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一年目を振り返ってみて
一年前、8年ぶりの広島暮らしを始めた。勤め先の借り上げ社宅制度を活用し、広島湾を一望できる超高層タワマンの最上階に月1.5万円で住ませてもらっている。3月になり、徐々に暖かくなって、河川敷の木に梅が咲き始めた。梅の次は桃、桃のあとは桜。桜が散れば、すぐ新
年度が始まる。会社員の一年目が終わろうとしている。長かったな。あっという間……とは片づけられないわ。
一年目を振り返ってみると、全く思い通りに過ごせなかった。自己採点するなら30/100だろうか。技術点が60/50、芸術点は-30/50。
博士課程までできなかったことが、会社に入ってできるようになった。
たとえばプログラミング。
院生時代は苦手意識があって、全く手をつけていなかった。会社に入ってすぐ、経営不振の影響でR&D予算が削られ、机上検討が主業務となった。プログラミングが苦手だとかなんとか言っていられなくなり、Pythonと向き合うことに。もちろん文法もルールも分からないから、AIに聞きながら四苦八苦してコードを作っていった。今では、電池内部における化学状態の時間変化まで詳細に計算できるまでになった。
相手に物事を伝えきる力も伸びた。
博士課程までは自分と相手が同じ分野だったから、双方、専門用語を連射しても意思疎通を図れた。会社では、自分と同じ専門分野をバックグラウンドとする人間が見当たらない。電池を扱う部署にもかかわらず、電池の基本的なケミストリーを知っている人間が皆無。日々、業務を進めていくなかで、相手のバックグラウンドを確認したうえ、素人相手にも伝わるよう工夫して説明する力をつけられた。コミュ力は確実に伸びている。
得たものもあれば、失ったものもある。一度に抱えられる荷物にも限界がある。
私は開発部署に入った。職場では思考の深さは求められず、仕事を早く処理する力が求められる。立ち止まってゆっくり考えていたら、先輩や上司から「大丈夫? 何か困っていない?」と急かされる。もうちょっとこう、ゆっくり仕事させてくれないのかと思う。手を動かす前に頭を動かしたい。頭の中で作業の設計図を描き切ってから作業したい。
会社では、時間の流れがあまりに早い。せわしないし、落ち着きがなく、深みも彩りもない。業務の中で、博士課程まで大切に抱えていたはずの知的好奇心がボロボロに擦り切れてしまった。
学振DC1時代の定額制と違い、サラリーマンは働けば働くほど多くのお金をもらえる。おまけに借上社宅制度もある。可処分所得は博士時代と比べて二倍になった。札幌に居た頃はコインランドリーで洗濯していたのが、洗濯機を買って家の中で洗えるように。生活は確実に豊かになっている。ただ、その反動でハングリー精神を失った。『貧困生活から一刻も早く抜け出したい…!』と目を血走らせていた頃の執念が失せ、よくも悪くも性格がおとなしくなった。とても丸くなった。
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仕事面では散々な一年目だった。思い描いていたキャリアプランは瓦解し、目指す方向性も方向感覚も分からなくなった。
まさか、メーカーに勤めていて、R&D費の削減で論文購読料までカットされるとは思わなかった。電気関連の実験部隊なのに、実験用保護手袋も自費購入だとは思わなかった。実験設備の半分が故障で使えなくなるとは思わなかった。学生時代よりみすぼらしい環境で仕事することになるだなんて、ね。もうちょっとマシだと思っていたけれども、予想より10倍ひどかった。
プライベートも散々だった。河川敷のランニングコース沿いにアパートを借りて抜群の走行環境を整えたにもかかわらず、引っ越してきてすぐ右足首の靭帯を損傷し昔みたいに速く走れなくなった。サッカー観戦では大声の出しすぎで顎関節症を患い、喉をいためて風邪を六度もこじらせ、挙げ句の果てにサッカー自体を見飽きた。デスクワークが視力を蝕み、本を読むペースも気力も衰えた。お盆には乗馬を再開してみたけれども、映画の続編を見ているような感じになり、面白くなくって3か月で辞めた。
刺激を得るためにマッチングアプリを再開しようかとも考えた。学生時代はゼロマッチの私だが、社会人になれば多少は変わるかもしれない。だが、結局やめておいた。SNSで「好きでもない男から告白されるのは加害」との意見を見て、なんだか申し訳なくなった。それに、それ以前の問題として、自分から誰かに向かっていく気力がもう湧かない。他人に対する執着が、広島に来てからどんどん薄まっている。
唯一、TOEICの点数だけは伸びた。学生時代のベストを35点更新して840点になった。
自分はいま、幸せなのか。そもそも何を求めているのか。毎朝同じ時間に起き、同じ道を自転車で走り、同じデスクに座り、同じ時間に帰る。休日はランニングして、ブログを書いて、本を読む。メトロノームで刻めそうなほど、毎日が同じリズムでループしている。
私は、突発的なアクシデントに見舞われず落ち着いて過ごせる毎日を欲しているのか。あるいは、会社が潰れましたレベルの驚天動地なハプニングでも求めているのか。欲望が日に日に存在感を失っていき、心が何を求めているのか見失いつつある。もしこの一定のリズムこそが幸福だというなら、あるいは幸せなのかもしれない。少しリズムを変えてやれば面白くなるのかもしれない。知らんけど。
果たして会社員になってよかったのだろうか。アカデミアに残って研究していた方が幸せだったのではないだろうか。学振DC1の任期を一年残して飛び級修了したが、最後の一年は海外の好きな場所で研究留学した方が良かったんじゃないか。そもそも飛び級する必要などあったのか。これほどのっぺらぼうで平和すぎる毎日ならば、まだ、明日何が起こるか分からない博士課程でハラハラドキドキ過ごせばよかったんじゃないのか。
いや、そんなことはないだろう。
博士課程では心が疲弊していた。「こんな場所、早く抜け出してやる」「もう嫌だ、辛い、研究したくない」とひとりで呟きまくっていた。平穏な日々に文句を言えるのは、平穏な日々を手に入れたから。もしあと一年、波乱万丈な毎日に身を浸していれば、きっと平穏な日々を心から希求していたに違いない。どこまでいっても隣の芝は青い。人間は己の持っていないものを欲しがり、いまの時間を大切にしようとしない、とんでもなく愚かな動物なのだ。
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博士課程を出るまでは、自分の研究が世の役に立っている自信がなかった。公金を使って趣味に興じているような気がして、罪悪感に苛まれて企業就職を選んだ。研究職ではなく開発職を選んだのも、なるべく役に立つ仕事に携わりたかったから。
北大を離れて数か月後、徐々に出版論文が他グループから引用され始めた。総説論文にてデカデカと紹介されたこともあり、多少なりとも注目してもらえていたと知った。もし、スポットライトを浴びるのがあと一年早ければ、迷うことなくアカデミアの道を選んでいた。引用してくれた研究チームと共同研究し、もっとファンタスティックな研究をしてみたかった。いまや、私の希望は叶わない。運命の女神はいたずら好きだな。弄ぶにもほどがある。
つくづく思うが、進路選択は血管の弁のようなものだ。大学院から企業に出るのは簡単だが、企業からアカデミアに戻るのは難しい。一度アカデミアの外に出てしまったら、もう外で生きていくほかないのだろう。
自分の下した決断に相変わらず自信はないけれども、不可逆的な選択を下したいま、外の世界で頑張っていくのみ。いまの私には、いかなる選択をも正解にしてみせるぐらいの気概が求められているのではないか。博士課程の学位授与式で誓っただろう。前だけを見据えて生きていく、と。
一年目はグダグダなまま終わった。二年目こそは、もう少しマシな点数をつけられる一年にしたい。少なくとも芸術点をゼロ以上に戻すところから始めよう。苦しいだけの毎日は、今月でおしまいにする。


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