博士課程は異世界であると、会社員になって改めて感じた

北大博士課程を修了し、地元の大企業に就職しました。大学時代に培った専門を活かして、開発部署で商品機能設計開発をしています。

会社に入って一年が経ちますが、たま~に学生時代を思い出します。自由で良かったなぁとか、貧乏で苦しかったなぁとか、大学院の記憶がふいに蘇ってくるのです。もう一度あの生活に戻りたいかと聞かれたら断固としてNoですが、あれほど濃密な時間を味わえる場所は会社にはないですし、人生経験という観点から博士課程に行って正解だったなと思っています。

会社で働いていると、何かにつけて博士課程と比べてしまいます。比べようとする前に、頭が勝手に比較モードに入っている。比べるたびに思いますね、博士課程は異世界だったと。魔境以上、秘境未満の、限られた者のみがくぐり抜けられるサバイバルワールドでした。あんな場所でよく成果を出して修了できたな、と息が漏れてしまいます。

それでは、博士課程はどのように異常なのでしょうか。この記事でたっぷり語っていきます。会社員になった今だからこそ見える景色を、たっぷり語っていきます。博士課程への進学を考えている方、修了後の進路に迷っている方には、ぜひ最後までお付き合いいただきたい内容です。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

土日も働くって、やっぱりおかしいよ笑

学部では月曜から金曜まで講義があります。教室に向かって、よだれを垂らしながら先生の話を聞く。期中や期末の試験を乗り越えれば念願の長期連休ですね、おめでとうございます。

研究室に配属されると、基本的にはラボへ毎日通うことになります。実験をこなしてデータを解析するだけでも手一杯なのに、論文だって読まなければなりません。研究熱心な学部生なら、どれだけ時間があっても足りない状態に追い込まれるでしょう。

ここでマリーアントワネットが登場します。

マリー・にゃんトワネット

時間が足りなければ、土日を食べればいいじゃない

理性的な大学院生は「何を言うてんねんこのクソババア」と受け流しますが、多くの院生は「確かに…」と甘言に耳を貸し、休日を研究に捧げてしまいます。つまり、月曜から日曜までず~~っと研究室にこもるわけです。

修士までは理性を保っていた人でも、博士課程に進めばもうおしまいですから。博士課程ではね、入学初日に指導教員から頭のネジを抜き取られるんですよ。ネジは修了するまで返ってこないうえ、返される頃には赤サビだらけで使い物になりません。時には指導教員側がネジを紛失しているケースもあります。私の場合はそうでした、最悪です。

私も大学院では皆勤賞だったので、土日も研究したくなる気持ちは分かります。だって、研究って楽しいじゃないですか。ずっとやっていたくなるじゃないですか。それに、休むのに罪悪感がありました。まだ学位を取っていないし、取るに値するだけの業績もないのに、休んでいていいのだろうか、と。休まなきゃ壊れるのは分かっているけれども、休むに休めず、足がラボの方に向かってしまいました。

博士課程を離れて企業に入り、事態は大きく変わりました。

会社員は土日に働けません。働きたくても働けないのです。もしPCを立ち上げでもしたらログが残り、週明けに人事が怒鳴り込んできます。

最初はめっちゃムズムズしました。働かなくていいの? 本当にいいの? なんで週5でOKなんですか? 週7でこき使ってくださいよぉ、と半泣き状態です。王様の命令はぜった~い! と待ち構えていたのに、「休んでください」だなんて酷すぎませんか。ただし、ならぬものはならぬというわけで、土日はもちろん、年に三回ある長期連休も、強制的に休養させられました。

会社員二年目になり、ようやく体質が変わってきました。私の脳が「土日は休むもの」と認識してくれたようです。

改めて博士課程を振り返ると、なんであんなに働けたのだろうかと心底驚きます。月曜から日曜までず~~っと頭を酷使して、学位取得のプレッシャーにもめげず、連日頑張りまくっていました。私ひとりだけが頑張っていたなら異常さにも気付けたでしょうが、所属ラボは土日も盛況だったので、これが普通だと思い込んでいたのです。皆で互いに励まし合って、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでいた。よくもまぁ、あんなに頑張れたなと思います。

凄いのは結構、コケコッコーなんだけれども、土日も働くって、やっぱおかしいよ。土日は休むものです。学生の皆さん、たまにはちゃんと休んでくださいね。

論文を書けばリジェクトされ、アクセプトされても掲載料を払うドM仕様

博士課程を修了するには学術論文を出版する必要があります。専攻ごとに定められた規定本数以上の論文を出し、研究成果を博士論文にまとめ、教授会での審査に合格して学位を得る仕組みです。こうしてサラッと列挙しましたが、論文を出版するって大仕事なんですよ。

論文を出版するにあたって、まず出版に耐えるデータが必要で、データを集めるために実験を行います。実験は一度ではうまくいきません。何回も失敗を繰り返しますし、仮説と真逆のデータが出てくるファンタスティックな悲劇も待っています。データ同士を突き合わせ、ここから何が言えるだろうか、見逃しているポイントはないかと必死に頭を働かせていく。

運良くデータを揃えられたら、さぁ、皆さんお待ちかねの論文執筆です。英語で数十ページの原稿を書き上げ、図表を整え、共著者の先生方にチェックしていただきましょう。真っ赤に染まった修正原稿が返ってきて吐き気をもよおします。先生方の修正は正しいんですよ。正しいから反論できないし、正しいからこそ自分の未熟さを突きつけられ、余計にヘコんでしまいます。何度も修正を重ねて、ようやく投稿にこぎつけます。

投稿すると、査読と呼ばれる審査が始まります。分野の専門家に論文を読んでいただき、ジャッジメントしてもらう仕組みです。結果が返ってくるまでに早くて数週間、遅ければ半年近くかかります。待っている間は生きた心地がしなくて、メールの受信トレイを日に何度も覗き込んでは、件名にジャーナル名がないか確認します。

査読結果を開いてみると、画面いっぱいに修正要求が並んでいます。Minor Revisionならまだ望みがありますが、Major Revisionだと追加実験を求められることもしばしばです。追加実験って、書けばたった四文字ですけど、実際にやれば数ヶ月かかりますからね。

論文を投稿すると、掲載してもらえないことがあります。「新規性が不十分」と一刀両断され、お祈りメールが届くわけです。就活のお祈りは一社につき一通で済みますが、論文リジェクトは同じ原稿で何度も食らいます。リジェクトされたら別のジャーナルにフォーマットを整え直して再投稿し、またリジェクトされたらまた整え直して再投稿。私は四回連続でリジェクトを食らったことがあります。さすがに泣きましたね。

数多のリジェクトを乗り越え、論文がアクセプトされました、おめでとうございます。ところがですよ、喜びも束の間、ジャーナルから請求書が届くんです。掲 載 料。学術雑誌に論文を載せるには、著者側がお金を払わなければなりません。いいですか、著者側がお金をもらうのではなく、お金を払うんですからね。しかもお値段はなかなか高額で、論文一本あたり数十万円。

ちょっと整理してみましょうか。辛い思いをして何ヶ月もかけデータを集め、苦しみながら英語論文を書き上げ、査読者から徹底的にボコボコにされ、リジェクトを食らって書き直し、ようやくアクセプトされたと思ったらお金を取られる。なかなかえげつないシステムじゃないですか。

会社員になった今、仕事をすれば給与が振り込まれます。こちらが時間と労働力を捧げる引き換えに、企業からはよく頑張ったで賞とささやかな金品が贈られるわけです。等価交換になっているかはさておき、成果物を納品する引き換えにお金が出てくるって、当たり前すぎて泣けてきますよ。博士課程では、こちらが成果物を納品しているのに、お金まで取られていたんです。あの仕組みを疑問にも思わず受け入れていたのだから、自分の頭のネジは、やはり入学初日に抜かれていたのでしょう。

博士学生なる存在を、一般世界は認知していない

会社員になってから、自己紹介の場面が苦手なんですよ。「学生時代は何をされていたんですか?」と聞かれ、普通の人ならサークルやアルバイトの話をするでしょうが、博士卒の自分は研究しかしていなかったので無言になってしまいます。

仕方なく「研究をしていました」と答えると、九割の方が「あ、修士まで行かれたんですね」と返してきます。違うんです、博士なんです。「博士課程まで行ったんですよ」と返事したら、「博士課程?」と首を傾げられたり、「じゃあお医者さんですか?」と聞かれて頭を抱えるパターンもあります。「じゃあ、あれですか… 教授ですか?」と言われますが、教授でもないんです。博士になってもすぐ教授にはなれません。

ここまで説明して、相手はようやく”あ、そういうことなんですね”と分かったような顔をしてくれます。本当に分かっているかは怪しいところで、後日「彼、博士まで行ったらしいよ」「えっ、お医者さん?」が繰り返されているはずです。世間における博士の認知度は、復興特別所得税率より低いのではないでしょうか。

親戚の集まりも似たようなもので、「まだ学生なの?」と聞かれて、「ええ、博士課程です」と答えれば、「博士って、何年生?」と返ってくる。年生で測ろうとしないでください、おばさん。博士課程に学年なんてないんです。

このように、博士課程の存在は、世間でほぼ認知されていません。世界は学部→修士→社会人のレールで完結していて、博士は宇宙人扱いです。会社員になってから、自分の存在をようやく社会的に認めてもらえた気がします。名刺を渡せば、相手は会社名と部署名を見て、こちらを一人の人間として扱ってくれますし。平日の真昼間に街中をうろついていた私も私で悪いんですけどね。

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