冷徹な計算に基づく戦略的思考

博士課程を走り抜ける中で、ミクロ・マクロ両視点から戦況を捉える力を身につけました。
博士課程は二年以上にわたる長期戦です。修了するには規定以上の学術論文を出版しなければなりません。いつ、何本の論文を書くかを明確にし、計画通りに出版しなければ時間切れです。努力すれば何とかなるのは修士まで。博士課程では、努力の質が重要です。どのタイミングで、どれだけの労力を、どの方向に向けるか。そうした戦略的判断が求められました。
情や気分に左右されるのは論外。常に冷静でいることを意識し、毎日やるべきタスクを淡々とこなしました。
研究や進路について、周囲からさまざまな意見がありました。 「もっと研究を深めたら?」 「早期修了なんてせず、じっくりやれば?」などと。周囲の声に耳を傾ける姿勢は大切です。自分を客観視するヒントにもなりますし、人間関係を円滑に保つためにも必要でしょう。しかし、何でも受け入れるのは危険です。自分の軸と真正面から衝突する助言については、慎重に検討すべきです。
私は、研究に関する指摘は柔軟に取り入れました。実際、研究の方向性を変えたり、論旨を練り直したりもしました。しかし進路に関する助言、特に「早期修了はやめたほうがいい」といった意見には耳を貸しませんでした。早期修了だけを目指していたからです。自分がその道を選ぶ明確な理由があった。全速力で走り切る覚悟があった。進路にまつわる責任は自分で引き受ける。その選択の価値は自分で決める。他人に口を出させない。自分の人生を動かすのは、自分だけです。
己を無限に駆り立てる情熱と執念

自分には絶対に博士課程を早期修了しなければならぬ理由がありました。大学受験浪人で背負った一年間のディスアドバンテージを乗り越えるためです。このチャンスを逃せばもう二度と機会は訪れないでしょう。人生で一番大切なのは「時間」。何兆円積んでも時間だけは誰にも取り返せないのです。
学部生時代、大学受験浪人に至った自身の振る舞いを心の底から悔やんできました。一年間のブランクを生んだのは自業自得。そんなの分かりすぎるほど分かっています。しかし、浪人の刻印を背負って生きるのは到底受け入れがたかったです。失ったあの一年を取り戻したい。学校生活を終えるまでに、高校三年生の自分が犯した過ちの落とし前を付けておきたい。時間を取り戻すために決意したのが早期修了。博士課程を爆速で駆け抜けて全てを振り出しに戻す作戦でした。
私が狙っていたのは、一年間の在籍期間短縮。通常三年間の博士課程を二年間で出ようという試み。早期修了には、標準年限修了者よりも多くの業績が求められます。私が指導教員から課せられたのは、標準の2.5倍の業績量。3年を2年に短縮する。業績量は2.5倍必要。すなわち、常人の3.75倍 (3/2×2.5)もの努力が必要です。普通のペースでやっていたら間に合いません。
博士課程ではまず、土日祝日返上で研究を進めました。膨大な研究時間の確保で常人の1.4倍速 (7日/5日)を達成。
次に、研究の効率化を試みました。実験セルの生産技術向上、論文執筆プロセスの見直しや最先端ツールの適用などで、対修士時代比2倍速を達成。最後に、研究以外の楽しみを全てかなぐり捨て、早期修了一点に人生を全betしました。普通の人が遊ぶときに論文を読む。普通の人がやらないレベルまで研究へ打ち込む。没頭力で対修士比1.5倍速を実現。情熱と狂気に基づき、徹底的な資源集中を行ったのです。
以上の三要素を掛け合わせてみましょう。1.4×2×1.5=4.2倍速。二年での早期修了に必要なペースを軽々と上回っていますね。実際、早期修了に必要な業績を集め切ったのはD2の11月。時間に少し余裕を持って飛び級を果たせました。
研究生活には数多の困難が待ち構えていました。実験計画破綻や論文リジェクトなど、不可抗力で研究が止まるケースが本当に多かったのです。苦難を乗り越えるのに役立ったのは「目標への執念」。自分は早期修了したい。いや、しなければならない。ボロボロになってでも成し遂げたい。どれだけ無様にフルボッコにされたとしても、早期修了できればそれでいい。目標に対する情熱へ裏打ちされた執念の力でトラブルを踏破。七転八倒、上等ですよ。実際には100回以上は転がっていたと思いますけれども。
他者への寛容さ

不思議なもので、博士課程で過ごせば過ごすほど他人へ優しくなっていきました。優しくしようと心掛けずとも周りへ寛容になったのです。
博士課程では自分を日々徹底的に追い込みました。研究はもちろん、基礎体力養成のためのランニングでもハードに鍛錬したのです。「そんなにやったら死んでしまうんじゃないか」と懸念が生じるラインを軽々と越えていきました。しまいには、精神的限界に達しても体がストップ信号を発さなくなってしまった。命を失っても構わない。早期修了できるのならば多少身を削ったって平気。
誰かに厳しく当たるのはヒマだから。自己鍛錬が不足し、体力が有り余っているからこそ、他人へ厳しくなれるだけの余裕があるのです。毎日疲れ切るほど自分を錬磨している人間には、周りへ厳しい目を向けられるほどの余力がありません。自己研鑚で忙しすぎて、怒っているヒマもないでしょう。博士在籍中の鍛錬は良い意味で私の余力を削いでくれました。自分以外の人間に対する寛容性を育むことに繋がったのです。
寛容性が生じた結果どうなったか。いい意味で誰にも期待しなくなりました。
周りの失敗に感情の波が荒立てられません。直属の後輩が「早期修了に失敗したら留年ですね笑」と言ってきてもサラッと受け流す。自分以外の人間が自分の思い通りに動いてくれるはずがありません。人間にはそれぞれ意思があります。意思の持ち主は人間各個人。そうである以上、相手をコントロールできるわけがありません。制御できるのは自分の意思だけです。
周りへいくら期待したって無駄。この精神が得られて以降、対人関係構築がグッと楽になりました。
人生哲学

大学院の困難は辛くて長いです。そこを乗り越えるには、強くてブレない人生哲学が必要になります。とはいえ、最初から持っている必要はありません。博士生活を通じて、自ずと育っていきます。修了間際には、強大で揺るぎのない、盤石なものに仕上がっているでしょう。
私が博士課程二年間を通じて養った信念は以下の2つ↓
- 努力が報われるかは分からない。報われたければ努力するしかない
- 善く生きる。最善を尽くす。全力で挑むのが大事。結果は全て努力の副産物
それぞれについて以下で詳述しましょう。
報われたければ努力するしかない
研究は不確定要素の大きな営み。どれだけ簡単な研究でも「確実に」成功するかどうかは分かりません。難しい研究であればあるほどうまくいく確率が下がるでしょう。努力すれどもすれども報われない。苦しい時間を過ごすハメになります。
早期修了だってそう。いくら本気で目指したからといって「必ず」達成できる保証はありません。論文が何回も連続でリジェクトされたら出版本数が足らなくなります。研究が長期間失敗続きならば、目標を標準年限修了へ切り替えねばならなくなるでしょう。大学院早期修了の前例はごくわずか。何を参考に突っ走ればいいか分からず、迷い苦むうちにメンタルを病んでドロップアウトする可能性だってあります。
努力が報われるかだなんて分からない。やり切ってみるまで結果は定かでない。この努力の果てに如何なる結末が待ち受けているのか予想だにできない。前に進むのが怖い。「進まない方が楽なんじゃないの?」と悪魔の囁き声が聞こえる…
どうせ生きるのならば、せめて何かしらの形で報われたいですよね。ハッピーな出来事の起こらぬ漆黒の人生だなんてつまらないでしょう。
目の前の仕事を頑張ったとて何も意味が無いかもしれません。研究を頑張っても上手くいく保証はないし、早期修了だって手が届かないかもしれない。それでも、頑張らぬことには何も始まらないのです。何かリターンを目論むならば、それ相応の努力を積み重ねるしかありません。努力が報われるか見通せないなかでがむしゃらに努力し続けられた人間に栄光が待っている”ことがあります”。博士課程を通じて「報われたければ努力するしかない」の精神が心に根付きました。
善く生きる。最善を尽くす
もちろん、努力が報われずじまいなケースだってあります。本気で何年間も努力してきたのに残念な結末になることも。自分自身、D1後期のイギリス留学で散々な目に遭いました。
学振DC1へ内定して渡航原資を確保しました。加えて、学部生の頃から将来の海外留学に備えてコツコツお金を貯めてきたのです。英語の勉強も現地生活で困らぬ程度にはこなした。万全の態勢でいざ、オックスフォードへ。そこで待っていたのは、壊れた実験装置と誰もいない研究室でした。実験をやりに行ったのに実験できません。話し相手がいなくて友達すらできない。海外留学を足掛かりに、国際的に活躍する研究者になろうと思っていました。結局、何の収穫も得られずに帰国します。しまいには研究が嫌になってしまって研究者志望を諦める決断まで下したのです。
D1のイギリス留学にて、半年間もの貴重な時間と300万円弱の大金を失いました。悪夢の海外留学。思い出すだけで悔してく涙が出てきそうです。
努力が報われぬ辛い経験をしました。努力なんかしなければよかったとも思いました。
目を覆いたくなる大失敗に見舞われても努力をやめるわけにはいきません。次のチャンスを掴むには、ひたむきに努力し続けなければならないのです。何度打ちひしがれても立ち上がって走り続ける。こういう泥くさくて諦めの悪い人間だけにチャンスの神様が再訪します。鍛錬を怠ったが最後、眼力が弱まり、チャンスをチャンスと見抜けなくなってしまうでしょう。そうなったらもう二度と好機が訪れません。不幸が不幸を呼んで地獄へ向けて一直線です。
努力の際に重要なマインドセットがあります。「善く生きる。最善を尽くす」です。
残念なことに、我々には事態の行く末を決定できません。研究でも恋愛でも試験でも同じ。いくら善処したところで結末がどうなるかだなんて分かりませんよね。コントロールできるのは己のみ。それも、『いま』の自分に限ります。『いま』の自分にどれだけ意識を向けられるか。どこまで最善の生き方ができるかに懸かっているのです。最善を尽くして、後は運任せ。最善を尽くすのだけに集中する。
結果など、努力の副産物に過ぎません。我々が本当に考えるべきは『努力をどこまでやり切られるか』なのです。
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