なぜ査読付き学術論文には価値があるか

研究室に配属されたB4の頃、指導教員から「とにかく論文を書け」と言われました。私は素直なので、書きました。書いて、投稿して、査読者にボコボコにされ、直して、また投稿して。その繰り返しで、D2までに国際誌の査読付き筆頭論文を六報執筆しました。

六報分の査読対応を経験して、一つだけ確信していることがあります。査読付き論文は、査読無し論文と価値がまるで違います

査読無しの論文はあまり信頼されません。引用件数も伸び悩んで、歴史の荒波に呑まれるように忘れ去られていきます。研究者としてやっていきたいなら、査読付き論文への掲載を目指すしかありません。

この記事では、査読者に六回打ちのめされた私の経験をふまえて、査読付き論文に価値がある理由を書いていきます。これから論文投稿に挑む学生さんに届いてほしい記事です。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

専門家らの目によって内容を精査されるから

査読者は、その論文の属する専門分野に精通した現役の研究者です。みな博士号持ちで、自らも日々論文を書いていらっしゃいます。投稿者が用いた実験手法にも当然詳しいですし、少々マイナーな手法でもバックグラウンドぐらいはお持ちでしょう。

しかも査読者は、論文内の実験を追試するわけではありません。記された文章だけで妥当性を判断します。文字だけで弱点を見抜いてくるんですよね。こちらが巧妙に隠したつもりのウィークポイントも的確に指摘されます。何もかもお見通しの人間に数か月間じっくり原稿を握られる状況を想像してみてください。きっと背筋が冷えるでしょう。私は六回冷えました。しかも、毎回新しい冷え方をするのです。

そんな猛者が、雑誌編集者からの依頼を受け、ボランティアで論文を読み込んでくる。ボランティアというのがまた怖い。報酬なしであの熱量の指摘を繰り出してくるのは、もはや学問への執念としか言いようがありません。

この審査を突破できたなら、専門家からお墨付きを得たも同然です。査読付き論文の価値は、まずここにあります。

査読には何の容赦もないから

ハッキリ言って、査読はめちゃくちゃ厳しいです。寝ている最中に鼻の穴へすりおろしワサビを詰められるぐらい辛い。

査読が終わると査読者からコメントが届くのですが、手放しで褒めてくださる方はごく少数です。大半の方は改善ポイントや疑問点を箇条書きでブワ〜ッと羅列してきます。メールを開いた瞬間、スクロールバーが豆粒みたいに縮んでいて、それを見て「あ~あ」と天を仰ぐところまでがセットです。

しかも指摘がいちいち本質的。論文内であえて触れずにごまかした箇所が、面白いぐらい正確にあぶり出されていく。自分では上手く逃げたつもりだったのに、全部バレている。お前はもう、死んでいる。指導教員に初稿のフィードバックをいただいたときと同じ絶望感でした。逃げ場はどこにもありません。

査読対応では、査読者からの質問に対して、期限内に一つずつ答えていかなくてはなりません。答えられなければ掲載してもらえないから、何が何でも応対するしかないのです。時には追加実験を求められることもあります。査読対応のために新しく実験を回し始めたときは、研究室で虚空を見つめました。私はいま誰のために実験をしているんだろう。査読者のためです。すべてはアクセプトのために。

査読者からの指摘には血も涙もなく、辛辣なコメントが容赦なく飛んできます。非対面のメールベースだから何とか我慢できていますが、対面でやられたら確実に泣くでしょう。査読がメールの時代で本当によかった。人類の叡智に感謝します。ありがとうございます。

査読者は誰にも忖度しません。後世に残る成果物を審査している以上、疎かな仕事はできないからです。仁義なき専門家のジャブとインファイトに耐えうる堅牢さを持っているからこそ、査読付き論文には価値があります

査読を通じて論文が別物に育つから

査読対応では、査読者の要望に応えて論文を修正していきます。分かりにくいと指摘された箇所は表現を直すし、説明不足だと言われたら根拠ごと書き足す。イントロダクションの出来を突かれたら、文献を読み直して構成から練り直す。

最初の数報は修正量が凄まじくて、原稿は赤字の血の海でした。おそらく原形をとどめていなかったと思います。自分が書いたはずの論文を読み返して、「へえ、こんな内容だったっけ」と首をかしげる瞬間がありました。もう誰の論文なのか分かりません。

正直なところ、書き直しを食らった瞬間は不服に思います。でも、書き直した後の原稿を読み返すと、確実に分かりやすくなっているんだな、コレが。悔しいけれど文句が言えません。査読者さん、ありがとうございます。あなたは神です。二度と関わりたくないけれど、ありがとうございます。

査読無しの論文には、利害関係のない第三者にブラッシュアップしてもらう機会がありません。投稿者が作った第一稿がそのまま世に出ていきます。論文の質というのは、自分では気づけない穴を他人に指摘されることで上がるもので、査読付き論文には、その痛みを伴う成長の過程が織り込まれているのです

最後に

専門家の目で中身を丸裸にされ、容赦のない指摘を受け、それに一つずつ応答していくうちに論文の質が一段と高まっていく。査読付き論文の価値は、このプロセスそのものにあります。

査読者からの鋭い質問に胸を射抜かれたときの痛みには、六報書いても慣れませんでした。もし七報目を出すとしても、また胸を貫かれる自信があります。ただ、苦しみを越えた先にアクセプトされたとき、全部許せてしまうんですよね。査読者への感謝と、もう二度と論文なんか出すまいという決意と、でもまた出すんだろうなこん畜生といった諦めが同時に押し寄せてくる。まるでラーメン二郎です。

アクセプトまでは長い期間を要しますが、挑む価値は間違いなくあるので、ぜひ一報目を投稿してみてください。皆さんの色即是空でファンタスティックな挑戦を応援します。

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