博士課程から民間企業に就職して失った3つのもの【論文・自由・働き方】

北大博士課程を一年短縮修了し、地元の大企業へUターン就職しました。会社員生活を始めてもうすぐ一年が経とうとしていますが、学生時代と比べ、良くも悪くも大きな変化がありました。

良い面の変化に関しては既に上の記事で既述したので、今回は博士就職の負の側面について記していきます。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

論文中毒者、供給を断たれる

博士課程における『成果』とは、学術論文を指しました。

論文を何報書いたか。どれほどインパクトのある研究ができたか。誰にどれほど引用してもらえたか。業績の多寡は論文を中心に議論されるのが常です。博士課程を修了するためにも、専攻別に定められた数以上の論文を出版しなければなりません。

博士課程を含め、アカデミアでは論文を書くのが当たり前でした。成果を公にするための手段として論文執筆は欠かせないものなのです。いくら学会発表をたくさんやっても仕方がありません。どれほど多くの学会講演賞を取っても世の役には立たない。学術的活動の成果を万人に共有して、それでようやく”仕事をしたね”とみなされる世界だったのです。

一方、会社における『成果』とは、製品やサービスを指します。

企業とは、自動車、電池、半導体、旅客運送業など、社会に対してモノやコトでもって貢献する組織です。研究開発を進めるのは、より良いモノを創り出すため。厳しい訓練や研修を行うのは、お客さんに高品質の価値を提供するため。そうしたことを行うのは、企業が利益を生み出し、持続的に繁栄していくため。

会社における業務は、すべてが会社の利益につながる必要があります。中には遊びで行っているビジネスもあるでしょうが、事業の大半は営利目的で行われているのです。

私はメーカーに就職しました。企業では開発職として働いています。開発現場で新しい知見が生まれることも多々あります。しかし、知見が論文としてアウトプットされることはほとんどありません。技報に記すのですらレアケース。基本的には、特許出願するか、特許すら出さず秘密裏に製品リリースする流れとなっているのです。

企業があまり論文出版しない理由は、論文が会社の利益につながらないから。どれだけ論文を書いてもお金になりません。対外的なアピールにはなるでしょうが、特許のように別企業の参入障壁とはならないのです。企業が論文を出すケースは、大学と共同研究したときぐらいでしょうか。その論文にも、企業側からの要望で、本当に大切なことは記されていないことが往々にしてあります。

このような事情もあって、博士課程から民間企業に移って以降、論文執筆の機会が失われました。二年間の博士課程では論文を5つ書いたけれども、会社に入ってからは論文(技報も)を一報も出版していません。現状、まだ特許に関わる仕事もしておらず、自分の名前で成果を世間にアウトプットすることができていない状況です。

私は論文を書くのが好きでした。自分の考えを全世界に知ってもらえるだなんて、なんて素晴らしいのだろうと思っていました。論文を書けなくなり、成果が会社のものとなったことにより、日々の楽しみがひとつ失われてしまった形です。

中距離走者、突然マラソンに放り込まれる

博士課程では自らの限界まで徹底的に追い込んで働きました。平日はもちろん、土日もおかまいなく、朝から晩まで研究室にいたのです。どうしても学位が欲しかった。何が何でも一年飛び級したかった。身体の異常を無視して働き詰めて、無事に二年で博士号を取得しました。

就職して以来、「なぜ博士課程であれほど頑張れたのか」と頻繁に考えます。四回連続の論文リジェクトや、蕁麻疹や喀血を乗り越えさせたあの執念は、どこから湧き上がってきたのだろうかと。

学位が欲しかったというのもあるでしょう。早期修了のため、絶対に負けられない戦いなんだと意気込んでいたのもある。でも、それだけでは、あんなに頑張れません。一年前の自分といまの私とでは別人のようなのですから。修了から一年も経たないうちに、会社では「まぁ、ほどほどでいいかな」と肩の力を抜いて仕事するようになりました。あっ、決してサボってはいませんよ。

博士課程と会社員生活の違いは【戦う期間の長さ】にあるのではないでしょうか。頑張るべき時間の長さがあまりに違いすぎるように思います。

博士課程は通常三年間。私のような変態だと二年で修了することも。それに対し、会社員生活は何十年も続きます。定年まで働くなら三十年。お金をためてFIREする場合でも十年程度は要するでしょう。そう、博士課程と会社員生活は、完全に別の競技なのです。一方が1500m走だとすれば、もう一方はウルトラマラソンですね。

競技が違う以上、戦い方を変えなければなりません。今までの全力疾走スタイルを改め、息切れせぬよう、トコトコゆっくり走る方針に切り替える必要があります。ゆっくり走るのが得意な方なら問題ないでしょう。私ですか? 問題大アリです。

自分は短気な性格です。並ばねばならない行列を見たら吐き気を催すレベルで気が短いです。そんな私だからこそ、博士課程を全力疾走で駆け抜けることができました。しかし、二十年も三十年もダッシュし続ける体力はありません。どれだけ長くとも五年が限界だろうなと感じます。

自分にとって会社員生活は、あまりにも長い、長すぎる戦いです。いま、最低十年・最長三十年のウルトラマラソンを走っているのかと思うと、フッと気が遠くなってきます。博士課程と違い、会社員生活には早期修了がありません。あるいにはあります。「辞めます」と言ったらおしまいです。とはいえ、無計画に辞めてしまえば、明日から生活に困って苦境に陥るでしょう。

自らの努力で終点を手前に手繰り寄せられないのが苦しくてたまらない。早く終わりたいのに、なかなか終わらない。まだ始まったばかりだというのに、フィニッシュテープまでの距離の長さに絶望感が募るばかリ。

誰か養ってくれる人を見つけられればリタイアできますが、そんなのは望み薄です。まぁ、つべこべ言わず、頑張るしかありません。

信頼貯金ゼロからの再スタート

博士課程では、修士課程までの研究をそのまま進めていました。研究テーマを変えていないので、知見の上積みがあります。つまり、今すぐにでも研究に着手してアウトプットを産み出せる状態でD進したのです。

B4からM2まで、一日最低一報は論文を読んできました。専門分野の全体像はある程度把握しています。何が明らかで、何が明らかでないか。自分が貢献できそうなのは、どの未解明課題を解決することか。取り組むべきテーマや進むべき道が克明に見えていたのです。

また、修士までと同じ研究室でD進しました。指導教員との信頼関係も成熟しており、研究の方針は基本的に私に一任されていました。研究をどのように進めていくか、自分の裁量でもって決められたのです。何をやるもよし。どう進めるもよし。成果が出るのなら、何でもOK。先生に放任していただいていたおかげで、博士課程では本当に自由に仕事させていただきました。

会社に入ると、ガラッと事情が変わりました。あれほどフリーに仕事していたのが、自由とは無縁のガチガチな世界になったのです。

博士課程まで自由だったのは、これまで積み上げてきた知見や先生との信頼関係があったから。新しく入った会社では、業務に関する知見など、あろうはずがありません。社内ルールや用語も知らなければ、開発の流れも知らないし、担当領域の全体像もしばらく働くまで見えてこない。おまけに、人間関係が新しくなるため、周囲の信頼貯金をゼロから積み上げていかねばならない。信頼してもらえるまでの間、自由に仕事させてもらえるわけが無いのは明らかです。

企業で自由が制限されるのは、新人だからという以外にも理由があります。企業組織は、個人の裁量よりも組織全体の目的や効率を優先する構造になっているのです。ガチガチのルールや標準化された業務は、企業運営上どうしても必要ですし、個人の自由な判断が許容される範囲は限定的にならざるを得ません。

とはいえ、ここで「企業は自由がない」とか「博士課程の方が優れている」と単純に結論づけてしまうのは早計です。

博士課程で得た自由は、長年の知見の蓄積と、信頼関係の上に成り立っていたものでした。自由とは、最初から与えられるものではなく、自らの努力と実績によって獲得していくものなのかもしれません。企業においても同じだと考えます。最初は知見も信頼もゼロの状態からのスタートでしょう。しかし、業務を通じて知識を吸収し、周囲との関係を築いていく中で、徐々に裁量の幅が広がっていくはずです。そうでなければ泣きます。

自由とは、環境が変わればその形も変わるものであり、その変化にどう適応していくかが博士人材に問われているのかもしれませんね。

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