北海道大学に八年通い、地元の大企業にUターン就職しました。学部・修士・博士と進み、ファーストキャリアに伝統的な日系メーカーを選んだわけです。ネットでJTCと揶揄されがちな会社で、古い社風をある程度覚悟して入社しました。
結果、誤算だらけでした。覚悟していた方向とは別の角度から、想定外が次々に飛んできました。博士課程で鍛えた予測能力も、企業生活の実態にはまるでフィッティングできません。
この記事では、博士号を取って日系メーカーに入った私が直面した誤算を、ひとつずつ並べていきます。アカデミアから民間に出ることを考えている方の参考になれば幸いです。
かめそれでは早速始めましょう
会社ではチャイムが鳴る


入社して部署配属された最初の朝、オフィスにキンコンカンコンとチャイムが鳴りました。比喩ではなく、本当に鳴りました。始業時と定時の一日二回、オフィスにあのメロディーが響き渡る。オフィスで初めてチャイムを聞いた時は小学校を思い出しましたね。あぁ、懐かしいなぁ… と郷愁に浸りました。大学にチャイムはありませんでしたから。
弊社には掃除当番もあります。当番が二週間に一度回ってきて、昼休み明けにフロアを掃除します。チームごとにエリアが割り振られていて、掃除機をかけてゴミを集める。
一応、大学の研究室でも毎週掃除をやっていました。ただあれは、やる人はやるし、やらない人は永遠にやらない、自然選択に近い運用だった。企業の掃除当番はきちんとローテーションが組まれていて、サボるとちゃんとバレて公開処刑されます。自分も一度処刑されました。すばらしい管理体制です。どうもありがとうございます、ごめんなさい。
考えてみれば、博士課程のほうが特殊だったのだと思います。来る時間も帰る時間も自分で決めていましたし、研究テーマも進め方も自分の裁量でした。大学に八年もいたせいで、私は組織で働くことの解像度を見誤っていました。自分が知っているのは研究室であって、会社ではなかったと、キンコンカンコンが教えてくれたわけです。
数百円の消耗品にスタンプラリー


伝統的な日系メーカーには、前例主義ががっちり根を張っています。これは皆さんのご想像通りです。前例のない提案はなかなか採用されないし、採用されても少ししか投資してもらえません。
でもね、伝統的日系企業の本気はそんなもんじゃありません。数百円の消耗品をひとつ買うだけでも、複数の承認が必要です。上司に確認し、その上にも確認をもらい、所定のシステムで書類を流します。場合によっては部署横断型のワークフローを回すことも。ようやく発注にたどり着いた頃には、スタンプラリーを完走した達成感すらあります。爽快ですね。
博士課程の頃は、必要な試薬や器具は自分の予算で買っていました。研究室の秘書さんへの報告こそ必要でしたが、数百円の買い物で何階層も承認を通した経験はありません。というか、数百円ぐらいなら、自腹で買っちゃえとなっていたでしょう。
ただ、会社が融通が利かないのにも理由があるのでしょう。何千人もの従業員が同じ方を向いて動く以上、個人の判断で物事が進む状態ってリスクが大きいですよね。もし何かアクシデントが起きたとき、責任の所在が分からず、事態収拾に時間がかかってしまいます。博士課程の研究室はせいぜい十数人。十数人の組織で成立していた裁量のあり方を、何千人の組織にそのまま当てはめようとするほうが無理がある。
頭ではそう理解しています。理解しているのですが、実際に数百円の消耗品で承認待ちをしていると、小声でつぶやきたくなります。数百円ですよ、と。
博士号が役に立たない


企業が学問を馬鹿にしているという話ではありません。ただ、開発の現場では応用やテクニックに偏りがちで、基礎的な理解が後回しにされやすいのです。開発部署では、原理からじっくり考える人よりも、サクサク処理できる人の方が重宝されます。
速さは確かに大事です。ただ、基礎の理解を飛ばしてテクニックで押し切った結果、開発に手戻りが生じた場面を何度か経験しました。急がば回れ、というやつです。遠回りに見える基礎固めが結局は最短だった、ということは珍しくありません。手を止めて考える時間も必要なのです。
博士課程では、ひとつの現象を理解するために文献を数十本読み、原理から丁寧に積み上げていく作業が日常でした。もちろん時間はかかります。ただ、学術的な積み上げがあれば想定外の結果にも仮説を立てられますし、筋の悪いアプローチを早い段階で見切れるのです。
正直なところ、博士課程で築いてきた力はほとんど役に立っていません。私の力不足もあるでしょうし、活かせる仕事にまだ巡り合えていないだけかもしれませんが、選ぶ場所を間違えた感がしなくもありません。この場所でバリバリ活躍できる未来をどうしても描けないのです。
もちろん、基礎を重んじてくれと不満を口にすることはありません。そんなことを口走ったが最後、頭でっかちで使えない博士に見られてしまいますから。”現場を知らないくせにプライドだけ高いやつ”と思われたら終わりです。ですから、日々オフィスでは黙って手を動かしています。手を動かしながらも、(こんなに基礎をすっ飛ばして本当に大丈夫なのか…)と心の中で思っています。辛い。
博士課程のほうがしんどかった


開発部署に配属が決まったとき、それなりの忙しさを覚悟していました。納期に追われ、毎月何十時間も残業して、ボロボロになって週末はロクに動けなくなる未来を想像していたのです。実際に入って働いて見ると、そんなに忙しくは感じません。
博士課程ではたくさんの締め切りに追われていました。学会のアブスト締め切りを筆頭に、修了年限までに規定本数以上の論文を通すことだったり、研究の合間に就活やTA業務を進めたりと、期限に次ぐ期限のオンパレードだった記憶があります。働いて働いて働いて働いて働きまくっていましたね。
確かに仕事の処理は忙しいし、会議も多くて体力は使います。ただ、プレッシャーは、博士課程で背負っていたものよりも段違いに軽いです。会社で何かミスをしても、キャリアや人生まで詰むことはありません。もし自分が居なくなったとしても、会社は昨日と何も変わらず回り続けるでしょう。個人の負荷が組織全体に分散されているがゆえに楽なんです。
あと、残業代も大きいですね。博士課程では何時間研究しても、休日出勤しても給与は固定です。私は学振DC1だったので、月給は額面で20万円でした。企業では、長く働けば働くほど沢山のお金をもらえます。働いた時間がきちんと金銭的な価値として認められるのです。労働がお金に変換されるおかげで、全然忙しく感じないんですよね。むしろ、長く働いた方がお金を貰えるので、長時間労働上等! のマインドになります。
会議のための会議のための会議のための会議がある


何かあるとすぐTeamsで会議が招集されます。一日中会議に出る日も珍しくありません。ここまでは覚悟していました。
会議が多く入るのまでは予想していたのですが、会議のための会議があって、会議が入れ子構造になっているのは予想外でした。来週の重要な会議に向けて、資料を確認するための会議がある。その会議の段取りを決めるための打ち合わせ会議がある。場合によっては、打ち合わせのための打ち合わせまである。マトリョーシカかよと思いました。
博士課程にも教授とのミーティングや研究室のゼミはありました。ただ、会議の準備のための会議はありませんでした。必要な議論はその場で始まり、その場で完結していた。
企業の会議は、なぜこうも層が厚くなるのか。それは、関係者の数が多いからです。博士課程のミーティングは教授と自分の二者間で完結する場合がほとんどでしたが、企業では一つの案件に複数部署が関わります。全員の認識を揃えるために事前の会議が要り、事前の会議のために事前の打ち合わせが要る。合意形成のコストが、関係者の数に対して指数関数的に増えていくわけです。組織って、難しいですね。
一周回って大好き


ここまで散々に書いてきましたが、私はこの会社が好きです。世の中がこぞって合理性に走るなかで、ここまで堂々と不合理を貫いている組織がたまらなく愛くるしい。合理的に考えれば改善の余地はいくらでもあるのでしょう。それでもこの会社は、このやり方で長い年月を生き延びてきました。幾度の経営危機を乗り越え、そのたびにユーザーの信頼を勝ち取ってきたのです。
不合理、不合理と言いますけれども、ここまで不合理を極めておきながら毎年きちんと利益を上げています。スタートアップ的な合理性を貫いた企業が数年で消えていくなか、この会社は不合理を抱えたまま何十年も黒字を出している。組織としての地力が並外れています。効率だけで会社の強さは測れないのだと、毎日のように思い知らされますね。合理的であることだけが正解じゃないと、貴重な人生訓を得られました。ありがとうございます。
確かに、博士課程を出てこの会社に飛び込んで、誤算に次ぐ誤算がありました。これまで何万回も辞めようと思いましたが、辞めてはいけない気がして勤め続けてきました。私はこの愛くるしいぽんぽこりんの弊社で、もう少し働いてみます。





















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