私と受験とミソフォニア。持病を抱えながら如何にして大学入試を乗り越えたか

こんにちは、札幌と筑波で電池材料研究をしている北大化学系大学院生かめ (D2)です。高2の春にミソフォニア (音嫌悪症)の症状が悪化し、他の受験生に加え、ミソフォニアとも闘う辛い時間を味わいました。現役時代は京大に不合格。A判定からの大逆転不合格を喫しました。浪人生活でもミソフォニアに苦悶。夏までは京大志望だったものの、病気に気力を蝕まれて勉強を続けられなくなり、秋から北大志望へと切り替えざるを得ませんでした。現役時代の学力貯金を最大限活かして北大に合格。どうにか受験を乗り越えられて胸を撫で下ろした次第です。

この記事では、私の受験にミソフォニアがどのように作用したかを書いていきます。ミソフォニアの人間が苦労して受験を乗り越えていく様子を生々しく記したので、ぜひ最後までご覧ください。

かめ

それではさっそく始めていきます

目次

何もかもが順調だった。そう、高一までは

高一までは何も問題ありませんでした。授業中や休憩時間中、音に煩わされる心配などしなくて良かったのです。音など気にも留めなかったぐらい。授業中は授業に、休みの時間は読書や睡眠に100%集中できました。ミソフォニアの症状が全く現れなかったのです。”ミソフォニア”という言葉すら知らなかったぐらい。学力はうなぎのぼりに向上。中一・3月の期末テストを底に、下位10%から上位10%まで二年間で駆け上がりました。中三の頃から志望校を京大に設定。例年、学年トップ10の誰かが京大に受かっていたため、自分にも手が届く目標なんじゃないかなぁ、と。京大合格を目指して学校や家で勉強に勤しむ日々。勉強のことだけ考えて過ごせる毎日はもの凄く充実していました。

【高二】学校の中で過ごすのが辛くなった

高二に上がってから徐々に様子がおかしくなり始めました。周囲で同級生が洟 (はな) をすするたびにピクッと反応するようになったのです。最初はまだ”気になるなぁ…”程度で済みました。心拍や呼吸が止まるほどの過激なリアクションは引き起こされませんでした。学校や模試でも集中できなくはありません。近くで洟をすすられた際に一瞬だけ思考が止まるも、直ちに集中状態へ戻って回答に着手できました。一学期を終え、夏休みに突入。気になる音に集中を妨げられずに済み、おかげで心を落ち着けて家でたっぷり勉強できました。

二学期に入ってからミソフォニアの症状が本格的に悪化。受験の足音が聞こえてきたせいか、ストレスがたまり、洟をすする音に対する反応がますます過敏になっていきました。音をスルーしたい。そんな簡単なことが易々とは行えません。雑音を雑音として受け流したいにもかかわらず、脳のフィルターへ”異音”として引っかかり、自分の意思に反して音へ自身の意識を根こそぎ持って行かれました。トリガー音が耳に入った途端、思考停止し、何も考えられなくなります。悲しみ、憎しみ、嫌悪感など、ネガティヴな感情が止めどなく溢れ出てきて頭を徹底的に蝕んでいきました。

ミソフォニアの一番辛いポイントは、音のせいで人を嫌いになりかねない点です。たとえその人がどれだけ魅力的な人であろうとも、トリガー音の発信源になった途端、その人は私にとって憎悪の対象へと変わります。ミソフォニアのせいで付き合える人の数が減ってしまいました。トリガー音を発しない人としか接せられないからです。高一までは仲良くしていた同級生の何人かと、高二以降、口をきけないほど疎遠になりました。友達がどんどん減っていく状況に辛くなり、学校の中で過ごすのが嫌になってきました。

【高三】試験で問題に集中できない…!

音が辛い。何も耳に入れたくない。一時は鼓膜をぶち破ってやろうかとさえ考えた。嫌な音さえ聞こえなければ何からも煩わされずに済む。静寂が欲しい。音のしない世界へ行きたい。自分の周りから人が居なくなってしまえばいいのに。人が怖い。隣で洟をすすられた瞬間、心拍が止まるぐらいにまで症状が酷くなっていました。

自分の周りで私ほど音へ過敏に反応している学生は見当たりません。「自分の頭はおかしいのだろうか。もしかして病気…?」と心配でたまらなくなりました。スマホで「洟をすする音が気になる」と検索。そこでようやく”ミソフォニア”の存在を知りました。ミソフォニアは脳の障害だそう。特定の音を引き金にして様々な感情が意図せず湧き上がってくる障害。自分以外にもミソフォニアで苦しんでいる方が世の中には大勢いらっしゃるそう。同志の存在に背中を押されて受験に立ち向かう勇気が出てきました。

ミソフォニアの症状で一番困らせられたのが試験。授業はまだ何とかなります。先生の声でトリガー音がかき消されるからです。試験だとそうはいきません。トリガー音を打ち消してくれるものは何一つなく、音が無防備な耳の中へと遠慮なく殺到します。嫌な音が聞こえるたびに回答の手がピタッと止まる。手を動かそうと思っても手がそれを頑なに拒絶する。どんな科目の問題でも同じ。トリガー音を検知した途端に身体機能が停止します。音をなるべく耳に入れぬため、耳へ鉛筆やティッシュを差し込んで防音対策。自分が一体何と闘っているのか分からず、滑稽でもあり、どこか虚しくもありました。

【高三・受験直前】家でトドメを刺された

いくらたくさん勉強して学力を高めたとしても、試験本番、ミソフォニアの症状が出れば実力の半分さえ発揮できません。近くにトリガー音を発する人が座るか/否かは運次第。試験の出来はトリガー音の有無、および問題との相性の有無に左右されます。音が気にならない健常者相手に勝負するには、健常者の二倍以上の学力が必要。志望校へ余裕で合格できる力を養わねばなりません。あるいは、余裕で合格できる所まで志望大学のレベルを下げるか。自分は前者を選びました。京大に行きたい。京大以外へは行きたくない。京大へ余裕で合格できる力をつける。試験本番に音で集中力を削がれたとしても合格できるぐらいの実力をつけてみせる。

高三・春の駿台模試で京大E判定。そこで尻に火が付き猛勉強を開始。成果が顕れ、夏の京大実戦で農学部B判定。秋には農学部A判定の所まで持って行きました。高三・1月、センター試験 (註:現在の共通テスト)。トリガー音を発する人が近くに座って問題への注意力が散漫に。思い通りに得点できませんでした。それでも京大へ出願。どうしても京大へ行きたかったから。

センター試験でのビハインドを挽回すべく、最後の追い込みに取り掛かろうとしました。家で自習。書店で購入した京大各科目25か年分の過去問を全て解く計画でした。部屋の扉を閉めて朝から夜まで勉強。1月は毎日12時間の勉強。

2月初旬、受験勉強のストレスがどんどんたまっていった頃、花粉症を持つ母親が家で洟をすすり始めました。どれだけ勉強に集中していたとしても、洟をすする音にだけは集中を妨げられてしまいます。親に軽く「洟をかんでくれない?」とお願い。すると親は大激怒。『親に命令するな。子供のお前が音に慣れなさいよ!!』と。以降、母親は私の部屋を通るたびにドンドンと激しく足音を立て、しかも洟をわざとすするように。流石に耐えられませんでした。トリガー音の嵐に襲われて勉強を進めるどころじゃありません。ミソフォニアの症状が一層深刻化。家の近所にあるコンビニやスーパーへ行く時でも耳栓が欠かせなくなりました。

以降、受験本番までの期間、親が寝ている深夜か早朝だけしか勉強できませんでした。一日3~4時間ぐらいの勉強量に。これでは合格するのに演習量が足りません。もっと勉強するにはもっとたくさんの時間が必要なのだけれども、4時間以上は増やせないからこの4時間を最大限有効に使うしかありません。果たして自分はこのような状態で京大受験できるのだろうか…?受かる気がしない。A判定だけれども、合格するビジョンを描けなくなったのです。

幸運にも、二次試験ではトリガー音を発する人は周囲にいませんでした。しかし、演習不足が祟り、数学の問題を全然解けなかったのです。3/9に合格発表。自分の受験番号0439は掲示板にありませんでした。4月中旬に得点開示。合格最低点に6点足らずに落ちていたことが分かりました。

【浪人期】現役時代の貯金で逃げ切る。京大志望も、勉強を続けられずに志望校変更

河合塾広島校で浪人。自宅浪人すれば母親からトリガー音で飽和攻撃され、仕舞いには殺されてしまうと危惧して予備校通いを選択。

予備校は予備校でまた問題がありました。予備校は高校よりも教室内の人口密度が高く、トリガー音がより頻繁に耳へ飛び込んでくるようになったのです。音を一つやり過ごしてホッとしていたら次の音が襲い掛かってくる。防戦一方の状況に神経をすり減らし、次第に授業へ出られなくなっていきました。そうかといって自習室へ行くのはダメ。自習室は人の話し声こそしないけれども、洟をすする音が高らかに響き渡って全く集中できませんでした。予備校のエレベーターホール前に置いてある机が私の定位置に。学生が教室内で授業を受けている間、静かなエレベーターホールで心を落ち着けて必要な勉強量を確保。気分転換に河川敷へ行って読書をしました。百均で買ったレジャーシートを敷いて寝そべり、日光を浴びてうたた寝するのが気持ち良かったです^ ^

予備校時代に学力の上積みはほとんどできませんでした。というか、ミソフォニアの症状で疲れ切り、学力を高める意欲さえ湧き起こらなかったのです。現役時代に培った学力を維持し、洗練させる程度。それで京大へ行けるなら行きたいし、行けないなら行けないで仕方がないから妥協して志望校を変えるしかない。夏までは京大志望。京大オープン模試でA判定&冊子掲載。模試で燃え尽き、エネルギーが枯渇。夏から春まで一切勉強しなくても受かりそうな大学へ行こうと決め、北大を選択。これまでの貯金を活かして逃げ切る作戦。勉強へ集中しようにも難しかったのです。二浪回避のため現実を見て、勉強しなくても行ける大学を目指すしかありませんでした。結果、この作戦は成功。二次試験本番までどうにか気力を維持させられ、北大総合理系へ次席合格してフィニッシュ。

最後に

一人のミソフォニア患者たる私がどのように受験を乗り越えたか記しました。

受験突破法は一つではありません。私のように失速して終わる方法もあれば、怒涛の追い込みを図って大勢の受験生を捲ってフィニッシュする方法もあります。受験生の数だけ勉強戦略があります。皆さんにはぜひ、ご自身に合った受験戦略でもって合格へと突き進んでいただきたいです。

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