【高三受験体験記】大学受験でA判定から見事に滑った一年間の記録

模試でのA判定―それは受験生にとって大きな自信となる指標です。その評価が時として両刃の剣となり、思いがけない落とし穴を生むことを、多くの受験生は知らないのではないでしょうか。

本記事では、京都大学の受験において、模試A判定を獲得しながらも、わずか6点差で不合格となった体験をお伝えします。A判定による慢心が学習意欲を低下させ、また過度なプレッシャーとなって本番での実力発揮を妨げた経緯から、模試の判定とどのように向き合うべきかを考えていきます。

受験を控える皆様に、この体験から得られた教訓をお届けできればと思います。

それでは早速始めていきます

もともとの成績

高校一年生以来、学校での総合成績は常に学年上位10位以内を維持していました。中学一年生では学年270人中200位と、後方に位置していた成績でしたが、勉強のコツを掴んだ途端に急上昇。中学二年生(21位/270人)、中学三年生(15位/270人)と着実に成績を伸ばしていったのです。

高校一年生での最高順位は学年280人中4位にまで到達しました。数学と英語では学年トップを獲得し、苦手科目でも50位前後をキープ。努力が結果として表れる喜びを噛み締めながら、「勉強する→成績が上がる→嬉しくてまた勉強する→さらに成績が上がる」という好循環に身を委ねていました。

中学三年生の頃から漠然と抱いていた京都大学への進学希望は、学年成績の向上とともに確かな志望へと変化していきます。高校一年生の終わり頃には「よし、京大へ行くぞ。行かなきゃダメだ!」と、強い決意へと昇華していったのです。

高校二年生に入り文理が分かれると、学年全体で統一して行われる試験は河合塾の全統模試のみとなりました。その成績は学年20位前後と、決して悪くはありません。数学では学年10位以内が当たり前。英語も30~40位程度と安定した成績を収めていました。

ただし、国語だけは著しい不振に悩まされることになります。記述式・記号式ともに学年平均点前後の成績に甘んじ、登場人物の心情を深読みしすぎて正答になかなか辿り着けない状況が続きました。古文も不得手。丹念に文章を読んでも内容の理解に苦しむ日々。学校の定期試験では、テキストの文章と現代語訳を丸覚えすることで95点を取れる一方、模試では既存の丸暗記式学習法が通用しませんでした。

(高二) 1月:東大レベル模試でA判定

高校二年生の最後に受けた駿台模試で、京都大学理学部A判定でした。数学の解法が試験中に全問閃き、満点に近い点数を叩き出せたことが大きな要因となっています。一方で、英語と国語の成績は芳しくありません。特に英語のリスニングでは長文の内容理解に苦戦。記号問題の大半は勘に頼る状態でした。

それでも数学の好成績により、京大A判定、東大理科一類ではB判定。この成績表を受け取った時、「数学だけに頼るのは危険ではないか」という不安が頭をよぎります。

京大の二次試験で今回のように数学が完璧に解ければ良いでしょう。万が一数学で失敗した場合、他の科目でカバーしきれずに不合格となるリスクが見えてきたのです。数学は得意分野では満点を狙える一方で、苦手分野では全く点が取れないという博打的要素の強い科目。特に苦手だったのは確率分野。ここの苦手意識を払拭し、本番で出題されても最低限の得点を確保できるよう対策を講じねばならないなと感じました。

5月:駿台模試でE判定

数学対策に没頭するあまり、他の科目、特に理科の学習がおろそかになってしまいました。物理は基礎レベルの問題を『物理のエッセンス』で解いていたものの、模試レベルの応用問題には全く手をつけていない状況でした。

その結果、駿台模試では物理でわずか4点という惨憺たる成績に。問題を前に完全に凍り付いてしまい、いくら考えても答えにたどり着けない苦しみを味わいました。数学も芳しくなく、偏差値40程度まで落ち込んでしまいます。化学と英語はそれぞれ偏差値55/65と比較的健闘。京大理学部・農学部ともにE判定という残念な結果に終わってしまったのです。

同じ学年内では上位にランクインしていても、浪人生との競争や難度の高い問題に直面したら通用しないことを痛感させられました。A判定に油断してはダメ。かといってE判定で諦めてもダメ。合格に必要な実力を地道に積み上げていく必要性を強く感じました。浪人生の存在は大きな驚異。自分たちより一年以上長く勉強してきた方々との競争に向き合わねばならぬ現実に戦慄しました。

8月:京大実戦模試でB判定

小学四年生から続けてきた習い事は、高校三年生になっても継続していました。中学三年生から高校二年生まで国体に出場し、優勝や入賞の実績を重ねてきた中で、「高校三年生でも国体に出て完全燃焼したい」という思いが強かったです。そこで、10月の国体開催まで勉強よりも習い事を優先的に行うことを決意します。

受験は浪人という選択肢もあるでしょう。しかし、スポーツで全国大会に出場できるのは実質的に高校三年生が最後のチャンス。大学生からは成人カテゴリーでの勝負となります。オリンピックに出るような選手たちと競って勝てるとは思えません。全国優勝を狙えるのは今年が最後。この思いから、週末を中心に乗馬の練習に励みつつ、学校の授業中や週末の早朝を利用して効率的な学習に取り組んでいました。

夏の京大模試は、京大吉田キャンパスの総合人間学部棟で受験。前泊や試験当日の交通手段の確認など、二次試験本番を想定しての受験となりました。受験生の真剣な雰囲気に圧倒されながらも、試験自体は好調な滑り出し。国語は平常通り。数学はまずまず。英語は特に出来が良く、理科も一定の手応えを感じられました。二日制の試験を一日に圧縮して実施する形式であったため、最終科目の理科(3時間!)を終えた時には完全に疲労困憊。机に突っ伏してしまうほどの消耗を味わいました。

翌月返ってきた成績は、農学部B判定、理学部C判定でした。英語と国語は偏差値60と実戦レベルに到達。自分は記述式の国語との相性が良かったみたい。一方で、数学は計算ミスが目立ち平均点レベル。物理は演習不足が露呈して振るわず。化学は有機化学の構造決定問題で苦戦する結果。全体としては上々の出来栄え。B判定を取れて安堵感を覚えました。

11月:京大実戦模試でA判定

10月初旬の国体を終え、ようやく受験勉強に専念できる体制が整いました。これまでの遅れを取り戻すべく、平日は帰宅から23時まで、週末は終日勉強に没頭する日々が始まります。特に苦手意識の強かった数学と物理の演習に力を入れました。少なくとも「苦手ではない」レベルまでの学力底上げを達成。化学は有機化学を中心に徹底強化。得点源として確立することを目指しました。英語と国語の勉強は最低限。ある程度の期間学習を中断しても実力が大きく低下しにくい特性を考慮し、この時期は理系科目の強化を優先することにしました。

11月中旬の京大実戦模試は駿台広島校で受験。前後を学校の京大志望者に囲まれ、妙な安心感を覚えながらの受験となりました。物理以外の科目は手応え十分。特に苦手だった数学も問題との相性が良く、半分程度の得点を見込める手応えがありました。物理については依然として課題が残り、大問の中盤以降で手が止まってしまう場面が続出。問題集で見たことのある問題でさえ解けない状況に、科目との相性の悪さを痛感させられます。物理特有の抽象的思考が、どれだけ訓練しても身につかない壁を感じていました。

翌月返ってきた成績表には農学部A判定の文字が。英語と国語の好成績はキープ。数学と化学も半分近い得点を確保しました。物理の不出来(20/100)をカバーできる結果となったのです。特に化学の点数アップは心強い。安定した得点源として期待が持てる手応えを感じました。

物理については、さらなる改善を目指さねばなりません。毎朝・毎晩「私は物理が得意だ」と10回ずつ唱える自己暗示を取り入れ、苦手意識の払拭に努めることにしました。

12月:センター模試で830点台

学校で実施されたセンター試験(現:共通テスト)の模擬試験で、約830/900点という好成績を収められました。92%もの得点率は、京大受験には十分すぎる成績。数学は二科目とも満点。英語と日本史はそれぞれ9割。物理と化学は8割程度。さらには苦手だった国語でさえ9割を超える得点を達成しました。

この結果に、思わず「京大合格、間違いなしでは?」とガッツポーズが出てしまうほど。京大模試でA判定、マーク模試で9割超えという結果に、落ちる要素が見当たらないという自信が膨らみました。「いっそ首席で合格してやろうか」という不相応な野心まで抱くようになっていきます。

しかし、その自信は諸刃の剣となっていきました。”合格確実”という思い込みから、「そこまで一生懸命追い込まなくても受かるだろう」という慢心が生まれたのです。一日10時間だった学習時間を半分程度にまで減らしてしまいました。空いた時間は睡眠に費やし、「来年から京大生か~」とルンルン気分に浸る日々。たった一度のA判定で気を緩めるという愚かな選択が、後の試験で痛烈なしっぺ返しを受けることになるとは、この時点ではまだ想像もしていませんでした。

1月・センター試験:英語と国語で大爆死

センター試験対策として、各科目25か年分の過去問を全て解き切りました。冬休み中は毎日、全科目一年分ずつ時間を計りながら解答し、採点後には間違えた問題の解き直しまで行いました。本番での焦りを想定し、試験時間の7割の時間で解き切れるよう訓練を積んでいきます。

国語での苦戦は続きましたが、最終的には八割ぐらい取れるレベルに到達。社会は日本史を選択し、写真記憶で教科書を丸暗記する戦略で、安定して90点を確保できる体制を整えました。

センター試験本番は広島修道大学での受験となりました。大学の正門で担任の先生からの激励を受け、試験教室へ向かいます。同じ部屋には同じ学校の生徒しかおらず、前後左右が知人という環境に、まるで学校での定期試験のような安心感すら覚えました。

一科目目の日本史は順調にクリア。しかし、二科目目の国語で突如として「この試験に人生が掛かっているんだ…!」という思いが襲い掛かり、その瞬間から緊張で文章が頭に入らなくなってしまいました。何度も深呼吸を繰り返して冷静さを取り戻そうと努め、解けそうな問題から手をつけていきます。古文と漢文は意外にも頭に入ってきました。現代文、特に小説分野では回答した全問に確信が持てない状態での解答を強いられたのです。

英語はさらに深刻で、目が文章の上を滑るように動くだけ。一度読んだだけでは内容が全く把握できません。同じ文章を三回読んでようやく文意を掴み、五回読んで初めて確信を持ってマークシートを塗りつぶせるという有様。長文読解の回答に自信を持てません。合っているのかな。いや、こっちの方が正解じゃないかな。確信をもって答えられる問題が少なく、今までにない低得点を覚悟したのです。

一日目での極度の緊張が嘘のように、翌日の理系科目では全科目で平常心を取り戻すことができました。むしろ二日目の好調さが、初日の不出来を一層際立たせる結果となってしまいます。

自己採点の結果は、日本史92/100、国語と英語はともに144/200、数学はⅠ・A/Ⅱ・Bともに9割前後、物理90/100、化学80/100程度。合計で743/900(82%)でした。9割以上を記録していた模試の成績が幻だったのかと思わせるような結果に愕然。特に国語と英語の点数の低さには唖然。高校二年生でも取れたかもしれないレベルまで落ち込んでいました。これは明らかに、自分が勉強を怠けていた報いだったのです。

センター試験での結果を受け、二次試験に向けて改めて気を引き締め直す必要性を痛感させられました。

2月:京大本試の数学で大爆死

一度緩んでしまった気持ちを再び引き締めることは、想像以上に困難を極めました。本気の受験生モードに切り替えるまでに、センター試験から2週間もの時間を要することになります。

1月末、京大への出願を済ませました。志望したのは農学部。農業工学を学べる地域環境工学科を第一志望欄に記入しての出願です。本屋で購入した京大の25か年分の過去問を毎日解き進め、分からない箇所は解説を見て、理解できるまで考察を重ねました。

英語と国語と化学は着実に6割程度の得点が見込めるようになってきました。このまま実力を維持し、本番で実力発揮できれば合格するのに十分な点を得られるでしょう。物理も、意外なことに徐々に解けるようになってきていました。応用問題が基礎問題の組み合わせで構成されているという気づきが大きな転機となりました。落ち着いて要素分解すれば完答も視野に入るという自信が芽生えてきたのです。

しかし、数学だけは深刻な状態が続きます。解き方の糸口が見えず、京大特有の小問のない問題形式に戸惑いを隠せません。たとえ解法が思い浮かんでも計算ミスで誤答してしまい、まともな得点が取れる手応えを一向に得られぬまま、二次試験当日を迎えることになってしまいました。

初日一科目目の国語は、集中力を保ちながら臨めたことで、時間を余らせての回答終了となりました。会心の出来栄えに、緊張もさほど感じることなく、このまま順調にいけば合格も見えてくるのではないかという期待すら抱かせる好スタートでした。昼休みには笑顔で食事を楽しめるほどの余裕さえ感じられたのです。

しかし、この試験の真の鬼門は数学でした。問題用紙を開いた瞬間、突如として緊張が押し寄せ、問題文が頭に入ってこなくなってしまいます。元々空白の多い京大理系数学の問題用紙が、まるで雪原のように真っ白に見えてくる。パニック状態から約5分間の過呼吸に陥り、試験官に心配されるほどの症状を呈してしまいました。なんとか落ち着きを取り戻し、解けそうな箇所から一問ずつ手をつけていきましたが、結果は惨憺たるものでした。計算ミスで解答の導出過程が支離滅裂になり、解法の糸口すら見出せずに白紙のまま答案を提出せざるを得ない大問も出てきてしまったのです。

数学での大失敗を経て、二日目は開き直った心持ちでアグレッシブに試験に臨むことができました。英語と理科は無難にこなし、それぞれ6~7割程度の手応えを得て試験を終えることができました。

最終的な手応えとしては五分五分といったところ。数学を除けば十中八九合格圏内だったはずですが、数学での失速がどれほど合否に影響を与えるか、まったく予測がつかない状況でした。

そして3月10日、運命の合格発表。受験番号【0439】は掲示板には見当たりませんでした。翌月の入試成績開示で明らかになった合格最低点との差は6点。まさに紙一重の差で合格を逃す結果となったのです。

どうしてA判定なのに落ちてしまったか【A判定の呪縛】

京大受験から8年の月日が流れ、あの日の不合格をようやく「良い思い出」として自分の中で消化できるようになりました。改めて過去を振り返ってみると、なぜ京大に落ちてしまったのか、その要因が見えてきます。

マグレでとったA判定。実力はC~B判定相当だった

たった一度のA判定で調子に乗りすぎてしまったことが、最大の躓きでした。高校三年生11月の京大実戦模試でA判定を取れたのは、苦手な数学で半分ほど得点できたという幸運な要因が大きかったのです。

A判定を目にして「自分の実力が上がった結果だ!」と学力を過信してしまったことが失敗の発端となりました。冷静に実力を分析していれば、実際にはC~B判定相当の力しかないことが見えていたはずです。A判定はあくまでも励みとすべき指標に過ぎず、合格を約束するものではないという認識を持ち続けていれば結果は違っていたかもしれません。

A判定を取って油断し、直前期に勉強の追い込みを怠ってしまったから

A判定を取るまでは順調に進んでいました。しかし、その後に油断してしまったことが致命的な誤りとなります。受験直前期という現役受験生の学力が最も伸びるはずだったゴールデンタイムを自ら手放してしまったのです。

高校三年生11月時点ではA判定だった実力も、直前期には相対的にC判定レベルにまで低下していったのではないでしょうか。この時期にも11月以前と同様の緊張感を持って学習を継続していれば、異なる結果を手にできていたかもしれません。

「A判定だから落ちてはいけない…!」と本番で自らを緊張させてしまったから

A判定の呪縛は、学習意欲を削ぐだけでなく、試験本番での極度の緊張という形でも現れました。「自分はA判定。落ちるはずがない!」という思い込みが、逆に首を絞める結果となったのです。

センター試験の国語や英語、二次試験の数学で起きた異常な緊張は、おそらくA判定から派生した過度なプレッシャーによるものだったと考えられます。A判定を取ったがゆえに脳が硬直し、普段の実力を発揮できずに得点を重ねることができませんでした。むしろ、失うものが何もないD~E判定での受験の方が、精神的には楽だったかもしれません。当落線上での勝負ができたかは別として、「A判定だから」と気負うことなく、もう少し落ち着いて試験に臨めていれば、また違う結末が待っていたのではないでしょうか。

最後に

模試でのA判定は、諸刃の剣となりかねません。本事例では、高校3年11月の京大実戦模試でA判定を獲得したことが、皮肉にも合格を遠ざける要因となりました。

A判定による過信が、直前期の学習意欲を低下させ、一日10時間の学習時間を半減させてしまいました。さらに、「A判定だから落ちるわけにはいかない」という重圧が、本番での極度の緊張を招き、特にセンター試験の英語・国語、二次試験の数学で実力を発揮できない結果となったのです。

模試の判定は、あくまでその時点での実力を示す指標に過ぎません。特にA判定は、実力の証明ではなく、むしろ慎重に受け止めるべき警告として捉えることが重要です。受験期において最も重要な直前期に、緊張感を持続させ、着実な学習を継続することこそが、合格への近道となるでしょう。

本事例は、わずか6点差での不合格という結果から、A判定による慢心が、いかに受験生の運命を左右しうるかを如実に示しています。模試の判定に一喜一憂することなく、最後まで謙虚に学び続ける姿勢が、受験成功の鍵を握ると言えるでしょう。

二次試験当日の様子を綴った文章も用意しておりますので是非ご覧下さい⇩

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