研究者の「時間」の捉え方が自分とは真逆だったから
研究者を目指すにあたって一番の難題が「時間」に対する認識の違い。私と指導教員、それに共同研究者さんとでは時間の概念がまるで異なっていたのです。
私と研究者との間で研究は”寸暇を惜しんで行うもの”という意見で完璧に一致していました。私自身、研究は大好き。平日・土日の境なく研究室に通って日々物事を考えておりました。しかし、私が「常に前進していなくてはならない」と考えていたのに対し、研究者は一般に「どうしてそう焦っているの?のんびりと行ったらいいじゃん♪んなにだっ」と考える傾向があるらしい。せっかちな私からすれば進度の遅い進展はもはや停滞しているようにしか感じられず、 (こ贅沢な時間の使い方をしていて大丈夫なのかな…) と心配が募る一方た。
私の場合、競争相手の多い蓄電池材料研究を博士論文のテーマにしています。蓄電池の世界は超過酷。Google Scholarを毎日開くたび100~200もの新しい論文が公開されている環境。月に一度ほど、自分のいつかやろうと思っていた研究が他のグループから論文として出版されます。その途端、自らの研究アイディアが紙くずになる。もし同じ研究をやっても模倣と見なされ、論文になるかどうかさえも正直覚束ないからです。博士課程を修了するには論文を規定本数だけ出版せねばなりません。競争相手が次々と論文を出すなか、自らも早く論文を出さなきゃ再び先を越され、論文を出せなくなってしまうでしょう。私が”前へ!前へ!”と焦っているのはコレが要因。早くしないと卒業できなくなるから否応なく焦っているのです。
そもそも研究は競争ではありません。未だ世界で誰もしたことのない考え方で物事を捉え、『もしも自分がいなければあと数十年はこの知見が産み出されなかったであろう』ことを論文にまとめて出版するためです。そうした研究の性質上、競争などそもそも起こるはずがありません。だってそりゃそうでしょう?自分にしか思いつかない着想点で行うのが研究なのですから。仮に誰かとの競争が生じるのなら、それは着眼点が陳腐だったか、または研究に適さないテーマだったかの二択。神様から「それは研究ではありません。ハイ、やりなおーし!」と言われているようなものでしょう。指導教員らがのんびり・泰然と構えていられるのは至極当然なのです。研究の王道を突き進んでいるなら焦る理由がありませんからね。
要するに、私は研究をやっているように見えて、実は研究をやっていなかったのです。研究の本質を見極められず、王道から逸れ、血で血を洗うレッドオーシャンに自ら足を踏み入れてしまいました。その事にようやく気が付いたのはD1・12月、オックスフォード大学への留学中。今さら研究計画の修正は難しい。計画を最後まで遂行し切ってようやく真の研究を始められるでしょう… いや、本当に始められるのか?自分の性格的に研究は難しいのかもしれないな。B4からD1まで4年間仕事をし、 自分には忙しく動き回っている方が性に合っているのではないかと思えてきました。大学で基礎研究をするよりも、企業で応用研究、および開発をやった方が遥かに楽に働けそうだったのです。どっちが良い、どちらが偉い、、とかいった話ではありません。人により向き・不向きがある。私に基礎研究が向かなかっただけなのです。
この4年間、時間の概念が自分とはまるで異なる人たちとの同化を遂に果たせませんでした。研究者の道を諦めざるを得ない。研究者適性が皆無だと思ったからアカデミアを脱することにしたのです。
自分の研究の面白さについて誰からも理解を得られなかったから
B4までは自分の研究の有用性が自分でもサッパリ分かりませんでした。M1・M2と時間が経つにつれ少しずつ「何の役に立つか」が分かり始め、D1にもなると”未来の人類のためにこの研究を頑張ろう!”と使命感に駆られるまでに。自分で言うのもアレなんだけれども、今やっている研究は世界にとって大変重要なものだと思います。上手く行ったら、仮に失敗しても、電池研究の方向性が根本からガラリと変わるほどの大きなポテンシャルを秘めているんじゃないでしょうか?自分は毎日忙しくてヒーヒー言いながら研究しております。どれだけ辛くても続けてこられたのは【自分のやっている研究に魅力を感じているから】、ただそれだけが理由。
自分の研究を面白いと思っている私は、学会にて壇上で喜々として講演を行います。しかし、聴衆のリアクションは非常に薄いのです。挙手して質問して下さる方はごくごく稀。質疑応答が活発に行われず、座長が「では私から…」とやっとの思いで捻り出したような質問に数個答えておしまい。プレゼンスキルの至らなさから面白さを存分に伝え切られなかったのか、それとも対象自体に魅力が薄く、聞いている人に面白いと思ってもらえなかったのか。いずれにしても、私の研究をポジティヴに評価して下さる方は非常に少なかったのです。
魅力の無さは論文の被引用件数にも顕れています。研究室の先輩が書いた論文は次々と国内外の様々なグループから引用されていくのに、私の書いた論文は年に2~3回しか引用して貰えず化石になってしまいました。私のやっている研究になんて誰も興味が無いいませんってこと。魅力が無いから引用されずに風化し、過去の遺物と化しているのです。自分の見出した価値を信じられれば博士修了後も研究を続けても構いません。しかし、誰も面白いと思わない研究に科研費が割り当てられる望みは薄く、研究予算が無ければ早晩研究を続けられなくなるでしょう。研究者になった後、研究を続けられなくなったら人生が詰んでしまいます。「自らの将来が灰色になるぐらいなら思い切って方向転換して研究者以外になるべき」と考え、研究者への道を断ち、企業へ就職する道を選んだのです。
競争ではない研究をやるために、結局、競争に勝ち続けなくてはならないから
「研究の本質は競争ではない」と先ほど申し上げました。競争ではないのは間違いない。しかし、競争ではない研究をやるため絶えず競争に打ち勝たねばならぬのも事実。
まずはアカデミアポストの獲得。大学助教や国研の任期無しポストを得るため倍率数倍から数十倍もの競争を突破する必要が。一度の応募で採用されるのは稀。大抵は何件応募しても受からず、ポスドクとして複数年修行して業績を集め、それでようやくポストにありつけること”も”ある世界。半分以上のポスドクは夢に破れます。企業就職を始め、別の道へと歩むのです。
次に、先述した研究費の獲得。科研費や財団の公募に申請書を送り、研究試料や実験器具を揃えるためのお金をかき集めます。SNSで見た情報によると、科研費の採択率は2~3割程度だそう。数千万円規模の研究費を得られる区分の採択率はもっと低い。トップクラスの研究者でも科研費採択率は3~4割。まるでプロ野球のバッターのように厳しいお金をめぐる戦争へ毎年挑まねばなりません。もしも科研費を外し続けたら、研究予算が枯渇し、研究できなくなります。そうならないようみんな必死に各所へ手を回してお金を引っ張って来るのです。
正直、私は思ってしまいました。【研究をやるために乗り越えるべき障壁があまりに多すぎやしないだろうか】と。一体いつまで競争に勝ち続けなきゃいけないんだ。えっ、一生?いやいや、無理だよ。いくらせっかちな私であっても、少しは休ませてもらえなくては息が切れてしまいます。今と同じく土日を仕事に充てなくちゃ回らない人生になってしまいそう。研究者である限り、競争に勝ち残るため油断のならぬ時間が永遠に続くのでしょう。そんな過酷な職業に就き、消耗せず上手くやっていける前向きな未来を描けませんでした。
最後に
私が博士課程に進学後、研究者になる道を断念した理由は以上3つです。博士修了後は地元に帰って企業に勤めつつ、小4から高3までやっていた乗馬をもう一度やりたいと思っています。
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