論文が書き直しになった背景
M2後期の半年間に論文三報分のデータを集めた
私は北大生ながら、研究の全てを筑波の国立研究所で行っていました。実験に必要な設備が国研にしかなかったためです。厄介なのは、私の本拠地が札幌にあった点。実験をしたければ国研へ行くしかありません。年に2~3回、それぞれ1~2か月間ほど出張してデータ集めする形でした。
研究室学生さんの中には出張先で実験をする方がいらっしゃるかもしれません。出張先で最先端の設備を使用し、研究に有用なデータを得て帰ってくる方が。楽しいですか?楽しいですよね。たまにやるならば。
メインの実験を大学で進められる以上、出張実験は良い気晴らしになるでしょう。出先で必ずしも成果を出し切らなくて構いません。なんせ、出張先で得るデータはサブデータなのですから。出張先での実験にかかるプレッシャーはほとんどないでしょう。成功したら成功したで喜ぶ。失敗したら「まぁ、また次の機会に頑張ろうか」と気持ちを切り替えられるはず。
私のように出張先で「しか」実験できぬとなったら話が変わってきます。
皆さんが大学で行っている”普段の”実験を出先で終わらせるのです。成功したらいいなぁ~、ではありません。成功させなければなりません。上手くいかせるのは当たり前。どこまで首尾よくできるかの勝負になります。なんせ、実験を成功させられねば卒論を書けませんから。各出張期間中に論文用データを集め切る。ひとつの研究として完結させ、次の研究につながる方向性を考えておく必要が。
私の博士課程は試練でした。国研の共同研究者さんの都合で、D1の一年間ずっと国研へ出入りできなくなってしまったのです。国研でしか実験できないにもかかわらず、国研へ出入りできぬとなったらどうなるか。出禁になる一年間、研究を進めたくても進められません。国研出禁の旨を知らされたのがM2・5月。その頃にはもう学振DCの申請書を出していたし、D進の決心を固めて就活内定先をお断りしていました。
当時の自分は研究者志望。博士課程で研究が止まるのは一大事です。研究業績を満足に積み上げられないと、博士修了後の研究機関への就活時に困るでしょう。就活以前に修了がおぼつかないかも。三年以内での博士課程修了にD進前から黄色信号が灯ったのでした。
危機的状況を把握していながら座して待つわけにはいきません。事態を打開するために何かできないか必死になって考えました。
検討に検討を重ね、検討を加速した結果、ひとつの妙案を思い付きます。「D1で実験ができないなら、M2のうちにたくさんやっておけばいいじゃない」と。その名もマリー・アントワネット式研究法。迫りくる時間的制約を事前の圧倒的努力で挽回する作戦。D1時代に実験できなかったら、D1を論文執筆タイムにすればいい。D1を空白の一年間にはしたくない。何か少しでも実りある時間とするための苦肉の策を講じました。
M2の後期にマリー・アントワネット式研究法を発動します。9月下旬から11月下旬の十週間と3月の三週間、合計十三週間でフルペーパー三報分に相当するデータを集めたのです。毎日まぶたが震えるぐらいまで追い込む日々。慢性的な吐き気と金欠に伴う空腹に苛まれながらも実験を進めました。データを集め切らねばD1時代が空白になってしまうでしょう。”あわよくば早期修了を”とも企んでもいた。なるべく多くの業績量を確保するためにたくさんのデータが必要でした。
D2の4月から執筆開始。投稿目前に悲劇が起こる
問題の論文を書き始めたのはD1の3月から。D1時代の大半は他の論文を書くので手いっぱい。あと、留学失敗による精神的ダメージがあまりに大きすぎて着手できませんでした。
当該論文は、三報分集めたデータのうち二報目に相当する論文。この論文がアクセプトされれば、あと一報出版するだけで早期修了に手が届きました。早期修了達成の趨勢は、この論文のアクセプトにかかっています。通ってくれれば一年飛び級できるでしょう。通らない、またはそもそも完成しなかった場合、博士課程を三年かけて修了するプランに切り替えざるを得ません。この論文は、自身の将来が懸かった超重要な一作。何が何でも迅速に完成させて投稿する必要がありました。
いざ執筆開始。最初は快調でした。投稿に向けて何の障壁も見当たりません。順調そのもの。論文を書き慣れてきたおかげなのか、考察やイントロ執筆が大変スムーズです。
今回の論文ではひとつチャレンジを試みました。今まで使ったことのない理論式を適用して現象考察を目論んだのです。使用したのは流体力学系の式。記号が複雑に絡み合っていて分かりにくいし、数式の意味するところを理解するのは困難です。
博士課程の学生である以上、少々難しいことにも挑戦しなければダメだと感じました。理論式を使わなくても論文は書けます。理論式を使えばもっと深い論文を書けるでしょう。挑戦するならより困難な方へ。意味不明な流体力学的理論式とにらめっこしながら慎重に論文を作っていきました。
論文原稿が完成したのはD2の4月。国研の共同研究者のKさんに送って確認していただきました。さあさあ、私の自信作をとくとご覧ください。素晴らしいでしょう。さぞ美しいでしょう。こんな論文、見たことが無いでしょう。Kさんよ、ビックリしましたか?
一か月後、Kさんから返信が。「何かおかしいから書き直しましょうか」と。Kさんの指摘する内容をよく読んでみました。私の扱っている現象は、理論式の適用条件に合っていない。だから本来は理論式を適用できないはず。なのに適用している。コレっておかしくない?
…うん、おかしい。明らかに変。根本的に間違っている。論文の論旨が破綻してしまっている。うわぁ、どうして今まで気付かなかったのだろう。慎重に進めてきたつもりだった。根本的な所で検討漏れがあったらしい。
えぇっと、、、もしかして、全文書き直し?書き直しだよね。論文全編にわたって理論式を適用してきた以上、部分的な修正は難しいはず。投稿目前で書き直し、か。自業自得だから仕方がないよな。
論文が全文書き直しになったときの感想

あと少しで投稿するところでした。サブミット寸前での全文書き直し。落胆で言葉が出てきませんでした。あまりのショックに涙も出なかったぐらい。自分へたったいま起こった出来事が信じられません。本当に書き直し?誰か、嘘だと言ってくれ。頼むから夢であってくれよ、と。
ショックの次に訪れたのは焦り。自分の将来がおぼつかなくなって、全身に鳥肌が立ちました。
飛び級達成には早期のアクセプトが必要な状況です。しかし、アクセプトどころか投稿にもたどり着けていません。自分はいったい何をやっているのでしょう。こんな所で足踏みしているヒマはないはずなのに。予備審査会まであと半年間。予備審査までに論文を二報書き切らねばなりません。恐ろしいことに、二報ともデータをゼロから集め直す必要があります。一年で二報書くならどうにかなる。半年で二報書くのは難業でしょう。
ここまで飛び級だけを見据えて頑張ってきました。博士課程在籍中の理不尽な出来事も、飛び級達成の可能性を信じてこられたからどうにか耐えられたのです。自らの不手際で早期修了達成が絶望視されました。半年で二報はさすがに書けませんよ。嗚呼、飛び級よ。置いていかないでくれ。私を連れて行ってくれ。えっ、無理? そうか。まぁ、そうだよな…
事態をどのように打開したか

私の前には二つの選択肢がありました。早期修了を諦めて論文をゆっくり記すか、早期修了にこだわって全速力で論文を書き直すか。大半の方なら前者を選ぶはず。さすがに半年でフルペーパーを二報も書くのは厳しいでしょうから。メンタル的にも体力的にも苦しい状況。事態の打開は困難なように見えます。
私が選んだのは後者の道。すなわち、早期修了にこだわる方向性です。
自分には絶対に早期修了しなければならない理由がありました。なんといっても、大学受験浪人で背負った一年のビハインドを挽回できる最後のチャンスだもの。ハナから諦めるという選択肢がありません。やるしかない。突き進むしかない。無理かもしれないけれども挑むしかない。地獄の底まで突き落とされて血だらけになっても這い上がるべき動機がありました。
全文書き直しになったことで精神へ大打撃を被りました。ほんの一瞬、”無理かも”と思いました。弱気になっても仕方がない状況でしょう。
私がラッキーだったのは、メンタルがやられても早期修了達成への「執念」がわずかに生き残っていた点。むしろ、苦境に立たされたのを契機に執念が膨れ上がって、今まで以上に激しく燃えさかり始めました。絶対に飛び級してみせる。無理かもしれないけどやってやろう。最後の一日までジタバタしてやる。飛び級直後に倒れてしまってもいいと覚悟して全文書き直しへ挑んだのです。
全文書き直しを始めたのはD2の6月。六週間の国研滞在期間のちょうど真ん中から。最後の論文用データを集めながら別の論文の全文書き直しを進めます。頭の中がふたつの論文の話でグチャグチャになって混乱しました。脳内を整理しては、実験したり論文を書いたり。論文執筆の息抜きに実験を行い、実験に疲れたら論文を書いていたのです。6月中旬からB4の後輩が国研へ研究の引継ぎに来ました。論文と実験と指導の三刀流。一瞬ながら大谷翔平を超えましたね。
執念の助力を受けて事態を解決しました。国研滞在終了時には論文を書き直しし終え、最後のデータを集め切り、後輩への引継ぎもバッチリ済ませられたのです。どうしてここまで上手くいったのかは分かりません。日頃の行いが良かったからだと信じています。書き直した論文はD2の8月に投稿しました。翌月に査読対応。その翌月にはアクセプトされました。投稿以前と投稿後に費やされた労力があまりにも対照的です。苦労した分だけ後で楽させてもらえる。人生の真理を学ばせてもらえたような気がします。
最後に
博士課程在籍中に起こった重大アクシデント四部作は以上です。
どのアクシデントも心身に大打撃を与えました。”博士課程をやめてしまおうか”との思いが頭をよぎるものばかりだった。本当に辛かったです。試練が多すぎて。難局に差し掛かったところで誰も助けてくれなかったし。
博士課程在籍中の方やD進の検討を加速中の方は、困ったときに助けてくれる仲間を作っておいてください。友達、恋人、両親、同期。誰でもいいです。辛いときに寄り添ってくれる存在を見つけておくと楽に過ごせますよ。私みたいに全てを一人で乗り切ろうとしたらうつ病になるでしょう。私はうつ病の症状に苦しみました。皆さんには自分と同じ辛さを味わって欲しくありません。少しでも楽に過ごせるよう、まだ楽な今のうちにいざという時に頼れる人間関係を作っておくと良いでしょう。
コメント