京大受験前日
試験当日の予行演習

翌日に控えた京大二次。当日になって慌てなくて済むよう、今日が本番だと思って当日の移動経路を実際に辿ってみることにした。
05:30ごろ起床し、ホテルの朝食会場にて朝食。寝癖を直し、ホテルを出て京都駅へ、JRと京阪を乗り継いで出町柳駅へ。そこから歩いて京大農学部棟に到着。この計画に穴はあるまいか、ちゃんとゴールできるかを入念に確認した。
京大からホテルまでの帰りは、市営バスを使った。京大正門前から206号系統に乗って京都駅へ向かったのだが、車窓から次々と世界遺産が通過していくものだから、歴史好きの私は大興奮。今にもバスを降りて世界遺産巡りを始めてしまいそうだった。受験生としての自制心が、かろうじて私を座席に留めてくれた。
ホテルに戻ると、まだ11時にもなっていなかった。このままずっと部屋でダラダラしているのも時間がもったいないので、試験前最後の勉強に取り掛かった。
- 英語:システム英単語と25か年分の過去問を全部黙読・音読
- 数学:使い込んできた”やさしくない”理系数学をパラパラとめくる
- 物理&化学:名門の森や化学重要問題集の中の不安な分野から数問ピックアップして解く
ひと通り勉強して頭を試験モードに切り替えた。
あまりに集中しすぎて昼飯を食べるのを完全に忘れてしまい、やるべきことを全部やり終えて外を見たら空が暮れかかっていた。5〜6時間はぶっ通しで勉強していたのだろう。コンビニで適当に夕食を調達し、ホテルのベッドの上で飛び跳ねながらむしゃむしゃと食べつつ、これまでの道のりを振り返った。
回想

私が京大合格を志したのは四年前、中学3年生のとき。何かの番組で京大の学生寮が特集されていて、楽しそう、こんな自由な大学に入って勉強してみたいな~と思ったのがきっかけだった。
私の通っていた学校は七年制。中学・高校の六年間と浪人の一年を合わせて七年。教師自身がそう揶揄する恐ろしい自称進学校である。もう少し遠慮がちに言って貰いたいものだが、教師は学校説明会で何の恥じらいもなく「ウチは七年制ですから」と保護者に説明していた。公式に浪人を織り込んでくるあたり、ある意味で正直な学校ではある。
私は六年で終わりたかった。どうしても現役で合格したかったのだ。そりゃそうだ、浪人なんて勘弁してほしい。限られた命を一年分余計に使わなきゃいけないなんて酷すぎる。しかし学校の授業は京大を目指すにはあまりに遅すぎたから、講義に期待するのは早々に諦め、自分のペースで独学を進めていった。
高校一年次には高校範囲の英語と数学が完成し、英文読解の透視図と青チャートをほぼ全問解けるようになっていた。高二の半ばには理科も独習を終えていた記憶がある。物理は名門の森、化学は重要問題集をおおよそ解けるようになった。
何を隠そう、私は非常に不真面目な学生だった。学校の授業中に授業以外のことをする、いわゆる内職で受験勉強を進めていたのだ。当然、先生からはこっぴどく叱られる。「オレの授業を聞けないなら出て行け」と廊下に立たされたこともあった。それでも内職はやめられなかった。何の恥じらいもなく七年制を自称する教師の講義を、一体誰が真面目に受けたいだろうか。
高三の春、模試の成績は最悪だった。京大農学部はE判定。とある先生からは「内職をやっているからそんな成績なのだろう^ ^」と笑われてしまった。それがあまりにも悔しかった。 絶対に見返してやると歯を食いしばって勉強した結果、夏と秋の京大模試でそれぞれB判定とA判定を獲得する。B判定を取った段階までは先生方もまぁマグレだろうと高を括っていたらしいが、A判定を取って以降、先生方は私の内職に口出ししなくなった。
中3から四年間、自分なりにベストを尽くして戦ってきた。やれる事は全部やってきたはず。たとえどんな結果になろうと後悔はしまい。なんせ四年間やってきたんだもの。京大に恋い焦がれ、京大を追いかけ続けた四年間だった。
明日は最高の晴れ舞台で、全国から集った最強のライバルたちと雌雄を決する日だ。必ず、合格を手にしてみせる。
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