北大博士課程を一年短縮修了した技術開発エンジニアかめです。
研究をやりたくてD進を試みたはず。博士課程に入る直前から研究嫌いになりました。研究に対する価値観が逆転したのです。博士課程は研究で業績を挙げれば修了できます。挙げられなければ永遠に修了できない世界。
研究は嫌い。でも博士号は欲しい。学位取得に向けて頑張りました。身体に鞭打って、自分を無理やり動かした。二年での早期修了を決意したのは、研究をするのがあまりに辛かったから。飛び級するにはたくさんの業績が必要です。嫌いな研究から離れるためには、嫌いな研究へより注力しなければなりません。意識が飛びそうになるほど追い込みました。無事に飛び級に成功して、短縮修了にて博士号を得て今に至ります。
この記事では、博士課程を退院した感想を記します。D進の検討を加速していらっしゃる方や、博士課程在籍中の学生さんにピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

それでは早速始めましょう!
解放感が半端ない


D2の3月初旬。大学のオンライン掲示板にて修了確定者の学生番号が掲示されました。私の番号を確認。早期修了が確定しました。実のところ、修了できるのは薄々分かっていました。1月末に公聴会を終えた直後、指導教員から「合格だよ」と告げられていたからです。ガッツポーズは、公聴会の部屋を出た瞬間にかましました。嬉しかったなぁ。ようやく終わったんだなって。”明日からは研究する必要がない”と考えるだけで涙が出るほど感慨深かった。
確かに公聴会は合格かもしれません。講義の単位が足りていなければ修了できませんからね笑。仮に学生便覧の履修単位規則を見誤っていたらシャレにならない。笑えない。いや、一周回って笑うしかないか。冗談として片づけてしまいたい現実が待ち受けているシナリオも考えられました。
オンライン掲示板にて、大学からの正式な修了認定が。「あなたは講義の単位がそろっていましたよ」と言ってもらえたようなもの。ホッと一息ついて安堵。「本当に修了できたのだな」と実感が湧いてきました。掲示板を俯瞰してみると、自分の学生番号が一番若いのに気付きました。どうやら、自分の所属研究科における早期修了者は自分ひとりだけだったようです。
博士候補生から博士早期修了者へ。メタモルフォーゼを遂げたとき、自身の感情を言語化できず、ただ口を開けて頭を抱えてばかり。自分の身に何が起こった? いま、何が起きている? うまく状況を把握できません。抑圧されていた期間が長かったせいでしょう。頭が現状に追いついた瞬間、半端ない解放感が押し寄せました。



終わった! 終わった! えっ!? マジで終わったの!? うわっ! もう研究しなくていいんだ! ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバいって!!うわぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!! 最高でぇーーーーーすっ!!!!!!
自転車で河川敷を走り回りました。奇声を上げて。「ふぉー!!」と叫びながら。疲れて、大の字に芝生へ横たわる。一面に広がる真っ青な空が眼裏へずっと焼き付いたままです。いやぁ~、本当に嬉しかった。どれだけ辛かったのでしょうか。二年も辛いことをし続けたら、人間はこんなにも変になるものなのですね(元からすこし変だったけれども)。
あんな過負荷によく二年間も耐えられたな
感情のカンブリア爆発が落ち着いてから、これまでの歩みを整理してみました。改めて感じます。我ながら、よく乗り越えられたなと。
ラボ配属直後からアクシデントが。希望していたテーマをやらせてもらえず、散々な出だし。B4の3月には国際誌にて主著論文を掲載。M1の9月にD進を決意。翌年には学振DC1に内定。IF24の国際誌へ主著論文がアクセプト。しかし、このタイミングで研究嫌いに。複数回のリジェクト。論文投稿先を自分で選ばせてもらえぬことに対する苛立ち。研究の楽しさを見失ってしまいました。モチベーションが地に落ちた状態で博士課程へ。
D1の一年間、一切の実験を行えませんでした。共同研究者さんの都合で、実験している研究所へ出入りできなかったのです。国内に居ては何もできない。だったら海外に行こう。イギリスへの留学を計画しました。オックスフォード大学へ。なんと、研究設備が軒並み壊れていてどうにもなりません。人も居ない。何の学びも得られない。予定渡航期間を短縮して帰ってきました。博士課程が短縮修了なら、海外留学は短縮”終了”。あまりに情けなく、苦笑が漏れました。
留学期間中も論文投稿作業を行いました。ところが、ちっともアクセプトされません。四回連続でリジェクトされました。踏んだり蹴ったり。何もうまくいかない。勘弁してくれ。研究嫌いは加速する一方。
研究から一年でも早く離れるため、帰国直前のD1・1月に早期修了挑戦を決意。飛び級に必要な業績を調べたり、指導教員に相談したりしました。あと一年間で論文を三報出版しなければなりません。相当なハイペースが求められます。できないかもしれない。やるしかない。研究から離れたい。腹をくくりました。
一報目の論文は、四度のリジェクトのすえ、D2・4月にアクセプトされました。二報目の論文は、投稿直前に論旨の破綻が見つかり、急遽データ収集からやり直し。全速力で論文を書きました。投稿作業はスムーズでしたね。D2・9月で一発アクセプト。
最後の論文は、二報目を書きながらのデータ収集。使用していた実験機材が壊れました。万事休すか。天を見上げるも、M1後期に取った予備データを活用して論文が仕上がってしまう超ミラクルが。指導教員も私の奮闘ぶりを認めてくださったのでしょう。最後の論文を投稿まではお求めになりませんでした。原稿だけは11月に完成させました。早期修了要件を充足して学位審査会へ向かったのです。
最初から最後まで駆け抜けた五年間でした。特に博士課程の二年間はダッシュしっぱなし。あんな過負荷によく二年も耐えたと、改めて驚きました。二度と同じことはできない、そう断言できます。絶対、つぶれる。完遂できない。若いからできた。奇跡の軌跡。近いうちに小説にまとめて出版します。皆さん、買ってください。500円ぐらいで売るつもりですから。
D進なんて絶対にオススメしない


昨今、文科省が挙国体制で博士課程進学者数を増やそうと試みています。JSTフェローシップ整備をはじめ、博士学生に対する支援制度が整ってきました。博士人材の採用者数増を掲げる企業まで現れた。”博士は就職できない”など過去の話。いまや、博士人材は引っ張りだこ。博士号を取った先輩として、博士学生を取り巻く環境が改善されていっているのを嬉しく感じます。このまま博士学生の待遇がもっと良くなればいいですね。
博士課程進学をオススメするか。オススメはしません。それとコレとは別の話。
ハッキリ言って、博士課程は辛いです。修士課程までとは別次元の理不尽な思いや無力感を味わうでしょう。あれほどしんどい思いをする学生を積極的に増やしたくはありません。札幌デンドライトでもD進の推奨は行っていません。「行くな、行くな笑」と言っているぐらい。なぜなら、自分が身悶えするほどの辛さを味わったから。あんな過酷な環境に後輩を放り込みたいとは思いませんね。
自分にもし子供ができたとしましょう。子供が博士課程に行きたいと言い出したら、まず正気かどうか確認します。我が子は、博士課程に行きたいと言っている。目をキラキラ輝かせて、あの底なし沼へ足を踏み入れようとしている。きっと「やめておきなさい」と言っちゃうだろうな。当サイトのラボ体験記を見せて脅すかもしれません。それでも行くというなら止めないでしょう。「好きにしなさい」と言って、子供が博士課程を出るまで毎日神社へお参りに行くのです。
後輩から博士課程進学について意見を求められても同様です。ひと言目には「行くな」と伝えます。行くなと言われて「分かりました、行きません」と返すぐらいならD進しない方がいいでしょう。
博士課程とは、四方から「行くな」と言われても「うるさいっ、行くんだ!」と押し切って進める人が行くべき場所。辛さを乗り越える覚悟と、自分の力を信じる意志の強さの両方が欠かせません。睡眠時間を削り、周囲に頼り、何度失敗しても立ち上がる姿勢。誰かが保証してくれるわけではない道を、自分の足で歩み切ること。研究を楽しめるかどうかも重要ですね。幸か不幸か、私には覚悟も意志の強さも備わっていました。しかし、研究を楽しめませんでした。だから辛かったのです。
D進を決意する三年前の自分に、今の自分は何と声をかけるでしょうか。「バカヤロー」「でも、ありがとう。」M1の自分にそう告げたい。とんでもなく辛かった。しんどい想いを味わった分だけ、一生忘れられない思い出と、努力の末に手に入れた自信を手に入れられたのだから。
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