大学院生の頃、朝7時に研究室へ行くのが日課でした。誰もいない静かなラボでコーヒーを淹れて、前日の実験データを眺める朝の時間が好きだったのです。そこからエンジンがかかって、気づけば夜までぶっ通しで手を動かしている日も珍しくありませんでした。
ところが会社員になった途端、同じことができなくなりました。私は博士課程を修了して27歳で企業に入ったのですが、入社して数ヶ月で「あれ、おかしいぞ」と気づくわけです。別に仕事が嫌いなわけでもないのに、夜まで働いた日の翌朝がやたらと重い。院生時代は平気だった長時間労働が、じわじわと身体に効いてくる。
大学院と会社で何が変わったのか、最初はうまく言語化できませんでしたが、いまならはっきり分かります。加齢です。そして加齢がもたらす変化は、体力だけにとどまりません。
これから大学院を出て就職する方に向けて、院生時代の感覚のまま仕事を選ぶと痛い目に遭うぞという話を、自分の経験を交えて書いていきます。就活中の大学院生はもちろん、入社してから違和感を覚え始めた若手社会人にも読んでほしい内容です。
体力の衰えは指数関数的にやってくる
大学院生の多くは20代中盤でしょう。修士課程なら22歳から24歳、博士課程でも25歳から27歳あたりが中心層です。20代中盤は、人生で最も体力に恵まれた時期のひとつと言って差し支えありません。多少の無茶がきくし、一晩寝れば大抵のダメージは回復します。
問題は、会社員になると一年ごとに確実に歳を重ねていくことです。もちろん大学院生だって一年ごとに歳は取るのですが、20代前半と後半では体力の減り方がまるで違います。24歳から25歳になったときの衰えが1だとすれば、27歳から28歳では5ぐらい削られる感覚です。直線的に落ちるのではなく、指数関数的に加速していくんですよね。グラフにしたら右肩下がりの急カーブで、想像すると気が滅入ってきます。
私は趣味でランニングをしていて、早朝に走ってシャワーを浴びてから大学に行っていました。会社員になったいまでも出社前のランニング習慣は継続しています。そんな私でも、博士課程の後半あたりから体力の落ち方が目に見えて酷くなっていました。運動習慣がある側の人間でこのザマです。スポーツの習慣がない方であれば、衰えのスピードはさらに速いと覚悟しておいた方がいいでしょう。
仕事は、つまるところ体力勝負の側面があります。頭を使う仕事であっても、長時間の集中を支えているのは身体のスタミナです。体力があれば多少の激務は乗り越えられますが、体力が足りなければ同じ負荷でも簡単に潰れてしまうでしょう。
いまの体力がこの先もずっと続くと思って仕事を選ぶのは、満タンのガソリンが永遠に減らない前提でドライブの計画を立てるようなものです。 途中で確実にガス欠を起こしますから。
気力の衰えも見逃せない
さきほど体力の話をしましたが、気力の変化も深刻です。
20代中盤の心は、まだみずみずしさを保っています。知らない街を歩けばわくわくするし、新しい分野の論文を読めば知的好奇心が湧き上がる。美しい景色を見て素直に心が震える感覚も、まだちゃんと残っています。
ところが歳を重ねていくと、新しいことに手を出すのが少しずつ億劫になっていきます。やり方を知らないものに飛び込むのは疲れますし、結果が読めない挑戦は怖い。不測の事態に対処するだけの余力が身体に残っていないから、つい安全な道を選んでしまう。気づけば、今日は昨日の延長で、明日は今日の延長で、惰性のまま日々が流れていくようになります。
会社に入ってからも仕事に情熱を持ち続けられる人は、本当に素晴らしいと思います。ただ、人間は加齢に伴って自然と気力を失っていく生き物です。頑張りたい意志があっても、身体と心がついてこなくなる日が必ず来ます。頑張る気持ちは永続しません。 院生時代と同じ熱量で働き続けられる前提で職場を選んだら、数年で燃え尽きるのがオチです。
偉そうに書いていますが、私は一年ももちませんでした。博士課程で培った根性と気合いで乗り切れると思っていたものの、見事に砕け散って燃えカスになっています。根性論が通用するのは、根性を支えるだけの体力と気力が残っているうちだけなのだなと分かりました。
特に、歳を重ねて博士課程まで進んだ学生は、大学を離れてから情熱的に働ける期間はそれほど残されていないと思っておいてください。心の糸が切れる瞬間は、皆さんの予想以上に早く来ます。
不合理な業務から逃げられない
大学院での研究は、実務レベルの意思決定をかなり自分で握れていたはずです。研究の進め方や優先順位の付け方まで、指導教員と相談しつつも最終的には自分が主体的に動いていた方が多いでしょう。無駄だと感じたプロセスは削ればよかった。非効率な手順を改善する自由もあった。無駄だと分かっていることに付き合う時間ほど、もったいないものはありませんからね。
会社に入ると、大学院時代は当たり前だった自由が失われます。歴史と伝統が長い年月をかけて醸成してきた不合理なシステムが、当然のような顔をして居座っているのです。会議を減らすための会議が真顔で開催されていたりして、もはやコントかと思うような光景に出くわすことも珍しくありません。
新入社員が「おかしくないですか」と声を上げたところで、聞く耳を持つ人はまずいない。全員が不合理だと気づいていながら、全員で不合理に付き合い続ける。なかなかシュールな世界です。
体力が落ち、気力も衰えた状態で、不合理の波を毎日浴び続けるとどうなるか。大学院時代と同じ真剣さで仕事に向き合おうとすると、心がおかしくなります。限られたエネルギーの大半を不合理な時間に吸い取られ、本当にやりたい仕事に注げる余力が残らない。
結果、真面目な人ほど正気を保てなくなり、潰れていきます。 大学院の研究で鍛えた誠実さが、会社では皮肉にも己を追い詰める刃になりかねないのです。
体力も気力も3割引きで仕事を選ぼう
ここまで読んで「暗い話ばかりだな」と思った方、すみません。しかし、現実は現実として受け止めた方が、長い目で見れば自分を守れます。
体力も気力も、加齢とともに必ず衰えます。どれほど鍛え上げたトップアスリートでさえ衰えるのですから、凡人の我々が衰えるのは当然の摂理です。
であれば、衰える前提で仕事を選んだ方がいい。院生時代の感覚で「これぐらいの負荷なら余裕だろう」と判断するのではなく、体力も気力も今の3割引きぐらいで見積もって、余裕を持って働ける職場を探すべきです。
若いうちにバリバリ稼ぎたい気持ちは分かります。私だってそう思っていました。
ただ、激務に耐えられるのは長く見積もっても30歳ぐらいまでだと心に刻んでおいてください。若い時代に身体を酷使して得たお金は、健康を犠牲にして成り立っています。せっかく稼いだお金を使い切る前に身体を壊してしまったら、いったい何のために働いたのか分からなくなるじゃないですか。若い時代の無理は、寿命の前借りです。 利息はとんでもなく高くつきます。
いまの自分が最も元気な自分であると、どうか覚えておいてください。未来の自分は、いまより確実に弱っています。未来の自分を守ってあげるために、いまのうちに余裕のある選択をしておいてください。

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