北大博士課程を修了し、地元・広島の民間企業に就職した。就職活動をし始めたとき、地元に帰りたいなと思ってUターン就職を決めたのだ。
私はサッカー観戦が好きで、プロサッカーチームのサンフレッチェ広島を応援している。札幌へは年に一度しか試合に来てくれず、試合をDAZNで視聴することになる。それはそれで楽しいし、いつも画面の前で発狂させていただいている。だが、どうせ騒ぐならスタジアムでやった方がご近所さまのためだし、せっかくならホームスタジアムで騒いだ方が楽しいだろう。ということで、一年じゅうホームスタジアムで騒げる広島に帰ろうと思ったのだ。
札幌は日本の北の方にある。冬には-10℃になり、毎日大雪が降り積もる。夏は快適で良いのだけれども、ハッキリ言って冬は寒すぎる。こんな寒い場所に居続けるなど考えられない。引っ越すなら温暖な所がいい。そういえば、広島は温かかったなと思って、広島へUターン就職した。
さて、住み慣れた地元へ八年ぶりに帰ってきた。さぞかし楽しかっただろうと思われるかもしれない。酒池肉林を極め、天上天下唯我独尊の精神で本通商店街をドヤ顔で闊歩したとお考えだろう。実のところ、あまり楽しくなかった。期待値の30%程度の楽しさだった。Uターンした初月が楽しさのピークで、それから左肩上がりに落ちていった。
この記事では、地元へのUターン就職を考えている方へ警鐘を鳴らしたいと考え、Uターン就職したあと心境にどのような変化があったか記していく。就職先の検討を加速している方にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧いただきたい。
映画の続編は、楽しめない
私が広島に帰った理由は、①サンフレッチェのホームゲームを観戦したかったからと②温かい所に住みたかったからの2つである。そのほか、川と海と山が奏でる風光明媚な景色が好きだったからとか、高校時代まで過ごした場所で落ち着いて過ごしたかったからとか、真正極道ぽんぽこりんお好み焼きを食べたかったから、など様々な理由がある。ちなみに、麺が入っていないお好み焼きなんか論外だし、あんなのはただの小麦爆弾だと思っている。
札幌で学生生活を送るにつれ、広島への愛着が膨らんでいき、帰りたくて帰りたくてたまらなくなったから広島に戻ってきた。要するに、広島が好きだったから、広島に帰って働こうと決めたのだ。一応言っておきますが、マザコンではありませんからね。お母さんのもとに帰りたいばぶー!! だなんて理由じゃないですから。実際、広島では一人暮らししていますし。
さて、大好きな街に帰ってきて暮らし始めたところ、徐々に心境に変化が訪れた。広島に帰る前までは広島が恋しかった。いざ広島に帰ってきたら、広島を何とも思わなくなった。釣った女にエサをやらない男みたいな都合の良い話をしている。高嶺の花に手が届いた瞬間、夢や情熱から醒めてしまったのだ。
Uターン就職後、サンフレッチェのホームゲームをほぼ毎試合観に行った。最初の方は楽しかったが、徐々に飽きてきて楽しめなくなった。サッカーはウォーミングアップから始まり、選手入場→前半→後半と進む。途中で着ぐるみの頭が取れるなどといったハプニングは起こらず、いつも同じ展開である。同じ場所で同じ選手を同じチャントで応援して、同じことの繰り返しにマンネリ症状を感じた。あと、あまりに大声で応援したせいで、顎関節症をこじらせた。痛すぎる。
住み慣れた街に帰ってきて、昔のように楽しく過ごせると思っていた。確かに昔は楽しかったから、あの日々の続きを故郷で描けたらと期待して帰ってきた。実際のところ、大人気映画の続編を見ているような気分で、なんか違うなぁ… と違和感を覚えた。人間、八年も経てば感性が変わっている。昔の自分と今の私は中身がまるきり違っているのだ。昔は楽しかったことでも、今はもう楽しめない可能性があると、Uターン就職前に知っておくべきだった。
地元じゃなくても就職したであろう企業に行けばよかった
Uターン就職を悔やんだのには、就職先にも一因がある。
大学院博士課程で就職先を考えたとき、先述の理由から地元で働きたいと思った。どうせ働くなら、これまで研究してきたテーマに関連する仕事に就きたい。地元×専門性で企業選びしたところ、一社ヒットして、応募して内定をいただいた。面接の手ごたえはよく、この会社なら信頼できそうだと感じ、就職を決めた。
博士課程を修了して入社すると、初日からちょっとした違和感が続いた。
同期社員は会社の製品の熱狂的ファンだったものの、私は別に好きでもなんでもなく、仕事に懸ける温度差がすさまじかった。企業を取り巻く事業環境が悪化し、キャッシュフロー改善に向けて様々な固定費が削られ、必要最小限の仕事すら満足に回せない状態だった。このような状態だから利益率は低く、給与水準も低く抑えられている。
多少は専門性を活かせるかなと期待して入ったら、ほかの学士・修士卒が研究所配属で、博士の私は専門性不要の量産開発配属となった。配属先はくじ引きで決めているのかと思わせられるほど、希望とは異なる場所に配属される社員が多かった。おまけに、私が量産配属だと知った研究所配属の同期から研究能力をバカにされ、指導教員や共同研究者の顔に泥を塗られたように感じて不快だった。
私は深く掘り下げるのが得意で、ある特定の対象へ没頭する力を強みとしている。量産開発部門では広く・浅くが求められ、次々と押し寄せる納期をクリアすべく、考える前に手を動かす機械的処理能力が貴ばれる。私の強みと職場が求める力のベクトルが直交していて、全然仕事ができない無能社員になった。
開発部署から研究所に移してもらおうにも、部門をまたぐ異動は、入社からある程度年次を重ねてから可能になる。異動できるようになるまで、開発部署で頑張れるか? 私の答えはノーで、「なら研究させてもらえる会社に移ろう」と入社一年半で他社への転職を決めた。
私が一社目を選んだのは、地元にこの企業があったから。中堅企業ではあったが、地元で働けるのだからいいじゃないかと自らを納得させて入社した。就活生時代の自分に「もし地元になくても入社していたか」と問うてみたい。地元ボーナスを考慮せず、それでも同じ企業を選んだかと。おそらく首を横に振るだろう。
地元への愛着は薄れうる。まして、長く地元を離れて価値観が変わった状態で帰ってくると、異郷の地で描いていた地元像とのギャップに苦しめられる。だからこそ、企業選びはやりたいことを軸に据える必要があった。
地元への気持ちを失っても、企業でやりたい仕事ができるなら、地元で踏ん張るモチベーションになる。私のように、広島への想いを失い、かつ会社でも楽しくないとなったら、それはもう目を覆いたくなるほどの惨劇となる。Uターン就職しようか迷っている方は、よく注意して入社先を選んでいただきたい。


















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