先進国の中で日本だけ博士課程進学者が減少し続けている5つの理由|現役博士課程学生が解説します

こんにちは!札幌と筑波で蓄電池材料研究をしている北大工学系大学院生のかめ (D1)です。日本学術振興会特別研究員DC1として国費から給与と研究費を頂いています。

私の所属する専攻では修士課程に各学年40名の在籍者が。そのうち博士進学 (D進)したのはわずか4名ということでD進者が圧倒的少数派。私の一つ上の代ではD進者がなんとゼロ名でした。当大学院の他専攻でも同様の状態となっており、(日本では修士課程からのD進者が本当に少ないんだなぁ)と肌で感じた次第であります。

この記事では、先進国の中で日本だけ修士課程から直接D進する学生が減り続けている理由5つ考えてみました。

  • 現在D進を考えている方
  • D進が脳裏をよぎった方
  • 学生のD進を後押しする立場にいらっしゃる研究者さん

こうした方々にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧いただければ幸いです。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

日本でD進者が減り続けている5つの理由

私が思うD進者減少の理由は以下の5つになります。

  1. 研究の魅力にハマる前に就職活動が始まるから
  2. 劣悪な環境で働く大学教員の背中をいつも近くで見ているから
  3. D進者への金銭的補助が雀の涙ほどだから
  4. ”いまだけカネだけ自分だけ”な国民性が根付いてしまったから
  5. 修士課程修了のコストパフォーマンスが尋常じゃないほど高いから

以下で一つずつ解説します。

研究の魅力にハマる前に就職活動が始まるから

一番致命的な問題は日本の就活スケジュール就活がM1の夏から春まで早期かつ長期間行われるため、修士課程で研究に専念できるのがD進希望者に限られているという現実があります。親の世代 (50代)だとB4、ないしM2の夏~後期から就活が始まったみたいです。コレなら研究を行う時間も十分取れるし、研究の向き/不向きを慎重に見定め納得してD進/就職を決定できる。けれどもインターンがM1の夏から開始される今のスケジュールだと、他のことを気にせず研究に没頭できるのはB4の1年のみとなる。しかもその1年間だって右も左も良く分からないのだから、研究に専念できる貴重な時間はほとんど無きに等しいのです。M1になれば講義や夏インターンの申し込み等でてんやわんやの大騒ぎに。私自身、M1の一年間で就活をやってみて (こりゃ大忙しやな…)と絶望させられた次第。

修士進学後、多くの学生は就職とD進とを天秤にかけます。今までの座学中心の学びではなく、自分で手を動かして新たな知見を得る『研究』にどこか惹かれるからです。しかし、多くの学生はD進ではなく就職を選ぶ。その一因として【研究の面白さにハマる前に就活が始まっちゃうから】というモノがあります。私のように(就職とD進、どちらにしようかなぁ…)と悩む人はM1の夏から就活をします。早めに動き始めておかなきゃD進を選ばなかったとき手遅れになってしまうからです。すると己の労力のうち一定部分を就活に割かざるを得なくなる。夏季休暇から春期休暇までは(どちらを選ぼうかなぁ…)と悶々とした時間を過ごす。研究にエンジンがかかり始めて面白さにうっすら気付き始めた頃、就職かD進かを決断する時期が目前に迫っているのです。周りから「D進するなら覚悟を決めろ」と散々脅され、(”研究面白そうだなぁ…”程度じゃダメなのかな)とD進を躊躇するまでが一連の流れ。

劣悪な境遇で働く大学教員の背中をいつも近くで見ているから

仮にインターンがM2の9月からスタートするとしてもD進希望者はさほど増えないでしょう。というのも、最も身近な博士号ホルダーの大学教員を取り巻く環境があまりに酷すぎるためです。助教はまだともかくとして、准教授や教授には研究に加えて様々な業務が回ってきます。書類作成、学会運営、入試監督に諸々のお付き合いなど、息つく間もなく朝から晩まで仕事に忙殺されている。研究をしたくて教員になっても研究に捧げる時間がない。平日では仕事を片付け切らず、土日返上で大学の居室でカタカタ作業なさっています。尋常ではないほど多くの仕事に追われる教員を日々観察していて、(こんな風になりたいなぁ)と憧れの気持ちを抱いたことがありません。先生方の温かいお人柄は”見習いたいな”と思うけれども、あの仕事量を担わなきゃいけない教員職にプラスの感情は持てないのです。アレで年収2,000万円貰えるならばまだ頑張り甲斐もある。しかし実際はソレの半分程度でゴリゴリ働いているのです。博士号を得るメリットの一つは『大学教員職に応募できる』というもの。ただ、私を含め多くの人には教員職が到底メリットには見えず、(言葉は悪いですが)”薄給激務の罰ゲーム”に思えてならないのです。

博士課程進学者への金銭的補助が雀の涙ほどだから

D進者が減り続けているのはD進者への金銭的支援の補助金額にも問題がある。最も手厚い支援を受けられる日本学術振興会特別研究員DC1でさえ月20万円しか給与を貰えず、修士課程修了後に企業へ就職した連中の方が多くお金を貰っています。単に年収を比較しても下回っているし、特別研究員には福利厚生など一切ないので額面には顕れない格差もある。おまけに授業料も払わねばならない笑。日本の学術界を担う人材の育成事業がこの程度であるがゆえ、D進に夢を感じず就職の道を選ぶ方が多いというワケです。最近では科学技術振興機構 (JST)が『次世代研究者挑戦的研究プログラム』と称し、D進者を増やすべく大規模な支援を始めました。学振DCの数倍もの学生の生活費を支援して下さるみたい。ただその支援金額はわずか月15万円。いくら授業料免除がセットだとはいえ月15万円じゃ生きるのでやっと。別途JASSOなどから学生ローンを借りねばならない。すると博士修了後、ローン返済に奔走させられ婚期を逃したり生活に苦しんだり…

ひょっとすると読者さんの中には「カネカネカネカネうるさいなぁ…」とお思いになった方がいらっしゃるかもしれません。私が本記事で”お金””お金”とうるさく言うのは、日本が世界に『科学技術立国』を標榜しているが所以であります。学術界の将来を担う人材の育成にお金を出し惜しんではダメでしょう。まして、日本にやってきた外国人留学生の学費や渡航費を全額負担する余裕があるのだから、日本にいる研究熱心な学生の支援ぐらいもっと手厚くして下さいよ。D進者に対する支援が少なかったらD進希望者の数をこれ以上増やせません。まして今は少子化傾向。どんどん人が減っていく中D進者を確保せねばならぬのですから、せめて民間企業就職者と同等の支援金額 (月30万円ぐらい?)を財務省には期待したいものです。科学技術者をこれほど手酷く扱う国は他にない。優秀な研究者が海外に逃げるのも成程”道理”というワケです。

”いまだけカネだけ自分だけ”な国民性が根付いてしまったから

博士候補生を含め、研究者は学術界に”奉仕”するという側面がある。将来の文明を少しでも明るく発展させるために寝る暇も惜しんで仕事をします。己の資源を惜しみなく使う。コスパなど度外視。時給換算したら最低賃金以下になることも。それでも後世に少しでも良い形で学術のバトンタッチをすべく奔走します。多くの学生はこのような【崇高な生き方】が求められる研究者になりたくってもなれないのです。否、そもそも (コスパ最悪じゃん…)と、研究者になるのを忌避しさえします。私の周りの学生の大半は”いまだけカネだけ自分だけ”で生きている。他人のことなどどうでもいい。自分だけ良ければそれでいい。自己責任の極致としてこうした思考回路が根付いたのでしょう。他者への奉仕を”タダ働きだ”と厭い、自己利益の最大化に邁進・驀進。”今の日本の学生の気質”と”D進後の研究者としての生き方”の二項が本質的に相性が最悪。これではいくら国がD進者を支援してもD進者は増えないかもしれません。D進の入り口の支援の前に小学校から道徳教育をやり直すべき。

この資本主義の世の中で”いまだけカネだけ自分だけ”じゃなく生きるのはなかなかの難易度です。私みたく一人で始終読書したり精進料理を食べたりすれば現代思想の影響を免れますが、修行僧ライフを万人に強制するのはなかなか酷というモノであります。

修士課程修了後すぐ就職するコスパが尋常じゃないほど高いから

D進者が少ないのは修士終了直後に就職するコスパの高さにも要因があるような気が。学部卒は”専門性がないから”、博士了は”専門性がありすぎて扱いづらいから”という理由で企業からやや敬遠される反面、修士了は”ある程度専門性を有していてかつ扱いやすい”ということで引く手あまたな現実があります。

修士課程を2年間経てみた私としては(専門性を培えた)とは思えません。どう考えてもまだひよっこだし、「電池材料が自分の専門です」と胸を張って言える所までには至っていない。しかし、電池材料について全くの素人というワケでもない。最低限の周辺知識は凡そ頭に入っています。企業的には社内教育の手間のかからぬ学生が多く欲しい。ゼロから教えるのは大変だから、大学で頭に入れた知識を企業で活かして貰いたいのです。企業から求められる人材に学部卒+2年でなれる修士課程はコストパフォーマンスが圧倒的。修士修了要件もせいぜい学会に一度出る程度のものだし、博士課程と違って学位論文審査会で厳しく審査されないから入ればほぼ確で修了できる。しかも企業では年次を経るにつれそれなりの年収を受け取られます。博士号ホルダーよりかは年収が少なめな傾向にあるも、”修士修了後にプラス3年間の地獄を経るよりよっぽどマシだ”との見方も可能。

修士課程修了後就職のコスパが高すぎるからD進者が減る。企業も年々余裕がなくなっていっているので社内教育を施す暇 (いとま)が無くなり、準・即戦力として期待できる修士課程修了者の需要がますます高まる傾向にあります。

最後に:”学位がなくても幸せになれるならそっちの方が良いじゃないか”という考え方もある

先進国の中で日本だけ博士課程進学者が減少し続けている5つの理由は以上となります。再掲すると、

  1. 研究の魅力にハマる前に就職活動が始まるから
  2. 劣悪な環境で働く大学教員の背中をいつも近くで見ているから
  3. D進者への金銭的補助が雀の涙ほどだから
  4. ”いまだけカネだけ自分だけ”な国民性が根付いてしまったから
  5. 修士課程修了のコストパフォーマンスが尋常じゃないほど高いから

このような形になります。

私自身はD進と就職とを迷ってD進を決意した身ですけれども、決して就職した方のことを見下そうとは思いません。彼らは学歴ではなく企業でのお仕事の方に幸せを感じると判断した。私は就職よりもD進後の研究の方にやり甲斐や生き甲斐を見出しD進を選んだ。幸せの形は人それぞれでOK。D進の方が良いよ!と私から訴えることはありません。国としては学術界発展のためD進者をもっと増やしたい。しかし個人スケールで考えてみると、学位がなくとも幸せに生きられるならそれに越したことはない。大学にB1からD3まで10年近くいなきゃ幸せになれないのは何かが変。博士号がなくとも社会への奉職は可能であるし、江戸時代の如く皆で田んぼでも耕していた方が日々に充実感を持って生きられたかも…

この記事は読者さんにD進を勧めるものではありません。日本の博士候補生を取り巻く厳しい環境を問題提起し、博士課程へ進む必要があるかをD進希望者に検討してもらうための記事。D進するなら覚悟よりも”D進 (研究)に幸せを見出せるかどうか”を第一の判断基準として下さい。覚悟がなくてもどうにかなる。D進後に尻に火が付く場合もある。けれども自分が面白くないものを続けるのは困難極まりありませんから、進学/就職を決める前に己の価値観についてじっくりと考えてみて下さい。

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