広島生活春夏秋冬vol.3 一年目・6月編|梅雨明けや 汗マーライオン 息苦し

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30℃

札幌に住んでいた頃を思い出す。

5月中旬はとにかく心地よかった。最高気温が20℃前後。長袖と半袖の境界上を反復横跳びする毎日だった。北大札幌キャンパスのメインストリートに緑が芽吹く。緑のカーテンが作り上げられていくのを、通学途中に見上げて心を躍らせる。もうじき清夏がやってくる。カラっとして過ごしやすい夏が、半袖半ズボンが最も似合う季節が。札幌時代は、夏が待ち遠しかった。来年の夏もここに居たい。札幌は、夏を好きにさせてくれた。

真春のピークが超音速で過ぎ去った。天気予報士が、そう無慈悲に宣言した。日本列島に夏が忍び足で迫ってくる。太平洋に高気圧が確認された。ヤツが広島にじわり、じわり、と押し寄せてくる。我らがホームタウンでも暑さの予兆が垣間見られ始めた。気温は上昇。湿度も上昇。暑い、暑い、ぶちあつの季節。

高気圧くんがアクセルを踏みすぎたらしい。6月初旬に30℃を超えてしまった。30℃って、何度だよ。暑すぎるだろ。少しは遠慮してくれないか。ちょっと待とうや。まだ6月なんよ。ゆっくり暑熱順化させてくれないか。おいおいおいおい、ちょっと待ってって。待てって、頼むから。ねぇ、待ってって! この涼しさをもう少し味わわせてくれ。札幌時代の余韻に浸らせてくれ。どうしていきなりそう暑苦しく来るのか。もうちょっとこう、配慮というものはないのか。

高気圧くん。君がお好み焼き屋の店主だとしようじゃないか。君はさ、自分のお好み焼き屋に入ってきたお客の顔へ、いきなりオタフクソースビームを発射するのか? しないだろ? ……するのか!? マジで!? ホンマに!? 発射するのはお好みソースだって? どっちでもえぇわ。

高気圧くんとは話にならない。常識の通用しない傾奇者(かぶきもの)を相手どった夏の陣が始まった。

広島の暑さは、気温よりも湿度に由来する。日中にもかかわらず、70%を超える。空気を吸っているように見えて、実は水を吸っている(違う)。息が詰まる。汗がマーライオンのごとく噴き出てくる(出すぎやろ)。拭っても拭っても止まらない。風が服へ分け入っても分け入っても、体感気温が微塵も下がらない。太田川放水路へ飛び込みたくなる。そのまま広島湾まで出てやろうか。

近所の河川敷に腰を下ろす。靴を脱ぎ、ズボンまで脱がぬよう細心の注意を払い、川へそっと足を差し入れる。わらわらと魚が寄ってきた。ドクターフィッシュか。違う。鯉か。いや、それも違うらしい。よく見たら、ブラックバスだった。デカい。不細工。あまりに不味そう。容姿をからかったのが聞こえたのか、ヤツの目つきがつり上がった。ヤバい、喰われる。あわてて足を引き上げる。親指が畜生の餌食になる所だった。

扇風機

弊社はSHUCDEC(スーパー・ハイパー・ウルトラ・超・どんだけ・エクセレントカンパニー)。家に格安で住める借上社宅制度がある。昨年度までは、そのような制度はなかった。社員寮か、賃貸契約か、野宿するかの三択だった。当然、お金の問題がネックとなる。待遇に不満を抱いて会社を去った若手社員も多くいたよう。口コミサイトには呪詛の念があふれていた。弊社人事部も問題を認識したようだ。今年度から、とうとう福利厚生の拡充に乗り出した。

つくづく思う。守られているなって。
2018年夏に北海道全域がブラックアウトした。そのとき、偶然、広島に帰省していた。札幌に戻ったときには全てが復旧していた。博士進学者対象のJSTフェローシップも私の代が一期生だった。フェローシップに通ったおかげで、安心してD進に舵を切れた。博士課程でメンタルが焼き切れた。持てるすべての力を結集して、飛び級という乾坤一擲の大勝負に打って出た。賭けが成功し、つぶれる前に修了できた。その反動でいま息絶え絶えになっている。でもまぁ、学位を取れただけ、まだ良いだろう。

私は何かに守られている。きっと、背後に守護霊が憑いている。日頃の行いが良いからだろうか。献血に60回近く言っているからかもしれない。ハリー・ポッターが呪文を唱えてくれている。エクスペクト・パトローナム。ディメンターでもヴォルデモートでも束になってかかってこいってんだ。

闇の魔術に対する防衛術を、オックスフォード留学中に習った。本来は無敵なはずの私。それでも、暑さには敵わない。さすがに30℃は暑すぎる。耐えられない。お顔が溶けちゃうよぉ。今のままではいけないと思っている。だからこそ、今のままではいけないと思っている。暑さに対する備えを始めたい。弊社が借り上げた社宅を借り上げた、家主たる刈り上げの私にはノブレスオブリージュの責務がある。

我が家は、広島都心に屹立する、オーシャンフロントの超高層タワーマンション。窓を開ければ海風が吹き込む。玄関と窓を同時開放すると、たちまち風の抜け道ができる。心地よさったらハンパじゃない。このまま一生ここに住み続けてもいいんじゃないかと思うほど。

悲しいかな。我が家には「網戸」が無い。やぶ蚊がバンバン入ってくる。入ってくるな、と言っているのに入ってくる。何度言っても通用しない。困ったやつらだ。日本語が通じないだなんて。あぁ、モスキート語だったら通じるのか。モヒートぐらいしか知らないけれども。夜に窓を開けるわけにはいかない。そう簡単にエアコンをつけたくもない。こういう時こそ扇風機。モーターとファンでホモサピエンスに涼をもたらす革命具。

スクロールできます

広島駅前のビックカメラへ。所望の品を探しに繰り出した。

売り場には数多の扇風機が売られている。その数、千手観音のお手を拝借して、かろうじて数え切られるほど。選択肢があまりに多すぎて困る。どいつもコイツも「オレ、有能ですから(エッヘン)」と言いたげな面もちを浮かべている。胸を張り、自信を持って、真顔でその場の空気を回している。私も扇風機を見習いたい。これぐらいの自信を持って働きたい。仕事は有能そうなヤツにしか廻されない。まずは虚勢でもいいから有能に見せる。与えられた仕事を頑張ってこなす。いかなる機会をもチャンスと捉え、ゆくゆくは真の意味で有能になりたい。

扇風機の群れを、遠くから眺める。まるで学会のポスターセッションのように見えた。扇風機は、学士・修士学生。「オレのポスターを見て行きませんか~」「アタシのポスターの方が面白いですよ~!」と喧しくアピール合戦。競争に勝った学生が「オレの研究、すごいんすよ!」と懸命に中身を説明する。そんなに凄いなら、とスペックを確認。「なんだ、たいしたことないな」「高すぎるだろ」と指摘。学生はシュンとする。ぷつり、と電源が切れる。

扇風機に高性能は求めていない。その場の風を回してくれれば十分だ。節電とか、リモコン付きとか、正直言ってどうでもいい。安くてシンプルで、頑丈だったらいい。それ以外の要素は無視してもいい。所望の品を物色する。特売価格で3つ並んでいた。一番シンプルな安いものを選ぶ。3,280円。悪くないだろう。カードで買った。

家でさっそく扇風機を組み立てる。

説明書を見て、順番通りに組み上げていく。作成途中の扇風機は間抜け。ファンだけでは、まだ心もとない。まるで、指導教員にハシゴを外された、博士進学直後のD1みたいな面持ちを浮かべている。絶望を超えた放心状態。「早く組み上げてくれ!」「助けてくれぇ~!」と扇風機側から訴えられた。仕方がないなぁ、と手で回して遊ぶ。羽をネコパンチ。D1が、悲鳴を上げた。無防備なD1をいじめるのは可哀そう。今日はこのぐらいにしておいてやろう。

組み立てペースの検討を加速する。ものの10分で完成した。

扇風機を見る。今度は満ち足りた面持ちを浮かべている。もう大丈夫だ。何も怖いものはない。地に足の着いた、優しさが滲み出た笑顔。修了式で博士号を取り、胸を撫で下ろした3か月前の自分みたいな顔。あるいは、ポスター発表で他大学の先生から激詰めされ縮こまっていたとき、指導教員が助け船を出してくれて脱力したM1みたいな顔。他大学の先生って、怖いよねぇ。私も怖かった。怪獣に見えた。

さっそく扇風機を回してみる。風が、動く。家が極楽リゾートになった。夜でも涼しい。湿気を感じない。完成したての扇風機みたいな笑みが浮かび上がる。広島の夏も、この子と一緒なら乗り越えられそう。さぁ、行くぞ! ぶちあつな夏を迎え撃ちに。

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