10/1 (日) その2:神社巡り→第三ターミナルで野宿
荷物を預けて神社めぐりへ

羽田に降り立った瞬間、空気の密度が変わった。
湿り気を帯びた潮の匂いが、北海道の乾いた冷気を一瞬で押し流す。第二ターミナルから第三ターミナルへの移動バスに揺られながら、私は無言で窓外を眺めていた。敷地は果てしなく、滑走路の果てが霞の向こうに消えている。羽田は、出発と帰還の狭間にすべての人を浮かべてしまう巨大な港だ。

荷を軽くしたくて、コインロッカーを探し回る。
小型ロッカーは空いているのに、肝心のスーツケースが入る大きなロッカーは一つもない。二階も三階も巡った末、ようやく「手荷物一時預かり」の掲示板を見つけた。あの時のあの看板の光は、救いの門標に見えた。
預かり票を受け取ると、肩から重石が外れた。
「翌朝五時に取りに来ます」――言葉にした瞬間、身体が羽のように軽くなった。


京急の改札を抜け、昼の街へ。
まず向かったのは、川崎大師。古い街路を抜けると、香の煙と太鼓の音が濃密な空気を作っている。護摩の炎が天井を焦がさんばかりに立ちのぼり、修行僧の読経が空間を震わせた。
その響きが胸骨を打つたび、胸の奥に潜んでいた澱みがひとつずつ剥がれ落ちていく気がした。
木札を受け取り、掌に感じる温もりを確かめながら寺を後にした。白木の表面には、まだ燃えた炎の名残が残っているようだった。


次に向かったのは靖国神社。
境内に足を踏み入れたとき、都市の喧噪が遠のいた。風は冷たく、銀杏の葉が微かに震えていた。大村益次郎像の前に立つと、無言の訓戒が胸に落ちる。
――お前の戦は、これからだ。
自分でも意識しないうちに背筋が伸びた。

飯田橋へ戻る途中、東京大神宮に寄った。住宅街の隙間にひっそりと佇む社。木立に囲まれたその空間は、陽の光を柔らかく撥ね返していた。境内の砂利を踏むと、足音が吸い込まれて消える。
祭殿の前で手を合わせたとき、心の表層が静まっていくのがわかった。
あの神域には、言葉を持たぬ理(ことわり)が宿っていた。“ついで”の参拝で済ませたことを恥じた。次に訪れるときは、もっと清らかに身を整えてここへ来ようと思った。
夕食

黄昏時に羽田へ戻ると、空港は生気を取り戻していた。ガラス越しの光が反射して、まるで街そのものが動いているようだった。

腹が鳴った。4階のレストラン街はどこも満席。足を止めたのは「町や」というお好み焼き屋。
餃子をつまみにビールを流し込み、久しぶりに体の芯がほどけた。牛スジ九条ねぎオム玉。焼けた鉄板の香ばしさが、遠い故郷・広島の台所を呼び起こす。キャベツの水分が適度に抜けて、口に含めば甘味がひろがる。美味しい。これが日本で味わう渡航前最後の日本食だった。

”お好み焼きが出てくるまで時間がかかる”ということで、お好み焼きと一緒に宇都宮餃子をオーダー。ペコペコのお腹に餃子を流し込む。旨い。ニンニクがすごく良く効いている。コレは明日、口が臭くてちょっと困ってしまうかも。まぁいい。明日は機内で口を閉じて過ごす時間が大半だから。
羽田空港でブログ執筆→1Fベンチで野宿

食後、展望デッキで夜風に吹かれながらブログを書いた。滑走路の向こうで、航空灯が星のように瞬いている。
喧騒の中で文章を書くのが好きだった。飛行機の離陸音は、胸の奥を震わせる鼓動のようで、筆を進ませるリズムになる。気づけば時刻は二十三時を過ぎていた。明朝五時には荷物を受け取らねばならない。だが、空港で夜を明かすと決めた時点で、眠りなど諦めていた。
ベンチに身を横たえ、天井の蛍光灯を見上げる。夢の入口と現実の出口が交わるこの場所で、私は長い夜を迎えた。
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