前作
散髪
最近、物忘れがすこし酷くなった。スーパーへ卵を買いに行ってアボカドを抱えて帰ってきたり、ニンジンが欲しかったのに大根を持って戻ってきたりする。そもそも何を買いに行ったか忘れて家に引き返す日もある。腹が減っては戦にならぬ。毛利元就公からいつ出陣の号令を発せられても良いよう、食べられるなら何でもいいやと、ありあわせのモノで食欲を満たしている。
さすがに家の場所はまだ覚えている。スーパーハイパーウルトラ超どんだけエクセレントカンパニーもといSHUCDECの唐揚げ社宅である。
当ビルは、ほふく前進発祥の地として世界的に知られている。広島駅ビルの再開発にこっそり便乗して、広島湾を一望できるオーシャンフロントのタワーマンションに進化した。本来なら家賃が月100万円のところ、特級唐揚げ社宅制度のおかげで月1.5万円で済んでいる。
加齢に伴い、脂っこいものが苦手になった。20代前半までは何でも食べられたのに、25歳を境に二郎が難しくなり、最近ついにフライドチキンや唐揚げまで土俵際まで追い込まれた。ありがとうございます。貴族院食料改革検討促進代理代理委員会でご討議いただき、全会一致で「鍛錬不足である」とのご意見でまとまった。やっぱそうだよなぁ、加齢なんて言い訳にならねぇもんなぁ。
YouTubeで幕内力士の四股を眺めると、姿勢が実に美しくて感嘆する。上半身は京大素数ものさしのようにピシっと真っすぐで、下半身は軽自動車駐車エリアに停まる黒塗りアルファードのごとく地面に深々と根を張っている。日々錬成した巨体で、相手力士とぶつかり合って優劣を競うのだ。
動画で広島場所の巡業を見るうちに、私に欠けていたのは覚悟だと悟った。大相撲でやっていくという強い気持ちが無いから、フライドチキンごときに負けるのだ。フライドチキンって鶏ですからね、これ意外と知られていないんですけれども。
・・・・・・・
人生はなかなか思い通りにならない。順境を楽しんでいたら不可抗力に張り倒され、起き上がる間もなくコテンパンにされる。中でも、加齢と髭と毛根には特に困らされている。
大学進学して部活やサークルに入りそびれ、暇をもてあまして自炊し始めた。豚の焼肉や野菜のみじん切りといった高度な調理に挑戦するなかで、スープ料理にも挑戦した。
大学生協書店を徘徊中にスパイスカレーなる概念と出会った。飲み物の代表格として知られるカレーだが、好みの割合でスパイス調合すれば無限の味バリエーションを楽しめるらしい。とりあえずAmazonでスパイスを買い、テキトーに調合して食べてみたら、めちゃくちゃ辛かった。このあいだ受けた英検一級の英作文採点ぐらい辛かった。ちなみに2%届かず落ちた。
学部生まではまだ髭が薄かった。これについても、25歳を境に急に濃くなってきた。髭の密度もそうだし、一本一本の径まで厚みを増したように感じる。
そもそも、なぜ髭など生えるのか。誰が生えろと頼んだのか。貴重な栄養素を髭に使うな。髭ごときに搾取されてたまるか。ただでさえ税金が高くて苦しいのに、髭にまで苦しめられたら内憂外患じゃないか。栄養素を使うならね、どうせなら鼻毛に使ってくれよ。いやごめんなさい鼻毛にも使うな。ボボボーボ・ボーボボになったら目も当てられませんからね。髭はネコチャンにでも生やしておけばいいんですよ。
・・・・・・・

カレーにも鼻毛にもホトホト参らされているが、中でも髪は頭痛の種である。
髪とは何か。ハリウッド国際映画研究所で日々盛んに議論されている。髪はあまりに多義的な概念なので、美魔女の特急便とか、千と千尋のハゲ隠しとか、仮暮らしのスパゲッティーとか言われている。その正体は、理容室の中にある。
これまで行きつけにしていた散髪屋では、同じオーダーをしても毎度バラバラのヘアスタイルに仕上げられた。ある月はパイナップル状になり、翌月には坊主の2秒前ぐらいな短髪となるため、行くたびにどうなるか予断を許さぬどっきりどっきりDONDONなテインメントであった。
理容師も理容師で個性的である。指先がいつもプルプル震えて耳を切りそうになる人もいるし(一回切られたことがある)、マンU時代のクリロナみたいな華麗なシザースで爆速老け顔プレッシングアンパンマンをかます方もおられる。これほど愉快な散髪屋さんは珍しい。全国理容師ベストイレブンを組んだら、センターフォワードと右サイドバックは当店のおっちゃんが選ばれる。今度ピースウイングで日本代表と親善試合してみてほしい。
4月、マチアプで彼女を作るため、人生で初めて美容室に行った。いくら何でもパイナップルでは彼女はできないし、一度ちゃんとした施術を受けておこうと考えたのだ。
ブラックペッパービューティーで予約し、中広の住宅街にある理容室へ。店内には異国情緒漂う洋楽が流れていて、私が勝手に 広島のヴェネツィア と呼んでいるだけある素晴らしい雰囲気だった。なんと、散髪後にシャンプーまでしていただいた。おかげで髪がツヤツヤになり、顔色まで明るくなった。もちろん彼女はできなかった。
アプリを辞めたので、ヘアスタイルを清澄に保つ必要もなくなった。それに、あの丁寧さで施術されたらヘアスタイルが良くなるに決まっていて、ちっとも面白くない。予定調和型の人生なんか嫌だ、行くたびに面白い髪型にされる方が人生楽しいだろう。
・・・・・・・
せっかく良い美容室を見つけたのに、けっきょく前の散髪屋に戻ってきた。ヴェネツィアよりもバラナシの方がいい。優雅にピッツァを食べるのではなく、ガンジス河で息絶え絶えにバタフライしたくなった。
広島生活の最後に、行きつけの散髪屋で施術していただいた。来月から東京暮らしである。東京でも通用するようなカッコいいヘアスタイルに”なる”よう心の中で般若心経を唱えた。色即是空・空即是色まで行ったあたりで理容師のステップが加速した。おいおいおいおい大丈夫か、頼むぞ失敗しないでくれよ。大丈夫です、私、絶対失敗しないので。
突如、全員を置き去りにするキックフェイントがかけられた。ハメられた! と思ったのもつかの間、ボールはキーパーのニアサイドをぶち抜き、ゴールネットに深々と突き刺さった。散髪史上最速の施術だった。最初から最後までわずか7分(ななふぅん!?)で終わった。最後にして最速、さらに最もオーダーに忠実な施術だった。南米文学のマジックリアリズム的な散髪体験だった。これが、現代のガルシア・マルケスか。

散髪屋ではスタンプカードを使っている。500円ごとにハンコを押していただき、40個たまったら次回500円引きになる。広島に帰ってきてからスタンプを集め始め、今回で40個貯まった。広島を離れるタイミングでスタンプラリーが終わった。せっかく集めたポイントを使えず東京に行くだなんて無念ですわ。
ヴェネツィアに行ったのが心底悔やまれる。あの一回を散髪屋に使っていれば、今回の散髪でポイントを使えたのに。彼女も散髪屋も浮気したらダメなんだろうな。一度バラナシに決めたら、ガンジス河に沈むまで心中しなければならない。なんかインドに呼ばれている気がするから、今年の年末年始はインドで過ごそうかな。
にしても、ほんと、人生って思い通りにならないもんだね。


コメント