北大博士課程を一年短縮修了した技術開発エンジニアかめです。
一郎のすえに北大に入りました。北大は第一志望ではありません。行きたかった大学にどうしても手が届かず、志望校ランクを下げての北大受験&進学となりました。入学当初は後悔の連続。仮面浪人まで試みたぐらい(*一か月でリタイア)。あるとき、自分の運命を観念しました。北大生として、札幌キャンパスでの日々を前向きに歩み始めたのです。
北大では八年間過ごしました。八年の北大生活を通じて「北大に進学して本当に良かった!」と心から感じられるように。札幌が第二の故郷になりました。北大が好き。生まれ変わってもまた行きたい。OBとして母校に恩返しできることがあればしたい。北大が嫌いだったはずが、北大に魅せられて卒業してしまいました。大誤算です。嬉しい手違い。北大に通えて、本当に良かった。
この記事では、北大生活のなかで北大「でしか」得られなかったものを解説します。北大志望者の高校生や現役北大生にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

それでは早速始めましょう!
四季豊かなキャンパスの癒し


北大札幌キャンパスは自然が豊か。春は桜。エゾヤマザクラとソメイヨシノの共演が見られます。夏は緑。メインストリートが葉っぱのトンネルに変わる。秋は紅葉。北13条門から構内に伸びる道がイチョウ並木に変貌。冬は銀世界。早朝に見られるダイヤモンドダストがキラキラ輝いて綺麗です。
私は広島で生まれ育ちました。広島は瀬戸内海沿いの温暖な地域。一応、四季はあります。桜も紅葉もちゃんとある。しかし、冬らしい冬がありません。市街地には、雪は年に数回しか降らないのです。あと、夏が暑すぎる。35度以上の酷暑が続き、疲労困憊になってしまいます。
その点、札幌は素晴らしい。四季がこれでもかというほど豊かです。さすがに冬は少し困りますけどね。ひと晩で50cmも積もられてしまってはどうしようもありません。まあ、それもご愛嬌。四季の豊かさから得られる心の栄養と比べれば、たいして深刻な問題ではないでしょう。
北大札幌キャンパスは、構内を歩いているだけで気持ち良くなれます。気分がスカッとしてくるのです。周りと比べてあそこは空気が違う。どこか凛としている。それでいて厳かではなく、近付きがたくもない。特に夏が良いですよ。早朝、半袖半ズボンで大学構内をランニングすれば力がみなぎってくるでしょう。
自然に身を溶け込ませる。鳥のさえずりを聴き、緑豊かな木々を眺め、陸上競技場のベンチでボーっと日向ぼっこする。北大生になれば、何気ない日々さえ癒しの連続になります。受験で負った心のダメージは、北大キャンパスが全快させてくれました。こんなに自然豊かで美しいキャンパスなど、日本で他に見当たりません。まるで原生林のような世界。北大は札幌駅徒歩7分。立地もすごい。完璧なキャンパスです。
電気化学との運命的な出会い


大学受験生時代に第一志望だったのは、某大学の農学部。当時は農業工学に興味がありました。昔から自然が好き。将来の夢は農家。原野の中でひとりコンバインに乗って自給自足生活がしたい。自分の使う農機を作れるようになりたい。そう思い、農業工学系を志望しました。残念ながら、その大学には6点足らずに落ちました。一浪しても手が届かず、北大に志望校を変えて進学することに。
北大は札幌農学校が源流の大学。看板学部は農学部。気を取り直して、北大の農学部に入ろうかと考えました。
検討を加速し、農学部進学もやめにしました。農学部で必ず履修する「生物学」が致命的に苦手だったのです。生物系の暗記用語が全く頭に入りません。物事を覚えるのは苦手じゃない。日本史の教科書は、全ページ写真記憶で頭に入れました。生物系のワード”だけ”覚えられなかった。そもそも、虫の写真を見るのが嫌い。生物の苦手な農学部生など、聞いたことがありません。進学したのは工学部。生物学など縁もゆかりもない金属工学系に移行しました。
材料系の学科には「金属腐食」を研究する研究室がいくつかあります。私は講義を通じ、腐食を含め、金属と電子の授受に関心を惹かれました。いわゆる『電気化学』と呼ばれる領域。電池開発や金属製錬などに欠かせない分野。実は高校時代から、理論化学の電池分野が得意で、面白いなと思っていました。最初は農学部へ行くとばかり思っていた。めぐりめぐって、自分が適性を有する分野を専攻する運びになったのです。
電気化学は、本当に面白かったです。電極と電解液の界面にこれほどまでに興味深い世界が広がっていただなんて。目に見えないナノスケールでの現象が、目に見えるスケールの現象に関係している。ものすごく神秘的でした。面白すぎて博士号までとりました。B4からD2まで、ラボに五年間籍を置いたのです。
北大のネームバリューを活かし、在籍中に国立研究所との共同研究を行いました。博士課程ではイギリスの大学院に研究留学させてもらいました。いまの就職先にも一瞬で内定。おまけに、勤め先は電気化学関連企業。自分の将来は北大が作ってくれました。北大ならではの経験をさせていただき、修了後も良い環境で働かせてもらえることに。
農業工学を目指していた私が電気化学に出会い、博士号まで取れたのも、北大という環境があったからこそ。北大がもたらした運命の奇跡に心から感謝しています。
挫折が生んだ札幌デンドライト


2022年9月下旬。当サイト「札幌デンドライト」を立ち上げました。自分がラボで味わった苦労を後輩に味わわせたくない。自分の知見を世に広めたい。サイト運営を通じて一人でも多くの学生を救いたい。設立から今日まで、運営理念に基づき、毎月10本以上の記事を発信してきました。
仮に自分が受験で成功していたらどうだったでしょうか。おそらく、気持ちが満たされていたでしょう。日々、笑顔。胸を幸せで膨らませる。恋人と手をつないで鴨川河川敷をデート。ああ、楽しそう。羨ましい限り。
第一志望校に合格していたら”サイトを作ろう”という気にもならなかったはず。自分の幸せを他人に譲ってたまるものか。自分の幸福は自分だけのもの。後輩が困っている? そんなもん知るか。自分で何とかしろ。安易に助けを求めるんじゃない、と。仮にサイトを作っていたとしても、自身の成功談ばかり綴っていたはずです。いったい誰の参考になったでしょうか。”嫌味なヤツ”としか認知されなかったに違いありません。
札幌デンドライトを立ち上げたのは、単なる思いつきではありません。第一志望に落ちた痛み、北大で得た再挑戦の経験があったからこそ、「後輩を助けたい」という気持ちが生まれました。もし最初から順風満帆の学生生活を歩んでいたら、そんな発想は浮かばなかったでしょう。失敗を知り、悔しさを乗り越えたからこそ、他人の苦しみに目を向け、手を差し伸べたいと思える。札幌デンドライトは、私の敗北から生まれた、未来のための小さな灯火なのです。
札幌デンドライトへコンスタントに記事投稿できているのも、今日まで驕り高ぶらずにいられているのも、第二志望だった北大で八年間過ごしたおかげ。北大は私に、試練と、人間として不可欠な素養を授けてくれました。
最後に
北大生活の八年間は、私にとって「北大でしか得られなかった宝物」の連続でした。入学当初は後悔と敗北感ばかり。けれど、そこで歩みを止めなかった。札幌の豊かな自然に癒され、偶然の出会いから電気化学の面白さにのめり込む。やがて博士号を取り、社会に羽ばたく準備を整えました。
第一志望に届かず浪人した日々は、胸を締めつけるような苦しみでした。しかし北大に進学してからの日々は、その痛みを静かに溶かしていきました。豊かな自然、学問の面白さ、人との出会い。それらは悩みを抱える自分を優しく包み込み、前へ進む力をくれたのです。だからいま、私は過去をただの感傷ではなく、未来を照らす道しるべとして語りたい。北大生活は、悔しさと希望が交錯する私の物語だったのです。
もしこの記事を読んでいるあなたが北大を目指しているなら。あるいは、北大で悩みながら日々を過ごしているのなら。ぜひ知っておいてください。北大は、単に学位を得るだけの場所ではありません。人生を唯一無二のものへと変えてくれる力を秘めた場所ですよ。北大に通えて、本当に良かった。北大を選んで正解だった。そう思える日が必ず訪れるでしょう。皆さんもぜひ北大を目指してください。先輩として、北大進学を心からオススメします。
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