博士課程在籍中に研究が一年間ストップ!そのときどう対処したか

北大博士課程を早期修了した化学系大学院生かめです。

博士課程進学前、これから起こりうる様々なアクシデントを想定しました。それぞれの事故への予防策と対処案を考案して事態に備えたのです。D進後に起こったのは、予想をはるかに上回る重大インシデント。辛くてどうしようもなくなったもの、無力感に苛まれて涙が出てきたもの、大学院を退学しようかと思うほど心に堪えた出来事も。全てを乗り越えて博士課程修了に至りました。メンタル弱めな自分が博士号を取れたことが未だに信じられません。

これからの四記事では、博士課程在籍中に経験した4つのアクシデントとその解決法についてご紹介します。D進前に覚悟を固めておきたい方や、ケーススタディから博士課程で起こりうる悲劇に備えたい方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

それでは早速始めましょう!

D1の一年間、研究が止まった背景

北大生なのに研究できるのは筑波でだけ

研究室配属されたB4以来五年間、研究を筑波の国研で行っていました。研究できるのは国研でだけ。というのも、実験に使う光学装置が国研に据え置かれていたためです。実験データを集めたければ国研まで行かねばなりません。札幌から筑波まで片道5時間少々。実験をやりに行くたびに大移動を行いました。

札幌から筑波へは年に3~4回ほど出張していました。それぞれ1~2か月間ほど筑波滞在して集中的にデータを得る形。
何か学術論文を出したいとしましょう。論文執筆に必要なデータを国研滞在期間中に過不足なく集めねばなりません。実験を成功させるのは当たり前。データを漏れなく集められているか確認する作業も必要でした。データを得られるのは筑波でだけ。出張中にデータを集め切るのが至上命題だったのです。

札幌と筑波の間を行ったり来たりする手間を省きたい。一年中筑波で実験できたら、大学にて年中無休で実験できる他の大学院生と同様のやり方で研究を進められるでしょう。
私の目の前に立ちはだかったのは「ゼミ」と「講義」という二つの壁。研究室のPI曰く、ゼミを長期間欠席するのは許されないらしい。研究出張が理由でもダメ。研究よりゼミを優先してほしいとのこと。また、講義は対面開催のものが多かったです。講義に出なければ単位を取れないし、大学院修了も叶わないでしょう。筑波への長期滞在は諦めました。仕方がありません。こればかりはどうしようもない。

北大でも何か実験できれば嬉しいですよね。筑波でだけしか実験できないというのはあまりに効率が悪すぎます。指導教員に相談したところ、私がD進する前年に北大の研究室へ私が使う用の装置が一台導入されるとのこと。それがあれば北大でも研究を進められるでしょう。「ありがとうございます、先生!」と快哉を上げたのです。いざD進前年になってみても装置は届きません。そのことを先生に伝えたら「装置が入るなんて言ってないけど?」ととぼけられてしまいました。

国研の共同研究者さんが官庁出向につき

国研では共同研究者のKさん (仮) のお世話になっていました。実験装置の使い方や研究のイロハなど様々なことを教えていただいたのです。生活のサポートもしていただきました。国研の事務方と繋げていただいたおかげで国研入所手続きをスムーズに行えました。私の研究はKさんがいなければ成立しません。実質的な指導教員は共同研究者さん。五年間、本当にお世話になりました。

さて、我が研究の大黒柱たるKさん。私がD1の一年間、霞が関の官庁へ出向することになりました。国研には出勤しないとのこと。実験のサポートも論文執筆指導も難しいとおっしゃっていました。そりゃそうだ。中央官庁はブラックな長時間の勤務体系で有名。朝から晩まで働き詰め。始発で家に帰るぐらいの勢いで働くそう。官庁出向と研究業務の両立は難しいでしょう。私の面倒を見られないのも当然です。

さぁさぁ、困ってしまいました。
Kさんがいなければ国研で研究できません。実験室管理者たるKさん不在で劇物を扱う研究をやるわけにはいかないでしょう。実験どころか出入りすら叶わない。入館証の更新ができぬ以上、D1の一年間、国研での滞在実験は不可能になりました。北大でも実験できる体制を整えておきたかったのは、こうした不測の事態に備えるため。信頼していた指導教員から装置導入についてウソをつかれ、実験バックアップ体制すら崩れ去ってしまいました。

アクシデントが起きたときの感想

Kさんから官庁出向の話を伝えられたのがM2の5月。戦慄しました。「マジっすか…」と言葉にならなかった。

私の研究は実験要素100%。今までの期間、実験で得られたデータだけを使って論文を書き連ねてきました。実験系の博士学生が実験できぬとなったらどうなるか。研究がストップしてしまいます。だってデータが無いんですもの。無いものは無い。どうしようもない。

博士課程は伸び盛りな期間。鉄は熱いうちに打てとの格言通り、気力も体力も学習吸収力も最高潮の時期なのです。研究者としての資質を養うのに大切な時期でもあるでしょう。D1での頑張りは博士課程を標準年限で修了できるか否かを左右します。そんな大切な時期に実験ができない。どれだけやる気があっても実験を進められない。

出向の話を聞いた後、ガッカリして、しばらく何も手につきませんでした。研究意欲が減退していく一方。研究を進める意義すら見失いかけました。一時期はD進をやめようかなと思ったぐらい。まだ就活はギリギリ間に合います。一般応募へ出しまくればどこかには引っ掛かるでしょう。結局、何日間か考え込んで、D進する決断を変えませんでした。博士課程修了に至る作戦を考案できたからです。

事態をどのように打開したか

あと少しで実験が一年止まる。手を打つならM2のいましかありません。

【M2前期】シミュレーションに活路を見出す

まずは理論計算へ手を出そうと試みました。実験データを補助してくれるようなシミュレーションを行えば活路は開けるのではないか、と。

M2の前期に指導教員との間で、先生からシミュレーションソフトを買ってもらえる話がついていました。ソフトの値段は100万円超え。自腹では払えません。先生の研究費に頼らねばどうしようもありません。先生は私の事態を重く見たのか、「ソフト欲しいの?買うよ」と快諾してくださりました。さすがに今度は嘘をつかないでしょう。ソフトがなければ研究が滞りますから。D進直前にまたもや裏切られました。「ソフトなんかに頼るんじゃないよ」と購入を見送られたのです。

ソフトが無理ならExcelで何とかしましょう。簡単なExcel計算ならデータ補助に役立つかもしれません。しかし、Excelで出来ることなどたかが知れています。複雑なパラメータ操作や連続で複雑な数式処理は困難です。Excelの限界に直面しました。自分のシミュレーションしたい条件をうまく再現できなかったのです。

シミュレーションはあくまで実験の「補助」。メインは実験データ。データがなければ補助などできようはずがありません。データを得られぬ以上、シミュレーションスキルは役立ちません。肝心のシミュレーションも複雑な計算はできぬと分かりました。八方ふさがり。どうしようもない。頭を抱えてうずくまりました。

【M2後期】論文三報分のデータストックを得る

残された期間は半年間。この時間を使ってどうにかしなければ、D1の一年間に何の進捗をも得られません。

私は脳味噌まで筋肉が占めています。やることなすこと全てが力技です。体力だけはバカみたいにある。ランニングが趣味。自己ベストはマラソン2時間42分。毎朝15~20kmほど走ってもヘッチャラなほどの持久力があります。

私は思いついてしまいました。「D1の間に実験できないのなら、M2のうちに実験しておけばいいじゃない」と。D1で行うはずだった実験を一年前倒しで進めればいいのです。いまデータを大量に集めておけば、D進後にはデータをまとめて論文投稿できるでしょう。M2後期の半年間で一年半分のデータを集めましょう。時間密度を3倍に高めればいいだけの話。

D1の一年間、実験がストップするというのに、欲張りな自分は博士課程の早期修了をも狙っていました。早期修了にはより多くの業績が必要になります。指導教員から課せられたのは、査読付き英語筆頭論文五報の出版。D1の一年に少なくとも二報、あわよくば三報出版しておかねば間に合いません。上述したマリー・アントワネット式データ収集法は、早期修了との親和性が抜群に良かった。M2のうちに大量のデータを集めておけば、D進後も研究で進捗を得られるし、博士課程の飛び級にも手が届くでしょう。

M2後期、自分を心身ともに限界まで追い込みました。おかげで論文三報分に相当する大量のデータストックを得られたのです。そこでの成果を論文化。D進直後に一報目を出版。D1の後期に二報目出版へと至りました。実験できるようになったD2では、追加実験を行って論文をあと二報出します。早期修了に必要なもう一報の論文は、M2後期に出版された論文をカウントしてもいいということに。めでたく五報の筆頭論文を揃えられました。博士課程在籍中に実験が一年止まるハンディキャップを打開して一年間の短縮修了を成し遂げられたのです。

最後に

博士課程在籍中に経験した想定外のアクシデントについて、第一回目の記事を投稿しました。

私の研究活動は北大と筑波の国立研究所に分かれていました。年に3~4回、1~2か月単位での筑波出張を繰り返す形。実験に必要な光学装置が国研に設置されていたからです。北大での研究環境整備を楽しみにしていたのですが、指導教員から装置導入の約束を反故にされてしまいました。さらに国研の共同研究者が官庁出向となり、D1の一年間は実験が全面的にストップする事態に。博士課程進学に暗雲が立ち込めます。さてさて、どうしましょうか。

危機的状況を打開するため、まずはシミュレーションに手を出してみました。しかし、高額なソフトウェアの購入は叶わず、Excelでの計算にも限界が。体力と持久力を活かした力技で難局に挑むしかありませんでした。通常なら一年半はかかりそうな実験データ量を半年間で集め切ったのです。

研究成果を論文化してD1での実験停止期間を突っ走りました。D1前期に一報目を出版。同年度後期に二報目の論文を世に送り出せた。D2で追加実験を行って論文を二報仕上げ、早期修了に必要な筆頭論文数を揃えられたのです。予想外の試練を乗り越えて、博士課程一年短縮修を達成できた形です。

次回の記事では海外留学中に起きたアクシデントについて記します。お楽しみに!

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