博士課程に対して抱いていたイメージと進学後に感じたギャップ

札幌と筑波で電池材料を研究している北大化学系大学院生かめ (D2)です。博士進学 (D進)から一年半が経過しましたが、D進前とD進後とでは予想以上にギャップがあって驚かされました。D進後の生活をもう少し具体的にイメージできていればD進しなかったかも。ポジティヴなギャップよりもネガティヴなギャップの方が多くて困っています。

この記事ではD進してから気付いたギャップについて記します。

  • D進を検討中の方
  • D進の怖さを知っておきたい方

こうした方々にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧いただければ幸いです。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

予想以上にストレスがキツい

D進前から覚悟していたことですが、博士課程での生活はとんでもなくストレスフルなものでした。

博士課程では当初の予想を遥かに上回るほどの破滅的なストレスに困らされています。衝撃ですよ、もう。動揺が止まりません。修士と博士とは全くの別物。博士”前期”課程って嘘ですからね。今すぐにでも改名した方がいい。前期じゃないんですよ、異質なモノなんだから。『出家課程』ぐらいにしておいて下さい。やっていることは坊さんそのもの。苦行にひたすら耐える毎日。

いったい何がそれほどまでにストレスフルなのか?期限までに規定本数以上の論文を出版する作業がめちゃくちゃ大変なのです。

私の所属する専攻の場合、フルペーパーの英語論文を筆頭著者として二報以上出さねばなりません。第二著者としての論文もカウントするなら合計三報以上の出版業績が必要に。論文はブログと違い、作ったらすぐに出版できるワケじゃないんですよ。まずは科学雑誌に投稿し、雑誌の編集者がサラっと目を通し、チェックに通ったら査読に回され、査読者との激しい応酬を経てようやくアクセプトされます。投稿してからアクセプトされるまでに半年以上も要する持久戦。途中、編集者や査読者が「この論文は載せる価値がない」と掲載拒否 (リジェクト) に遭う悲惨な場合も。リジェクトになったらゼロからやり直し。別の雑誌へと投稿し、編集者と査読者によるチェックからリスタート。振り出しに戻されるのは日常茶飯事。私の場合、M2のときは同じ論文を三回連続、D1では同じ論文を四回連続でリジェクトされたことが。(いつになったらアクセプトされるんだよ!!)とイライラが募っていく一方であります。幾らイライラしたってアクセプトが早まるワケではないのだけれども、迫りくる修了年限&リジェクト続きの毎日が私へ『見えないプレッシャー』として重圧をかけてくるのです。

博士課程が辛いのは、おそらく研究しかやらなくて良いからでしょう。研究以外にやることが無いから研究活動に専念せざるを得ず、研究自体がその性質的になかなかスムーズにはいかないから病んでしまいがちに。修士の頃のように講義やゼミの用意で忙殺されている方がまだ楽だったかなと思います。たとえ一つの作業が上手く行かなかったとしても、別のものを成功させられればすぐに気分を良くできるからです。博士課程に入ったが最後、講義もゼミ発表もほとんどありません。研究の気分転換に取り組める簡単な仕事が無いがゆえにストレスを発散できない仕組み。そうかといって研究に手を付けないでいては三年で修了できなくなってしまいます。私の場合、博士課程の二年での修了を目論んでいるため、息つく暇もなく次々と研究を行って論文を出さねばならぬ地獄を味わっている最中…

予想以上に忙しい

たくさん論文を出さねばならないとなると、何かをじっくりと腰を据えて考える時間を確保できません。研究の道筋のこと、自分の将来のこと、ブログ運営の方針など、時間をかけて落ち着いて考え抜かねばならない課題に落ち着いて取り組めないのです。私の場合、D1の10月から1月にイギリス留学へ行きました。留学する半年ぐらい前から渡航先大学との折衝で何やかやと慌ただしく動き回りました。帰国後、D2・3月での博士課程早期修了を決意。それからすぐに就活を始めて何とか内定を掴み取りました。D1の一年があっという間に過ぎ去っちゃった。さっきまでM2だったのだけれども、意識が戻って周りを見渡してみたらD2になっていたのです。時間の過ぎゆくペースが本当に早い。もう少しゆっくりと時間が過ぎていってくれなくちゃ何もできないまま博士課程が終わります…

博士課程は本当に忙しいです。当時はクソみたいに忙しいと思っていたM1やM2の頃の方がまだ暇でした。100mダッシュして息を整えて、また100mダッシュして息を落ち着かせる。博士課程はそんな感じの緩急走でフルマラソン (42.195km) を乗り越えます。ジョギングペースでゆっくりと走らせてはくれません。散発的に重たい課題が降ってきて、タスクをその都度、全速力で解決して次に備える繰り返し。ちょっとは休ませて欲しいんだけれどもなぁ。何らかの仕事を抱えながらの休日ばかりだから心が完全には寛ぎません。本当の意味で休めるのは、博士課程で全ての仕事を終え、会社への入社に備える直前の1~2か月程度でしょうか?その頃になっても博士時代に書いた論文の査読対応が残っていたら最悪ですね…

予想以上に研究が嫌いになっていく

B4~M1の前期までは研究を”楽しい営み”として純粋な知的好奇心に則って楽しめていました。(コレってどうなんだろう?調べてみようか!)と実験する日々は面白くて仕方がなかったです。M1の後期あたりから少しずつ様相が変わり始めました。研究が【お金や学位を得るための道具】になってしまったのです。

研究を頑張るモチベーションが、「知的好奇心」から「学振DC1内定のための業績集め」へと変わりました。DC1内定のために少しでも業績を集めなきゃとシャカリキになって研究に邁進。おかげで沢山業績を集められました。学振DC1にも無事内定です。一方で、知的好奇心の充足にエネルギーを使わなくなった影響で研究の楽しさが失われていきました。DC1に採用されてD進資金を確保できた頃には、もう既に知的好奇心の源泉がほとんど枯れ切っていたのです。研究をしたくてD進を志したはずなのに、博士課程へ行く前から研究のことが嫌いに。嫌々やる行為ほど苦痛なものはない。D進後、嫌いな研究がますます嫌いなものに変わってしまいました。

D進後は論文執筆が義務になります。修士までは論文を書かなくても修了できたから良かったけれども、博士からは論文を書かなきゃ永遠に修了させてもらえません。面白い研究をしたから論文にまとめて世界の皆に見てもらおう!、、、じゃない。論文を書かなきゃ修了できないから『学位取得のために』論文を書かねばなりません。好奇心ベースじゃない研究にはこれっぽっちも楽しみを見出せません。苦行そのもの。研究が苦痛で苦痛で仕方なくなった博士課程です…

予想以上に人生が激しく動く

修士課程における人生の変動といえば”D進を決意した”ぐらいのものでした。D進したって研究室は同じ。目に見えて何かが変わったというような感覚はありませんでした。ところがD進後、私の人生はめまぐるしく動き出したのです。3か月のイギリス留学、アカデミアを離れる決断を下す、民間企業への就活&内定、早期修了がほぼ決定した、などなど。D1は激動の一年間でした。これほど人生が大きく動く一年間はもう味わえないかもしれません。

D進前の私は博士修了後、アカデミアで研究者になる予定でした。筑波で入り浸らせてもらっている国研の定年制正規職に就き、今までと同様、研究漬けの日々を過ごして楽しく生きて行ければと企んでいた。自分がすぐには正規職へ就けなさそうだと知ったのは、D進する一か月前。国研でお世話になっている共同研究者さんの属するグループのポジションが当分は空きそうになく、いくら多くの業績を集めたとしても、空席がない以上、国研の研究者にはなれないと分かったのです。「だったら大学や他の研究所で研究者になってやる!」と鼻息荒く博士課程へ進学。先述したイギリス留学で何か新しい武器を身に着けてやろうと意気込んだのです。けれども、イギリスで訪問した研究室では実験や議論が何ひとつ行えませんでした。200万円以上の大金、海外や研究者に対する憧れの気持ちなどを失い、失意に打ちひしがれながらの帰国に。自身のアカデミアとの縁の無さを感じました。博士修了後はアカデミアを離れることを決意し、D1の2月中旬、某企業の最終面接を経て無事に内定を掴み取ったのです。

何かを望んで進んでも叶えられず、方向転換して進んでも行く先々で道が潰えてしまいました。D1の一年でいったい何度、自らの心願成就を諦めさせられたことでしょうか。いくら必死にもがいてあがいても前へ進んでいる感覚は得られませんでした。誰かに助けても貰えなかったし、ただ苦しくて辛くて耐えがたかっただけの一年間。確かに自分の人生は激しく動いたようだけれども、後から振り返ればこれっぽっちも前進していませんでした。D進して本当に正解だったのかな。修士で企業へ就職した方が幸せだったんじゃないのかな…

自分がD進を選んだ決断を正解にするのは自分を置いて他にはありません。死ぬ間際に「D進して正解だったな^ ^」と笑顔で振り返られるような生き方をするしかないでしょう。

まとめ

博士課程に対して抱いていたイメージと進学後のギャップは以上。D進しようか否か迷っている方、およびD進の怖さを知りたい方の参考になれば幸いです。

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