広島生活春夏秋冬vol.22 二年目・8月|社会貢献活動と炎色反応鑑賞によるニンニク転職ラーメン健康効果のメタ分析

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前作

銀色有功章

高一の10月、文化祭でクラスからひとり献血委員を出すことになった。クラスメートvs.先生のじゃんけんデスマッチのすえ、完全かつ不可逆的で無慈悲にもほどがある圧倒的な勝負運を発揮して負け残った、ありがとうございます。一人でやらされるのも悲しいから、隣に座っていた友人のFくんを「コイツも実はやりたかったらしいです」と巻き添えにしてやった。

放課後、Fくんと二人で保健室に向かうと、我々と同じようにじゃんけん激強の同級生らが集められていた。私の学校は中高一貫男子校で、皆、いかにもじゃんけんが強そうな顔をしていて、こいつ等と戦ったら100回ぐらいはあいこになりそうだな、いい勝負になりそうだなと頷いた。他の学生も同じことを思っていたようで、部屋の中には互いの不運を同情しあうハートフルなムードが漂っていた。

保健室では、文化祭当日の立ちまわり方を説明された。あらかじめ定められたシフトの時間に、正門横で「献血お願いしまーす!」と叫んでいればいいらしい。叫び声はデカければデカいほど効くとのこと。一度、皆で練習しておくかとなって、保健室で声を揃えて合唱した。鼓膜が破れるかと思ったわ。耳をふさいで叫んでいるヤツもいて、さすがじゃんけんが強いヤツは賢いなと思った。

太田川河川敷での苛烈な自主練習を経て、文化祭当日を迎えた。私のシフトは土曜午後で、Fくんと一緒に献血カー前で血液キャッチーをした。献血の呼び込み中にクラスメートが冷やかしに来た。「お前ら、何やってんの笑」「うちのクラスにさ、さっきめっちゃ可愛い女子高生が来てさ~」と挑発してきた。鼻の穴に献血針を突き刺してやろうか。お前らさ、マジでムカつくんだよ。代われよ、頼むから代わってくれ。

シフトを終え、赤十字の方に「ご苦労さま、今日はサンキューね」とねぎらいの言葉をいただいた。人に献血を呼び掛けておいて自分らが献血しないのも変な話だと思い、Fくんと一緒に「オレたちも献血したいです」と申し出た。そうかそうかと赤十字さんは笑顔になり、申込用紙を持ってきた。

紙を見て、我々は表情を曇らせた。オレたちは、献血できないかもしれない。

男性の場合、献血は16歳以上かつ45キロ以上の人が可能である。私は当時15歳で、Fくんは40キロ台前半だった。今のままではいけないと思っている、だからこそ今のままではいけないと思い、我々は「ま、四捨五入したら20歳だし、良くないっすかね?」「ちょっと増量してきます!」と申し出た。抗弁も虚しく上告は退けられ、献血できぬままクラスに戻った。

教室では、さっき冷やかしてきた連中が、近所の学校の可愛い女子高生らとキャッキャウフフをしていた。イチャイチャを通り越してねちゃねちゃしていた。私も中に混ぜてもらいたかったけれども、献血できなかったのがショックで、部屋の隅で立ち尽くしていた。

余談だが、クラスメートとネチャネチャしていた女子高生Aさんと、中学受験のとき同じ塾で、出席番号的によく隣の席になった。Aさんとはテスト用紙の交換採点もよくやったし、「字が汚くて読めない!」とか「何が言いたいのか分からないから零点」とか散々なダメ出しを食らった。彼女は小学生の時からアイドル級に可愛くて、久々に見たらますます可愛くなっていた。最近流行りの加工系容姿と違い、ナチュラルに可愛くて、素材が素晴らしかった。Aさんは自分とは別世界の人なんだろうなと、明鏡止水の心境で達観していた。

・・・・・・・

献血を呼び掛けておいて献血しなかった悪徳が祟ったのか、高三の京大受験で滑って浪人した。4月、河合塾広島校に行くと、文化祭でイチャイチャしていた男女が揃って浪人しており、またクラスでねちゃねちゃしていた。お前ら、納豆かよ、はよ腐りやがれ。

こいつらはまだ高校時代にネチャネチャできたからマシである。私を見ろ、クソ真面目に勉強して京大農学部A判定まで取った挙句、6点差で蹴飛ばされたんだぞ。どうせ落ちるならE判定で構わんから、女の子と遊びたかったわ。

大学に入ったら絶対にネチャネチャしてやるぞと決意し、脇目もふらず勉強に明け暮れた。努力の甲斐あって、夏の京大オープン模試でA判定&冊子掲載となった。しかし、頑張りすぎたせいで緊張の糸が切れ、もう頑張れなくなった。そのため、これから勉強しなくても受かる安全校へと志望校ダウンせざるを得ない展開となり、北大総合理系を受験校に掲げた。実際、ほとんど勉強できなかったが、一位とは6点差の次席合格でフィニッシュした。

北大に入って「さぁ華の大学生活だ!」と息巻いた。そうしたら、なんかボーッとしちゃって、気が付いたら新歓シーズンが終わっていた。新歓時期を逃すと、部活やサークルに入るのは難しい。学生団体以外で同世代の異性とつながるのも現実的ではない。時間とエネルギーは有り余っていて、一人でできるスポーツはないかと思い、ランニングを始めた。

走っていると、おのずと健康意識が高まる。良い体型を保つため栄養価の高い物を食べるようになり、早寝早起きが徹底された。健康へ気を配っていくにつれ、身体の状態をもっと詳しく知る方法はないかと考えた。

色々調べていくうちに、献血と再会した。献血では採血前に血液検査を行い、赤血球や血小板など様々な構成要素の数値を定量評価してくれる。大学に入ったということは、もう献血できる年齢なんですよね。四捨五入せずとも16歳を超えていた私は、血気盛んに献血ルームの門をたたき、献血道を驀進し始めた。

・・・・・・・

ランニングをしていると、身体がランニングに最適化される。川底が流れに削られ滑らかになっていくように、心臓も安静時の心拍数が低くなり、一拍で押し出される血液量が多くなっていく。ただ、身体が走行に最適化した結果、走っていないときの血流が穏やかになった。で、献血中にしょっちゅうアラートが出るようになった。看護師さんがアラートを止めた一分後にまたアラートが鳴り出す始末である。問題児である。

さすがに迷惑だろうと思い、血流増進すべく懸垂に取り組んだ。腕を鍛えれば筋肉がついて血の流れも良くなるのではないか。懸垂すれば当然腕周りの筋肉が鍛えられるが、ますます速く走れるようにもなる。その結果、ますます心臓がランニングにアジャストし、血流がより穏やかになるという素晴らしいPDCAサイクルが完成した。Plan→Delay→Chaos→Apologizeである。

悪循環を断つべく、大躍進政策を実行した。献血ルームには無料で使える自販機がある。アツアツのココアを飲んでから採血に挑めば、体が温まって血流がマシになるであろう。ホットドリンクに口をつけた途端、熱すぎて舌と唇を大やけどした。これも試練だと我慢して飲み干したら、喉まで痛くなった。おかげで血流は良くなったけれども、一週間は食べ物の味がしなかった。

看護師さんに迷惑をかけつつも、ほぼ毎月、献血ルームへ通ってきた。学生のうちに何とか70回に到達しようと企んでいたのだ。ただ、博士課程一年のとき、三ヶ月半ほどイギリス留学した。献血は海外で行えないのはもちろん、帰国後もしばらくは遠慮しなければならない。結局、学生の間は50回そこそこにとどまった。

就職先ではやりたい仕事に携われず、業務過多の残業まみれだった。わんこそば屋で「もうお腹いっぱいです、勘弁してください」と言っているのに、女将から「まだ食える、食え!!」と食わされている感じだった。私は猫派なんだよ、にゃんこそばを持ってこい、ドッグランにマウンテンゴリラを連れてくるぞ。

会社員になっても献血を続けた。毎月一度の献血を健康のバロメーターとし、勇猛果敢なムービングフットボールで生活規律を維持しようと試みた。仕事で世の役に立っている手応えを得られないなか、献血が私と社会を結び付けてくれた。献血が無ければ正気を失っていたかもしれない。タダでさえ博士課程でおかしくなったのに、理性まで失ったらもうおしまいである。献血が私の狂人化を食い止めてくれて本当に良かった。

献血を始めて10年目、2026年4月に70回目に到達した。到達した2か月後、赤十字から銀色有功章が贈られ、賞状とグラスをいただいた。献血したいから献血しているのに、献血してくれてありがとうと言ってもらい、何だか不思議な気分である。

今月、74回目の献血を終えた。あと26回で大台の100回に到達する。100回すれば金色有功章をいただけ、金色のグラスはもちろん、赤十字からよく100回も献血に来てくれたなマジでありがとなこんちく賞まで贈呈される。ぶっちゃけ、グラスよりよく100回も献血に来てくれたなマジでありがとなこんちく賞の方が欲しい。100回続けられたら自信になる。200回、300回と高みを目指そうという前向きな気分にもなる。

人生も勝負も2位じゃダメである。せっかくなら金メダルを目指したい。まずはあと26回、無事に務めを果たしたい所である。

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