さらば、札幌!八年ぶりの広島生活が幕を開ける

2025年1月31日。博士課程公開論文説明会を乗り越えた。北大博士課程の一年短縮修了が決まった。「飛び級達成」ということになる。三年かけて修了するのが一般的な博士後期課程を二年で駆け抜けた。

4月から大企業で正社員。働く場所は地元の広島。学士・修士・博士と札幌で八年間過ごしてきた。故郷の広島へ八年ぶりに帰還する。博士号を携えての凱旋。大学受験浪人で失った背負った一年のビハインドを力づくで挽回した。

広島は転出超過数が四年連続で全国最多の都道府県。入ってくる人よりも出ていく人の方が圧倒的に多い自治体。地元が急速に廃れていく。その様子を他の都市からただ傍観しているだなんてできなかった。自らの力で広島を少しでも元気にしたい。自分の強みは実務能力と文筆。実務能力は会社で発揮する。文筆力は札幌デンドライトで爆発させる。仕事と趣味の両輪でもって広島を蘇らせたい。地方創生策の一環として、当シリーズ『広島生活春夏秋冬』を開幕させた。

かめ

広島生活春夏秋冬は毎週日曜午前0時 (JST)に投稿予定です。研究室生活体験記・研究室生活春夏秋冬の続編としてお楽しみください

目次

別れ

B4の4月に研究室へ配属された。以来、博士課程修了まで同じ研究室で過ごしてきた。指導教員とはかれこれ5年の付き合いになる。先生の宇宙人的思考回路が脳へこびりつき、おかげで日常生活に支障をきたすようになった。B4からD2まで同じラボで過ごしてきた同期も居る。ヤツとも5年の付き合いだ。5年って、長いな。5年って、何年だろうか。

2月27日。五年間過ごしたラボへ別れを告げる日。
ラボへ所属していた間は「こんな所、一日でも早く離れてやる!」と息巻いていた。博士課程で研究を頑張りすぎて研究が嫌いになった。研究関連で嫌なことがたくさん起こり、しまいには研究室まで嫌いになった。いざ離れるとなったら急に名残惜しくなる。嫌な思い出も振り返れば笑い話。留学失敗も、論文の連続リジェクトも、顧みると脳内を爽快な風がピューっと吹き去っていく。何事も経験してみるものだ。どんな出来事もプラスに捉えられるプラス思考があれば全ては宝物になる。

研究室での最後の仕事。デスクトップパソコンを初期化した。中にはあんなものやこんなものが大量に入っていた。人に見られたら恥ずかしすぎて夜しか寝られなくなるものばかり。私の大切なデスクトップPCは、研究を引き継いでくれる新M1の後輩にゆずった。どうか研究に役立ててほしい。彼の研究が加速することを、広島からもみじ饅頭をくわえて祈っている。

水色の表紙に金色の刻印。表紙の文字が少し読みにくくて残念

出立直前、2月初旬に出版社へ注文していた博士論文の製本12冊が届いた。博士論文の主査と副査計4名に一部ずつ渡す。後輩と家族にも一部ずつ渡す。残り六部は手元にとっておく。手に取って眺めては自らの頑張りに頬を緩める。職場の上司、結婚相手やそのご両親など、人生のキーパーソンへ渡して学生時代の働きぶりを認めてもらうために使いたい。

研究室に来ていたメンバーへ別れの挨拶。皆さんから「頑張ってね」と返された。頑張ります。皆さんも無理のないよう頑張って。気を緩めたら涙がこぼれそうになる。泣くのは恥ずかしいので、涙が出る前に部屋を出た。風邪をひいて姿が見えない後輩のテーブルへ龍角散のど飴を置く。早く元気になってくれよ。あなたの元気でハキハキとした声を聴くのが実は結構好きだったんだから。

新千歳空港へ

20kgのスーツケースを引きずって札幌駅へ。気温が高い。+6℃もある。おかげで路面の雪がシャーベット状態。スーツケースを引く腕が30秒で重くなった。車道の雪はほとんど溶けていた。路側帯を歩いてスーツケースを楽に引きずらせてもらった。

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JR千歳線で新千歳空港を目指す。快速エアポートに乗ろうと思った。電光掲示板で確認したところ、正午過ぎに快速種別は走っていないみたい。代わりに走るのは「区間快速」。札幌から北広島までは快速運航。北広島から終着の新千歳空港まで各駅停車。最初にダッシュして、後で息切れしてペースダウン。まるで自分の博士課程みたいだなと思わず苦笑い。

北広島駅停車2分前に右手へ巨大な建造物が見えた。コレは、北海道日本ハムファイターズの本拠地「わちゅごなスタジアム」。球場内ではチアリーダーに扮装したキタキツネが出てくる。噛まれないようくれぐれも注意しなければならない。噛まれたが最後、ファイターズファンになってしまう。北大生の間に一度ぐらい行ってみればよかった。今年は6月中旬、ファイターズとカープの交流戦がわちゅスタで金土日に行われる。ビジターチケットを取ろうとしたら売り切れだった。ひょっとして、キタキツネが買い占めたのだろうか。

区間快速で45分弱かけて空港へ到着。あぁ、お腹が空いた。腹が減って口から胃袋が出てきそう。何か食べたい。せっかくなら美味しいものを。検討に検討を重ね、検討を加速した結果、何度目かの『はなまるうどん』になった。新千歳に行ったらいつもうどんになる。新千歳といったらうどん。うどんといったら新千歳。

カウンターで牛肉おろしぶっかけを注文する。出てきたものは牛肉温玉ぶっかけ。どこからどう見ても卵である。レジのお姉さんまで「牛肉おろしぶっかけですね~」と言ってくる。そう自信満々に言われたら大根おろしに見えなくもない。温玉だろ、と言ったら顔に大根おろしをぶっかけられかねない。まぁ、いいかと会計を済ませた。おろしも温玉も値段は同じだし。はなまるうどんの麺はツルツルしている。あまりに滑らかにすすれてしまって、勢いあまって鼻から麺が顔をのぞかせた。

新千歳から広島へフライト

千歳と広島を結ぶ便は一日二往復ある。日本が誇るフラッグシップ、ANAとJALが一往復ずつ運航している。ANAは広島を8時ごろ出発し、千歳から19時前に飛び立っていく。JALは広島を11時前に離陸し、千歳から15時ごろフライトする。ANAはビジネス向けの需要を、JALは学生や観光客を取り込んでいる。私は広島帰省でJALを使うことが多かった。今回もJAL。広島行きのサル3406便。

八年も札幌で過ごしてきた。今や、広島よりも札幌の方が自分にとってのホームグラウンドに感じる。今から猿に乗って生まれ故郷へ帰ろうとしている。それなのに全く帰る実感が湧かない。郷愁を覚えぬどころの騒ぎじゃない。「これに乗ったら札幌生活が終わってしまうのか…」と寂しささえ募ってきた。胸が締めつけられて苦しい。楽しかったイベント。辛さを乗り越えた思い出。こっそり好意を抱いていた人の顔。記憶が走馬灯のように思い出されてきて目頭が熱くなってきた。

目をこすって正気を取り戻す。QRコードをかざして改札通過。ボーイング737-800の通路側に着席。スマホやデジカメで撮った写真をスクロールして追憶にふけった。思い出が秒針を進める触媒になったのだろうか。二時間のフライトがあっという間に終わった。山の上にあるクソ不便で誰がこんな所に作ったんじゃコノヤロー我らが母港・広島空港へランディング。遂に北海道生活が終わってしまった。何だかんだ言っても楽しかったな。もし生まれ変われるとしても、進学先には変わらず北大を選ぶだろうね。

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ボーディングブリッジで広島空港内へ。乗客を出迎えてくれたのは、「さかなクン」を自称する半魚人。新千歳空港へ降り立ったとき、ボーディングブリッジではまずサッポロクラシックの広告が出迎えてくれる。クラシックの広告を見ると「あ~、北海道へ帰ってきたなぁ」という感覚になる。広島は違う。人間のフリをした魚が、半魚人がお出迎えしてくれる。広島は半魚人の街なのか?改造バイクを下半身のごとく自在に扱って街を爆走する輩なら多くいるけれども。

広島駅にて

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広島空港は三原市にある。三原市は、広島市の隣にある東広島市のさらにその東側に位置する。正直言って、広島都心から遠すぎる。空港から都心までバスで50分かかる。50分って、何分だよ(←50分だよ)。カップ麺を10個、お湯を作ってから湯切りまで済ませられるぐらいの途方もない時間がかかる。これではあまり気軽に利用できない。広島空港へ行くぐらいならカップ麺を作って食べる。

空港バスへ広島駅新幹線口へ。慣れ親しんだビル群が広がっていた。ただし、見える景色は以前と大きく違う。以前は地元を離れた北大生として眺めた。今日は広島のイチ市民として眺めている。

これから自分は広島を拠点に世界を相手取って働く。広島県民の任侠力を借りて会社を今より何倍も大きくする。広島全体で豊かになって喜びを分かちあっていく。この街を守る。自分の手で復活させる。転出超過を終わらせ、転入超過にしてみせる。

人間の真価が発揮されるのは「何か守るものができた」とき。自分は広島の日常を守りたい。愛する地元の雰囲気と活気を自分が死ぬ日まで支えたい。好きだった人が何かの偶然で広島を訪れたとき、「この街、なんだか良いね。楽しいね」と言ってもらえる街にしたい。広島を元気にするためなら何だってする。地方創生の試みとして広島生活春夏秋冬シリーズを開幕させる。

~vol.2 タワマン (笑) 入居編に続く~

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