員会の副理事長にでも寄付するか。

学生のころから貧乏なりに積立投資を継続してきた。最初は月3.3万円。修士課程で借りていた奨学金返済が半額免除になって以降、投資額は毎月10万円になった。こういうことをやっていると、月々のカード決済額がエラいことになる。20万円に迫る月もある。お米やイワシ缶の調達シーズンが重なった月は、請求額が30万円を超えた。30万円って、何十万円よ。そんなに払えないよ、と苦笑いしながら払う。
心のどこかではずっと「お金に振り回されたくない」という気持ちがあった。学生時代、通帳の残高が30円になったことがある。あの瞬間の、肺が押しつぶされそうな苦しい感覚が、まだ身体にこびりついている。値札を見るたびに一拍置いてしまう癖も抜けない。だからこそ、食費や書籍代が増えても、「ちゃんと考えて使っているんだ」と自分に言い聞かせてお金を動かしてきた。投資に回す金額が増えるたび、あの頃の自分に胸を張れる気がした。
学生時代からANAカードを使ってきた。学部一年次に学生カードを発行して、帰省時の飛行機移動でマイルをためてきた。ANAカードなのにJALへ乗ることが多かった。おかげで搭乗マイルは ちっともたまらない。赤よりも青が好きだからとANAカードを選んで心から悔やんでいる。あのときJALにしておけばよかった。そうしたら今度はANAしか使わなかったかもしれない。
学生時代からカード決済しまくってきたのが効いたのか、広島No.1のぽんぽこ社員なおかげなのか、あるいは博士号を持っているおかげなのか。ドラえもんが日本語を話しているのと同じぐらいよく分からないが、私のもとにゴールドカードの切り換え案内が届いた。
最初はイエローカードかと思った。サッカーの試合中に二枚提示されたら途中退場になる。二枚のうちの一枚目を食らった。もうあと一枚で退場になる。どうして私がイエローなのだろうか。胸とお尻に手を当ててみたけれども、何の心当たりもなかった。よくよく眺めたらゴールドカードだった。見た目が似すぎていて紛らわしい。
ゴールドカードとは何か。東京・丸の内オフィスで日々激論が交わされている。あまりに多義的すぎて、ゴールドカードは「ハリーポッターと浪費の扉」とか、「経済的自傷行為を合法化するための免罪符」とか、「マイルと見栄と自己肯定感を等価交換する現代型錬金術」とか言われている。その正体は歌舞伎町にある。ネオンとアルコールとカード決済が、今日も仲良く肩を組んで歩いているあの街に。
カード会社は私を大富豪か何かだと勘違いしているらしい。カード決済額を見て「えらい沢山おかね持ってますなぁ」とはんなり理解しなさったのだろう。私は新入社員である。節約と労働と四股とランニングを金科玉条に掲げるサラリーマンだ。FIREはしたいし、投資しすぎて家計は火の車だけれども、残念ながらまだ大富豪ではない。ゴールドカードって、お金持ちのものじゃないの? えっ、もしかして、私はお金持ちなんですか?
……カード会社の戦略を看破した。まずは新入社員へゴールドカードの招待状を送りつける。我々はまだお金の使い方を熟知していない。うぶな彼らのテンションを上げさせ、「上級国民の仲間入りをしたぞ!」といい気にさせ、お金を使う癖を植え付けておく。そうすれば、会社からお金が振り込まれるたび、余すことなく使わせられる。カード決済のたび、カード会社に手数料が入る。消費行動は経済を回して他の人を笑顔にする。何という壮大な仕組みだろうか。開いた口が塞がらない。最近、顎関節症がまたひどくなった。

確かにね、この招待状が届いたとき、自分もついウキウキしちゃったもんね。オレもついにここまで来たか。広島の神になってしまった… などと尊大になった。だってゴールドカードですよ? 使用枠二倍! マイルも二倍! 国内34空港のラウンジ無料! 正真正銘の上級国民だ。ゴールドカード、ありがたく頂戴します。
いや~、ちょっと待てよ。ゴールドにしない方がいい気もしなくもなくもなくもない。確かにゴールドカードはカッコいい。金ピカでツルツルテカテカのゴールドがあれば何でもできる気になる。世界の果てまで飛んでいけそうな感もある。
しかし、問題もある。こんなにカッコいいカードを持ってしまえば、次から次へとお金を使いたくなる。私の性格上、お金を使う頻度が倍増する。財布の中にゴールドカードがあれば、イチイチ取り出して眺めたくなる。カードを眺めたら使いたくなる。キャベツ一個買うのにもカードを切る。鶏むね肉にもゴールドカード。お好み焼きにも、木綿豆腐にも、本やランニングウェアもカード払い。そのうち給料もカード払いにする。ボーナスまでカードを切る。やがて、払うのだか払われるのだか分からなくなる。使いすぎて、そのうち無くしてしまい、ジ・エンド。
ゴールドカードの審査は厳しい。招待状が届いたタイミングで切り替えておけば、博士課程入学試験と同じぐらいスムーズに審査を突破できる。それに、会社員としてステージを駆け上がる象徴としてゴールドに切り替えるのもいい。これからガンガン稼いでいくのだ、と自己宣言するつもりで切り替えるのも悪くない。思考は現実化するという。ならば、脳内会議を議事録にして提出すれば昇給するはずだ。
迷った時は原点に立ち返る。
もともと私がANAカードを選んだのは、ANAの青い機体に恋をしたから。青が好きだ。青い服を着て、ドラえもんを見て、ガリガリくんをかじって腹を下していた。ゴールドカードになったら、せっかくの青いカードが金色になってしまう。金色のドラえもんなんか要らない。私が欲しいのは青のドラえもんなのだから。
ハガキが届いてから三週間ほど、検討に検討を重ねた。霞が関にもTeamsミーティングを打診し、検討に検討を重ね、吟味を珍味し、耐えがたきを耐え、忍び難きをしのび、期待を裏返し、欲望を折りたたみ、理性にアイロンをかけて、ゴールドカード切り替えを見送った。
正直、金色のカードを持つ自分を想像すると、どこか落ち着かなかった。見栄とか虚勢とか余計な金の匂いに、自分の色が上書きされていく気がした。
学生時代の自分が使っていた青は、ただの色じゃなかった。身の丈に合った、自分を見失わないためのお守りみたいな青だった。青いカードは「これでいい」と言ってくれていた。金色はカッコいい。しかし、それを持つ自分が本当に好きになれるのかと考えると、心のどこかで、そっと首を横に振る自分がいた。金色のドラえもんより、青いドラえもんに、隣で寄り添っていてほしかったのだ。
クレジットカードに頼っていると、お金をどれだけ使ったか分からなくなる。お金の使途にはVARと、オンフィールドレビューをお願いしたい。一年通して家計黒字を達成した暁には、天皇陛下より「よくぞ青を保ちましたね」とのお褒めの言葉と、ノーベルよく頑張ったなこんちく賞を賜りたいものである。


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