⑤ゼミ発表がダルすぎる
ゼミ発表は、修士以下の学生にとっては貴重な学びの場。研究に必要な基礎知識を身につけ、人前で発表する経験を積めるわけですから、大いに意義のある場だと思います。
しかし、博士学生にとってゼミ参加は正直しんどいです。だって、ゼミがなくたって勝手に勉強しますし、発表は学会でさんざんやってきたんですよ。ゼミに出る時間があるなら、一行でも多く論文を書き進めたいというのが本音。
それなのに、博士学生にも容赦なく出番が回ってきます。雑誌会の準備に時間を取られると、その分だけ研究が止まってしまうのです。ゼミの資料を作りながら「この時間で論文の図がもう一枚作れたのに」と心の中でつぶやいている博士学生は、おそらく全国にごまんといるはずです。
もちろんゼミの場で後輩たちの発表を聞くことで、意外な視点をもらえることがあるのも事実です。事実なんですが、それでもやっぱりダルい。先生方、どうかお手柔らかにお願いします。
⑥学会で研究者の人脈ができる
博士課程に進むと研究の独自性がぐっと高まるので、学会で発表したときの反響が変わってきます。
修士のころは質疑応答で沈黙が流れることもありました。博士課程に進んでからは、他大学の研究者さんにたくさん質問を投げかけていただいています。ときどき「面白い研究ですね」と言ってもらえることもあり、名刺交換になった時はついニヤけてしまいますね。
もちろん、指導教員のネームバリューに助けられた部分は大きいです。先生の名前を出した途端に相手の反応が変わるなんてことは日常茶飯事で、「ああ、自分はまだまだ先生の看板で勝負させてもらっているんだ」と痛感します。それでも、自分の研究が少しずつ認知されてきた実感が湧いてきて、胸が高鳴ってくるのもまた事実。
博士課程まで進むと、出版論文の引用件数がジワジワと増えてきます。被引用通知が来るよう設定しておけば、引用してくれた方の論文リンクがメールボックスに届きます。どんな論文のどんな文脈で引用してくれたのか読むのがまた面白い。自分の研究がどこかで誰かの役に立っているのだと思うとやりがいを感じるのです。
たまに自分の主張とは何の関係もないトンチンカンな文脈で引用されることが。そんなときは、「まぁ、引用件数を稼げただけマシか…」とつぶやき、見なかったことにします。
⑦研究で真の地獄を知る
修士までは(研究っておもしろ~い!)と目を輝かせていられた方も多いでしょう。私もそうでした。修士課程までは。
博士課程に入ると、その感覚は徐々に塗り替えられていきます。博士では研究のレベルが上がり、より本質的な問いを突き詰めていくことになるのですが、そこはまだ世界で誰も答えを知らない領域です。一筋縄でいくわけがありません。
研究が袋小路に入り込んで身動きが取れなくなることも。苦労して書き上げた論文がリジェクトされ続けて修了の見通しが立たなくなるケースも。学年を重ねるにつれ、「自分は何をやっているのだろう」と、だんだん虚しくなってくるかもしれません。
さらに厄介なのが、先行文献を読み進めるうちに、自分には到底及ばない超一流の研究者の存在に気づいてしまうこと。同じ分野で戦っているはずなのに、あまりにも次元が違いすぎて、比較すること自体がおこがましく感じられます。自分って、存在する必要ある? この人たちだけで十分なんじゃないの? 研究者になるどころか、博士課程に居ていいのかどうかさえ分からなくなってくる。
自分は何者でもないし、何者かになれるわけでもないと思い知らされる。将来への期待感が薄れ、底の見えない絶望が忍び寄ってくる。博士課程の真の地獄は、研究の壁そのものではなく、自身の限界と向き合わざるを得ない時間にあるのかもしれません。
⑧先延ばしにしてきた進路選びに決着をつけるときがくる
修士までは、「進路は、まぁ、博士に行ってから考えるよ」と決断を先送りにできていました。しかし、もうこれからはそうも参りません。アカデミアに残るか、企業に就職するか、いよいよ選択する時が来ました。
アカデミアは自由に研究ができますが、任期制のポストや決して高くはない給与など、待遇面の不安がつきまといます。好きなことを続けられる代わりに、生活の安定を手放す覚悟が必要です。一方で企業は収入が安定しています。しかし、これまでのように自分の好きなテーマを自由に追いかけることは難しくなるでしょう。研究者としての自由と、生活者としての安心の間で、揺れに揺れるわけです。
どちらを選んでも何かを手放さなければならないわけで、これはもう、究極の選択です。最終的には、自分が人生で何を大切にしたいのかをじっくり考えて判断するしかありません。
私は企業の道を選びましたが、アカデミアへの未練がゼロかと聞かれれば、嘘になります。いまでも「学振PDで海外でポスドクになっておけばよかったかな」と思うことも。おそらく、いずれの道を選ぶにせよ、未練は一生どこかに残り続けるのではないでしょうか。
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