人生初の骨折

ちょっとした自慢をふたつ。
まずひとつ目。会社員になっても体型を維持できている。維持どころか、ブラッシュアップされた。体重が半年で2キロ落ちた。175.1センチ59キロだったのが、175.2センチ57キロになった。どうして1ミリ伸びたのだろうか。弊社はSHUCDEC(スーパー・ハイパー・ウルトラ・超・どんだけ・エクセレントカンパニー)。重力場を歪めるほどのすさまじい力がある。
ふたつ目。この世で産声を上げて以来、まだ一度も骨折したことがない。肩は何度も脱臼した。球速が上がると噂のトミー・ジョン手術を受けたこともある(ない)。気管支炎で入院した経験すらある(これはある)。頭のネジは、数えきれないほど外れてきた。それでも、骨折だけは器用に避けてきた。小・中学校では、腕をギブスで固め、肩から包帯を吊り下げて歩く同級生の姿を散見した。私はああいうのとは無縁だった。
さて。
先月末、弊社でぽんぽこりんの業務を終え、電車で帰路に就いた。車内では妙に咳き込む人が多かった。夏風邪が流行っているのかもしれない。皆、家でササっとそうめんばかり作って食べているのだろう。そうめんなんて簡単に作れるからな。夏は暑いし、特にそうめんを食べたくなる。私も今年の夏、そうめんを何度食べたか分からない。
そうめんの過食は、腹を冷やす。私も風邪には気を付けたい。夕食メニューのレパートリーを増やすべく、検討を加速する最終段階に入る決心を下す決断を下した。
翌朝、いつも通り5時半に起きた。布団をたたみ、第一声として、いつも通り「吾輩は会社員である。理性はもうない」と発した。おや、と思った。喉がイガイガする。何かが引っ掛かっていて、薄い膜が張っていて、ギャラホワでむきゅんむきゅんの感覚がある。
風邪だ。さては電車の中でもらってきたか。バカは風邪をひかないんじゃなかったのか。安心した。自分はバカではないようだ。これはこれは、ニコラ・テスラ以来の大天才の登場だ。皆さん、こんにちは。どうもありがとうございます。
あるいは、「そうめんなんて作るの簡単だろ笑」と連呼し、主婦層の恨みを引き寄せてしまったか。これはまずい。すぐ謝罪会見を開きましょう。このたびは、そうめん作りを『軽作業』と誤発信してしまい、大変申し訳ありませんでした。そうめん作りは重労働です。湯加減を見張っていると熱いですよね。麺を持ち上げると筋肉痛になりますよね。そうめんに天ぷらや薬味を添え、素麵御膳をこしらえるのは大変ですよね。ごめんなさい。大変遺憾であります。
禊や厄落としはとうに済んだであろう。それなのに、風邪は一向に収まってくれない。収まるどころか、メガ進化した。咳は日を重ねるにつれ高強度になっていく。やがて、身体を大きく揺さぶるほどのディープインパクトを伴うようになった。こんなに辛い咳は久々である。ああ辛いわ、ホンマに早く収まってくれ。
指導教員曰く、2020年に「土の時代」が「風の時代」に切り替わったようだ。思い返せば、2020年以降、風邪をひくことが本当に多くなった。
咳は二週間以上続いた。熱はなく、咳だけが続く。
ある時から、咳をするたび脇腹が鋭く痛むようになった。最初は問題視していなかった。なんせ、私はSHUCDEC社員。弊社の超高層オフィスまで階段で昇り降りしている。昼休みには在宅ワーク中でも四股を踏んでいる。仮に仕事はサボっても、いや、サボらないけれども、四股だけは決してサボらない。平素の下半身トレーニングで鍛え上げられた自然治癒力には自信がある。私が風邪ごときに負けるとは思えない。風邪など、銀河の果てまで押し出してやる。
先述の通り、咳は二週間続いた。普段なら長くても一週間で収まるところ、今回は二週間以上続いた。コンコンコンコンコンココンッ、ときつねダンスのリズムでくしゃみが出る。先月、エスコンで買ったきつねのカチューシャを付け、改めて盛大にくしゃみをする。咳が出るたび、脇腹が痛む。こんなに咳をしていたら筋肉痛になる。そのうち、出てはいけないものまで出てきそうな気がする。
今のままではいけないと思っている。だからこそ、今のままではいけないと思っている。
咳を患って三週目。寝起きの際、脇腹が痛むようになった。寝返りをうっても同じ個所が痛む。抑えても痛い。身体をねじっても痛い。四股を踏むべく、足を上げても違和感がある。これは筋肉痛ではないぞ。筋肉痛の痛みではない。未だかつて経験したことのない、いわばドドドドヤァンな痛みである。
ネットで「咳 わき腹が痛い」と調べる。一番上に出てきたのが「もしかしたら肋骨の疲労骨折かも!?」という記事。肋骨は柔軟で、基本的には折れない。しかし、ディープインパクトがあまりにも武豊騎手と直線で差し切って勝ってばかりだと、他の競走馬は「もうやってらんねぇよ!」と戦意喪失して折れるらしい。
人生初の骨折が肋骨。しかも、外傷ではなく内傷だなんて。なんと情けない骨折だろうか。もっとド派手に折りたかったぞ。乗馬中に馬から落ちて頭蓋骨を複雑骨折するとか(マジでやめとけ)、道路に飛び出した子供を助けるために道へ飛び出し、車に轢かれて足を折るとか。骨折とは、派手なことをして患うものではなかったのか。どうして、何もしていないのに、骨へ ひび が入っているのか。
肋骨を折ると、生活に支障をきたす。
寝返りはうてない。椅子の背もたれにはもたれられない。着地衝撃が肋骨に響くから、ランニングすら不可能になる。信号が目の前で点滅し始めても、ダッシュで渡り切ることができない。乗馬は何とかこなせている。しかし、馬の厩舎掃除でスコップを持ち上げるたび、脇へビリビリビリッと激痛が走る。
骨折の結果、健康的で文化的な最低限度の生活を営めなくなった。肋骨は私から生存権を奪った。骨が折れるとは、心が折れること。これほど辛いとは知らなかった。
確かに私は先月、北海道神宮にて「自分がどうなってもいいから周りの皆を幸せにして」と神に祈った。祈禱がこれほど迅速に効くだなんて思ってもみなかった。私の知人で、最近何か良いことがあった方はおられるだろうか。それは十中八九、私のおかげ。我が骨がバッキバキになって、その引き換えに訪れた幸福であるぞ。今度、何かご馳走してほしい。それぐらいしてもらわねば割に合わない。
骨折には、何が効くのだろうか。ネットで「骨折 治す食べ物」と検索してみる。カルシウムとたんぱく質が効く。特にハムやチーズが効くらしい。ぽにょが鞆の浦でむしゃむしゃ食べているものばかりではないか。吾輩は ぽにょ である。肋骨はもうない。
肋骨骨折は、安静にしていれば治るそう。正直、食べ物はどうとでもなる。普段、玄米とイワシ缶を食べている身としては、普段より良いものを食べられるとあって嬉しい。問題は安静にしていること。私は多動性人間である。ADHDなど可愛いもの。動かなかったら息絶える。在宅ワーク中、部屋を15分おきに意味もなく徘徊している。
私はゼーハー走りたい。馬にも乗りたいし、四股だって踏みたい。河川敷で国歌斉唱したい。夜は、抱き枕をかかえ、右へ左へゴロゴロ寝返りを打ちたいのだ。そんな私にじっとしていろとはなんという無慈悲な沙汰。だったら肋骨など全部くれてやる。いや、それはだめだ。やっぱり、肋骨は要る。
人生で初めて骨が折れてみて、自身の生活がどれほど肋骨依存だったかを認識した。これからはもっと肋骨を大切にしていかねばならない。筋肉だけではない。骨のケアも必要不可欠である。人は痛みを乗り越えるたび、またひとつ大人になる。自分も肋骨を代償に、己の身体で素晴らしい学びを得た。ああ、痛い。


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