博士課程進学を志す大学院生にとって、学振DC1は避けて通れない関門です。月22.7万円の研究奨励金に加え、年間100万円前後の研究費まで支給される学振DCは、博士課程の生活を大きく左右します。採択されれば研究に専念できる環境が手に入りますし、何より「学振持ち」の称号は、アカデミアにおいてステータスとして機能します。
私自身、M2のときに学振DC1に申請し、ありがたいことに内定をいただきました。申請プロセスを振り返ると、感謝の気持ちと同じぐらい「あれは何だったんだ」という困惑が湧いてきます。学振DC1の申請には、経験した人にしか分からない独特の苦労や笑い話がてんこ盛りです。
今回は内定経験者の視点から、学振DC1申請にまつわる「あるある」を振り返ってみます。博士進学の検討を加速している方や、まさにいま申請書と格闘している方に、共感してもらえたら嬉しいです。
①修士就職の道を断つことになる
学振DC1の申請時期はM2の5月初旬で、結果が開示されるのはM2の9月です。ここで重大な問題が浮上します。修士の就活スケジュールと完全にかぶっているのです。
もし、就活開始前に学振の結果が出るなら、まだ話は簡単です。学振DCに不採用ならば就活に切り替えればいいだけですから、リスクヘッジとしての学振申請も成り立つでしょう。ところが現実はそう甘くありません。学振の結果は就活のハイシーズンが過ぎ去ったあとに判明するのです。つまり、学振DC1に申請すると決めた時点で、修士で就職する選択肢を実質的に手放すことになります。
博士課程に進む覚悟がない限り、学振は申請の土俵にすら立てません。進学の覚悟を試されているという意味では、申請書の内容よりも、申請するかどうかの意思決定が学振最大の関門かもしれません。
②申請システムが煩雑すぎて、申請書より先にシステムと戦うことになる
学振DCの申請は、日本学術振興会(JSPS)のマイページから行います。JSPSはご丁寧に申請マニュアルを用意してくれているのですが、このマニュアルが、とにかく分厚いこと、分厚いこと。PDFの目次を眺めるだけで気力が削がれます。どこに何が書いてあるのかを把握するだけでひと苦労で、マニュアルを読むためのマニュアルが欲しくなります。売っていないんですかね。
かといって、マニュアルなしに操作できるほど直感的なシステムかというと、全くそんなことはありません。画面遷移を繰り返すうちに、自分が申請プロセスのどの段階にいるのか見失ってしまいます。さっき入力したデータはちゃんと保存されているのだろうか。この画面は既に通過したのか、まだだったか、どちらだったか。研究計画構想に使うべき脳のリソースが、申請システム解読に根こそぎ持っていかれてしまいます。
正直なところ、申請システムの攻略難易度は、申請書本体の執筆よりも高いのではないでしょうか。研究計画は自分の頭で考えれば前に進めますが、システムの仕様は考えたところでどうにもなりません。学振に申請する前に、まずJSPSの申請システムに力量を認めてもらう必要があります。③全員が大上さんスタイルで仕上げる
研究計画書を本格的に書くのは、大半の修士学生にとって初めてでしょう。学振DCのメガボリューム申請書を前にして、どこから手をつければいいのか分からず頭を抱える人が続出します。
私も最初は完全にお手上げでした。申請書のフォーマットを開いた瞬間、「これを全部埋めるの?」と絶望感に襲われたことを覚えています。あまりに書くべき量が多すぎて、申請するのを止めようかと思ったぐらいです。
そんな迷える申請者たちにとっての救世主が、サイエンストーキョーの大上先生。大上先生は毎年、学振DCの最新申請要項に基づき、申請書の各項目を執筆する際に心掛けておくべきポイントをスライドで解説してくれます。何を書くべきか、どう構成すべきか、どこに力を入れるべきか、大上さんが教えてくださる。大上・大先生の解説は、暗闇に差し込む一筋の光のようなものです。ありがとうございます。
大上先生の影響力があまりに絶大すぎて、申請者の大半が大上スタイルで申請書を仕上げることになります。フォントの選び方から、灰色や黒の蛍光ペンによるマーキング手法まで、みんなが大上スタイルを忠実に踏襲するのです。審査員の手元に届く申請書は、さながら大上スタイル品評会の様相を呈しているはず。判で押したように同じフォーマットの申請書を何十通も読まされているのでしょう。心中お察しいたします。
④分量の多さに最初は絶望するが、書いているうちにスペースが足りなくなる
学振DCの申請書は、研究計画だけでA4用紙3枚分の記述が求められます。研究者としての自己分析も2〜3枚ほど書かなければなりません。
文章を書き慣れていない大学院生がこの分量を初めて目にしたとき、「こんなに書けるわけがない」と絶望するのも無理はありません。A4用紙3枚というのは、研究計画執筆経験のない学生にとっては果てしない大海原に見えます。実際、私も絶対にこんなに書けない、書けるわけがないと思っていました。
ところが不思議なもので、研究計画を文章にまとめていくうちに、博士課程で実現したい研究の夢がどんどん広がっていきます。
学生にゃんこの手法を使えばあの課題も解決できるかもしれない…



この成果が出たら、次はあの方向に展開できるはず…
などと、頭の中の研究計画が雪だるま式に膨らんでいくのです。夢のビッグバンに比例する形で文章量も増加の一途をたどり、気づけば3枚ではまるで足りなくなっています。
今まであれほど途方に暮れていたのが嘘のように、今度は「研究計画で3枚しか書けないの? もっと書かせてよ」と文句を言いたくなります。書きたかった内容を涙をのんで削り、本当に大切な部分だけを残して完成させるのですが、削り落とした文章への未練はなかなか断ち切れません。
⑤一人称が「申請者」になり、日常会話が崩壊する
学振DCの申請書では、一人称に「私」ではなく「申請者」を使います。「申請者は○○に携わってきた」「申請者は○○を心掛けて研究している」といった調子で、延々と自分のことを第三者のように書き続けるわけです。最初は違和感がありますが、人間の適応能力は恐ろしいもので、数日も書いていると「申請者」が自分の一人称としてすっかり馴染んできます。
問題はここからです。
朝から晩まで申請書の執筆に明け暮れていると、現実世界で自分を何と呼べばいいか分からなくなってきます。友人との昼食で「なに食べる?」と聞かれたとき、脳内の一人称変換が追いつかず、迷いに迷った挙句「申請者は昼ご飯にラーメンを食べようかな」と口走ってしまう。当然ながら、相手の顔には(コイツは一体何を言っているんだ…)と困惑の色が浮かびます。
学振申請の後遺症としては地味な部類ですが、治るまでに意外と時間がかかります。申請書を提出した後もしばらくは「申請者」が抜けず、「私」を取り戻すまでにリハビリが必要になる人も多いでしょう。日本語における一人称の危機を、学振DCが静かに引き起こしています。大変遺憾であります。
⑥研究計画よりも自己分析欄のほうがずっとキツい
意外に思われるかもしれませんが、多くの申請者が口を揃えて言うのは、研究計画よりも自己分析欄のほうが大変だったということです。
研究計画は、博士課程で描いていきたい未来について綴るパート。未来はまだ何色にも染まっていませんから、自分の努力次第でどうにでも語れますよね。多少の大風呂敷を広げたところで、研究計画の世界では許容範囲。夢は大きければ大きいほど映えます。夢っぽく見えたとしても、実現可能性さえそれらしく示せれば、相手に納得感を与えられるでしょう。
一方、自己分析欄は過去の自分について綴るコーナーです。部活やサークル、課外活動、学業成績などをもとに、自分がいかに研究者として適性があるかを審査員にアピールしなければなりません。
エピソードが豊富な人はスラスラ書けるでしょう。羨ましい限りです。おめでとうございます。問題は、特にアピールするものが見当たらない人です。研究室にこもって実験ばかりしていた日々を「研究者としての資質」に読み替えるのは、なかなかの文章力が求められます。これがけっこう難しい。
そもそも、学振DC申請のためにガクチカを計画的に積み上げてきた人は皆無でしょう。大学生活を送っている最中に「将来学振の自己分析欄に書くために、今このサークルに入っておこう」と考える人がいたら、その先見性だけで採択してほしいぐらいです。過去は書き換えられないという当たり前の事実が、自己分析欄の執筆では重くのしかかってきます。
⑦M2のゴールデンウィークが消える
学振DCの申請期限は、例年ゴールデンウィーク明けに設定されています。本来は余裕をもって提出すべきなのでしょうが、自分の将来が懸かった書類を”まあこんなもんでいいか”と提出できる人間が果たしてどれだけいるでしょうか。
もう十分に仕上がっているはずなのに、何度も読み返しては「もっと良い書き方があるんじゃないか」と模索してしまいます。一文を書き換えると別の箇所との整合性が気になり、そこを直すとまた別の一文が気になり始める。推敲の無限ループに突入するわけです。
私が申請した2022年シーズンにはまだ生成AIが登場していなかったので、文章のブラッシュアップは自分の眼と頭だけが頼りでした。今の時代ならAIと壁打ちを繰り返すのでしょうが、自力で頑張るにせよAIに頼るにせよ、改稿に終わりはありません。完璧な申請書など存在しないと分かっていても、「あと一回だけ見直そう」を何十回も繰り返してしまう。
そうこうしているうちに、周囲が旅行や帰省の話題で盛り上がるゴールデンウィークは跡形もなく消え去っています。M2のゴールデンウィークは、学振DC1申請者にとって、あってないようなものです。
⑧論文アクセプトが申請に間に合わない
学振DC1の内定には、研究業績が多いに越したことはありません。業績リストが充実していれば申請書の見栄えが良くなり、審査員に「なんだかこの人、すごそうだな」と思わせることができるからです。業績は申請書における最強の武器であり、ものを言うのは結局のところ数字です。
ただ、M2の5月といえば、B4で研究室に配属された人にとって研究開始からまだ2年しか経っていません。投稿論文の執筆に着手したのがM1の後期だったりすると、学振の申請期限の時点ではまだ論文が査読中……という方も珍しくないでしょう。
ここで残酷な現実があります。業績欄に『受理済み』と書けるか『投稿中』と書くかでは、審査員に与えるインパクトが天と地ほど違うのです。
極端な話をしますが、投稿するだけでいいなら、誰でもNatureに投稿できますよね。生成AIをひと晩回して「ドラえもんのニンニク過剰投与に伴うニューラルネットワーク破滅的誤作動の包括的研究」なる論文を作り上げ、カバーレターを添えて投稿してしまえば、あなたはもうNature投稿者。でも、そんなの別に凄くもなんともないですよね。アクセプトされて出版されるからこそすごいんですよ。投稿中の論文は、”おっす、オラ頑張っています!”以上の意味を持ちません。
学振DC1に申請するとき、泣く泣く”投稿中”のまま申請することになる人が続出します。ただ、こういう時に限って、申請した一か月後ぐらいに論文がアクセプトされたりするものだからタチが悪い。「あと少し早ければ業績が増えたのに…」との嘆きは、学振申請の風物詩と言えるかもしれません。
ちなみに私は、IF42の雑誌Jouleに筆頭論文を投稿し、M1の1月ごろ査読に回ったのですが、なぜか二度目の査読に突入してしまい、学振申請には間に合いませんでした。二度目の査読を乗り越えればアクセプトかと思いきや、Jouleにはちゃんとリジェクトされました。DC1には内定したし、IF24の雑誌にアクセプトされたので、結果オーライなんですかね。
⑨9月下旬、不意打ちで結果が開示される
学振DCは申請期限こそ明確に決まっていますが、結果公開日は事前にアナウンスされません。”例年9月下旬に開示されるらしい”という情報しかなく、正確な日程は誰にも分からないのです。
結果開示の時期が近づくと、申請者たちはおのおのソワソワし始めます。研究どころではなくなり、実験中もメールボックスが気になって仕方ない。「今日こそ来るかもしれない」と期待しながら何度もメールを確認しては、何も届いていない現実に肩を落とします。JSPSは本当に焦らし上手。日本中の学生を見事に調教してしまいます。
SNSのアカデミア界隈では、学振の開示日予想が毎年恒例の一大イベントと化しています。サイエンストーキョーの大上先生まで予想ダービーに参加してパドックを盛り上げるのですから、学振結果開示はもはや アカデミア版・有馬記念 ですね。「今年は9月22日じゃないか」「いや、25日だろう」と、根拠があるような無いような予想が飛び交います。
そんなふうにソワソワしながら過ごしていると、ある日突然、学振から不意を突くようにメールが届きます。メールの件名に”結果開示”とあり、深呼吸して開いたら、結果が分かるページのリンクを案内され、「なんでやねん!」とずっこける。そのリンクを押せば結果が分かるかと思いきや、結果開示ボタンが用意されたページに遷移する。何重にも用意された学振マトリョーシカ。今度クリスマスマーケットに出品してみてはいかがでしょうか。
さて、結果開示ボタンを押すと、今度こそファイナルジャッジメントが下されます。さすがにここではふざける余裕はなく、「神さま、お願いします。通ったら何でもしますから…」と信仰心を発揮して天を仰ぎます。皆さんの申請結果がどうなるかは、皆さん自身の目でお確かめください。
ちなみに結果発表ページでは、学振DC任期中に支給される月給が書いてあります。2026年度から数十年ぶりに昇給して、20万円から22.7万円になったようです。おめでとうございます (*≧∀≦*)





















コメント