広島生活春夏秋冬vol.19 二年目・5月|大型連休に伴う、崖っぷちのぽにょによるコロコロ・ブラックペッパービューティー宇宙研究開発

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崖っぷちのぽにょ

広島は海産物の宝庫。宮島を中心に牡蠣が養殖されており、瀬戸内海ではスナメリが放し飼いにされている。蒲刈の砂浜を潜ればウニがいる。海の中で手をかき回せば、新鮮でツヤツヤのワカメが採れる。北海道の寿司は抜群に美味いけれども、広島の寿司屋だって負けていない。

広島県民は、岩国を広島のものだと思っている。お前のものは俺のものだし、俺のものは俺のもの。実際、岩国には広島のシティーライナーが通っており、電車で乗り換えなしに広島駅まで着く。広島市民からすれば、広島空港よりも岩国空港の方が近いから、岩国も広島みたいなものだと考えている。私もそうだと思っている。

納豆を混ぜればスパゲッティーになるように、広島城主の守備力にも限界がある。領土を守り切れる領域を鑑みて、広島県民は岩国と引き換えにどこかを手放さねばならなくなった。そこで、広島人は広島城下に集い、千夜一夜の検討を重ねた。最終的な加速結果として、福山市を手放すことに決めた。福山を岡山に割譲したまでは良かった。だが、福山も福山で独立心が強く、クーデターを起こして福山県として独立した。

福山独立抗争では、岡山と福山のあいだで仁義なき戦いが繰り広げられた。岡山方が備前焼で遠距離攻撃してくるなか、福山方は JFEスチール と 洋服の青山 による全面支援のもと、電磁鋼板と就活スーツをまとって徹底対抗した。オタフクソースまみれのこの戦は、今も決着がついていないと言われている。

皆さんは ぽにょ をご存じだろうか。ジブリ映画の主人公として広告収入をしこたま蓄えた、テストで3点・笑顔は満点のゆるふわキャラクターである。あまり知られていないのだが、実は、ぽにょは福山抗争において福山方のボスとして君臨した。その働きぶりは窓際社員のごとく、動かざること山のごとしだったという。ポニョは福山県内で英雄視されており、福山駅前に銅像が建てられ、心の綺麗な人にだけ見えるのだとか。

・・・・・・・

さて、GWは12日間ある。髪の毛を切ってもまだ2時間しか過ぎてない。次はどこで何をしようか。ちょっくらインドまで行ってくるか。いや、この時期のインドは酷暑だよな。飛行機代も高いし、行ったら行ったで誘拐されて返ってこれなくなるかもしれない。

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アパートから広島駅横の蔦屋家電まで、ほふく前進で140分かけて向かった。蔦屋家電には本屋があって、店員の代わりに家電のセールスをやりながら本を立ち読みできる。旅行本コーナーを徘徊して、次の行き先を考えてみる。そのとき、頭上から天啓が降ってきた。意識が戻ったときには、福山駅の新幹線ホームに居た。

私はなぜココにいるのだろうか。誰がクレジットカードを切ったのだろうか。ホーム上を右往左往していると、ヤツのポスターと目が合った。ぽにょだ。ぽにょがここまで連れてきたらしい。

ポスターのぽにょと話してみると、どうやら単位が危ないのだそう。親のコネで川崎医大に入ったまでは良いものの、授業が日本語で全然わからず、もうどうしたらいいか分からない… と頭を抱えている。ぽーにょ、ぽーにょぽにょ、留年生♪ 今年が最後の卒業チャンスなのだとか。来週にはCBT試験が迫っているらしい。崖の上どころか、崖っぷちじゃないか。

そうかそうか。そんなに困っているなら、一肌脱いであげなきゃな。勉強はね、この私に任せなさい。吾輩は化学系分野で博士号を取った。大学受験では医学科進学も考えたが、生物が苦手すぎて早々に諦めた。同じ勉強嫌いどうし、共感しあえるところがあるだろう。あ? 全然頼りにならんって? 贅沢言うな、刺身にして食うぞ。

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ぽにょの家庭教師を務めるため、鞆の浦へバスで向かった。鞆港で降りると、瀬戸内海の強い潮風が顔面へ容赦なく吹きつけた。暑い。

階段を降りると、大勢の釣り人が海と相対していた。飛び交う言葉を聞く感じでは、ベトナム人8割・インドネシア人1割、人面魚1割といったところだろうか。彼らは ぽにょ を釣りに来たらしい。ぽにょは今が旬で、身に脂がのっていて美味しく、煮ても良し、焼いても良し、飼っても良しと三方善しなのだとか。

私が10分ほどボーッと見ているなかでも、次から次へと ぽにょ が釣り上げられた。ぽにょは一本釣りで釣るのが主流らしく、警戒心ゼロなので釣り初心者でも容易に釣れるのだという。釣り人のクーラーボックスには、釣果のぽにょがぎっしり詰め込まれていた。私に家庭教師を頼んだ ぽにょ も、既に釣られてしまったかもしれない。まぁ、いいか。

鞆の浦は港町だと聞いていたが、海の真裏には重厚感ある石畳が広がっていた。こういう所で、ぽにょは育ったのか。この辺りの寺子屋で育てられたぽにょが、海に放流され、すぐ捕まって食べられてしまうのか。なんだかもったいない気がする。もっと遠くまで逃げればいいのに。鳴門海峡を通って太平洋に出、オーストラリアまで行けば安牌だったろうに。広島から札幌まで1300kmも逃げたくせに、結局帰ってきた私と似たようなものか。吾輩もぽにょである。

鞆の浦は、様々な映画の舞台となった。崖っぷちのぽにょを筆頭に、時をかける少女、釣りバカ日誌、東京ラブストーリー、探偵はバーにいるなど、数多の有名映画の構想が練られていない(いないんかい)。実はハリウッド映画の撮影舞台にもなっていない。タイタニックなんかもここで撮られ……ていない。ネタ切れを起こしたジョージ・ルーカスが、スターウォーズの最終決戦の地として鞆の浦を直々に指定して…いるかもしれない。

結局、ぽにょとは出会えなかった。おそらくベトナム人に釣られたのだろう。ぽにょ の来世でのご活躍を祈念して、お寺で瀬戸内海をボーっと眺めた。すると風がピタリと止んだ。さっきまで顔面に容赦なく吹きつけていた潮風が、嘘みたいに凪いでいる。潮騒が同じリズムで繰り返し浜を洗っていた。

…なんか、久々に休んだ気がする。羽を休めて歩みを止め、今という時間をどこまでも大切にできている。

会社に入って四度目の大型連休だけれども、まともに心を寛げたのは今回が初めてだった。勉強、勉強と息を荒くしていた一年目のGW。会社生活に閉塞感を覚え、乗馬を再開した夏。馬がちっとも面白くなくて辞め、この先の自分はどう生きていけばいいのかと途方に暮れた年末年始。どれも十連休で、時間はたっぷりあったはずなんだけれども、身も心も休ませられなかった。何かをしなければ!! と強迫観念に駆られ、自らを積極果敢に消耗させてばかりいた。

会社就職前どころか、学生時代も長期休暇をうまく過ごせなかった。休みにもかかわらず、どこにも遠出しなかった。知人と会うこともなく、ただ一人で黙々とランニングしたり、図書館で永遠に本を読んでいた。あの頃は一人でいる方が好きで、一人の時間を大切にしたかった。思春期に親から虐げられてきたぶん、学生の時ぐらいはのびのび過ごして、何者からも自由でいたかったのだ。

大学一年次の冬にアドラー心理学と出会い、自分の家はおかしかったのだと気付き、それから解毒に取り掛かった。北大生活を終え、会社で一年過ごし、二年目のGWがきた。親に植え付けらえた毒が、いま、この身から抜け落ちかかっている。

自分には無条件に価値があるとは、まだどうしても思えない。潜在意識レベルで毒に蝕まれてきたから、おそらく一生思えないのだろう。ただ、今まで頑張ってきた自分を認めてあげられるようにはなった。あの家庭環境をよくぞ耐え凌いだ。よくグレなかった、よくここまで積み上げた。

今までは、親からの愛を勝ち取るために頑張ってきた。というか、頑張らなければ生かしてもらえなかったから、頑張らざるを得なかった。成果を出したときには「自慢の息子」と喧伝し、少しでも躓こうものなら徹底的に自己責任論を押しつけられた。Uターン就職したあと、親と何度か話してみて、彼らはどこまでいっても私を受け入れるつもりがないと分かった。28年間、生きる理由を懸命に探し続けてきた私を、着脱可能な都合の良いアクセサリーだと未だに思っている。本当におめでたい人たちだなぁって、虚しくなった。

もう、いいんじゃないかな。愛を与えるつもりのない人から愛を享けようとしなくて、いいんじゃないか。水は、砂漠の真ん中ではなく、オアシスに行ってようやく得られるものなのだから…

・・・・・・・

お寺でボーっと回想していると、海面で一匹の ぽにょ が勢いよく跳ね上がった。「ぽにょ、てすと、やばい!」と言っている。よかった、まだ釣られてなかったんだな。釣られる前に助けてあげなきゃな。まずは一緒にオーストラリアまで逃げよう。今度こそ逃げ切ろう。話は、それからだ。

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