研究室生活春夏秋冬vol.61 最終回|さあ行こうぜ、どこまでも! 大志を抱いて札幌から世界へ

新生活開始

3月1日。アパートにて広島新生活が始まった。

午前中に部屋へ荷物を搬送する。札幌から陸路で2000km近く。ロストバゲージなくすべて受け取った。

午後にはガス開栓手続き。部屋で温かい水を出せるようになった。「札幌市民だったんだぞ、なめんなよ」と啖呵を切ってやりたかった所。逆にやり込められてしまった。広島は予想以上に寒い。3月だというのに白い吐息が出る。かじかんだ手を温水へ浸す。乾燥ワカメのごとく生命力を取り戻した。

大学進学で札幌へ行くまで広島には19年間住んでいた。この街で暮らすのは8年ぶり。新鮮味はないかに思われた。なんのなんの、新鮮味しかない。広島で『一人暮らし』をするのは初めて。子供部屋おじさん生活と一人暮らしとでは見える景色が全く異なる。一人暮らしの方がのびのびできる。昔よりも手元に沢山のお金がある。欲しいものは何だって買える。行きたい場所へも躊躇なく足を運べる。

広島生活、上から見るか、横から見るか。慣れ親しんだ地元を様々な角度から眺める日々。毎日が発見の嵐。故郷を歩くのが楽しくてたまらない。右へ、左へと大移動。足を運んだことのない地域で写真を撮るのに忙しい毎日。

早期修了確定

”2623”から始まるのが私の学生番号

工学院オンライン掲示板にて修了者の学生番号が掲示された。ここに番号が載っていれば修了が確定し、25日の修了式にて濃紺色の学位記が授与される。1月末に公聴会をクリア。私の博士課程早期修了は決定的。4月からは弊社にて「博士 (工学)」と記した名刺をチラつかせて偉そうにできる(*できない)。しかし、講義の単位不足や素行不良などで修了できていない可能性が。

単位はおそらく大丈夫。素行不良にはいくつか思い当たる節がある。大学生協食堂について「高いのに美味しくない」とサイト内にて火の玉ストレート発言。「構内で五輪マラソンをやる前に北部生協二階のトイレを直してくれ」と記したこともあったっけ。北大は全人教育を掲げている。全人教育の不徹底な私が博士号に不適格とみなされても不思議ではない。

念のため、オンライン掲示板を確認しておく。ここに自分の学生番号があれば修了確定。なければB1のフレッシュマンセミナーからやり直し。

おそるおそる掲示板を覗く。所属専攻の欄へ自分の学生番号があるのを確認した。どうやら修了確定らしい。博士課程修了に成功した。全人教育が身についているのを北大が認めた何よりの証。ありがとう。北大さんは優しいね。これからも気がねなく毒を吐かせていただく。まあ、吐きたい毒など、もうほとんどないのだけれども。

今年度、工学院全体では22名の博士修了者がいる。博士号獲得者のうち、標準年限で修了した方が6割、オーバードクターで学位取得にこぎつけた方が3割強。一年短縮修了者は自分ひとりだけ。

何も別に「ぼく、えらいでしょ?ほめてほめて~ (*≧∀≦*)」と承認欲求を高めたくて述べたのではない。博士課程がどれだけ厳しい世界なのかを知って欲しくて述べた。博士修了に四年以上かかる人がごろごろ現れる。生半可な覚悟で行ったら痛い目に遭うだろう。進学するならどうか強い覚悟を固めてからにしてほしい。検討に検討を重ね、検討を加速し、石橋をたたいて叩き壊すぐらいの用心深さでいこう。

私が一年飛び級できたのは、努力できるだけの体力と、努力すべき理由と、努力が報われる運を兼ね備えていたから。飛び級に失敗して来春修了する可能性も大いにあった。精神を病んでオーバードクターするかもしれなった。酷かった留学でもっと辛い思いをしていたら、退学していたシナリオも冗談抜きで考えうる。掲示板を眺めながら「紙一重の勝負だったんだな」と冷や汗をかいた。オーバードクターが他人事に感じられない。博士課程はそれほど厳しい修羅の世界であった。

うつ状態、完全脱却

札幌時代は毎日ラボへ通ってネットで論文を読んでいた。突き指するほどの速さでキーボードをネコパンチして論文を書いてもいた。いまや私は博士(工学)。博士修了が正式決定した。学位取得のために全力疾走しなくてもいい。B4・4月以来、5年ぶりにじっくりと羽を休ませられた。

広島での新生活では、研究関連の仕事へ手を一切つけていない。道路標識以外で英語を読んでいない。専門書に至っては開いてすらいない。製本した博士論文の表紙を眺めて「ムフフフフッ」と気持ち悪い鼻息を漏らすばかり。とうとう怪獣になってしまった。本当に来月から技術系博士人材になれるのだろうか。一応、自分は早期修了したことになっている。飛び級して博士号を取って、地元一の大企業へ凱旋する。周囲からの期待は否応なしに高まるだろう。はたして重責に耐えられるだろうか。

次はいつ休めるか分からない。休めるときに休んでおかなければどうなるかは、M2とD1における二度の喀血でもう知っている。休みたくなくても休んでおくのがいい。思考活動や生産的活動を一時停止して心を落ち着ける。夜9時に寝て、朝6時に起きる。小学生時代よりも小学生らしい健康生活を営んだ。

研究活動を停止したらどうなったか。長らく続いていた希死念慮が途絶えた。

修士課程の終わりの方から、ことあるごとに「死んだ方が楽なのにな」と感じてきた。毎日の研究が辛すぎて解き放たれたかった。電車のホームを見下ろしたり、橋の上で身を乗り出してみたりしたこともしょっちゅう。研究が嫌いで嫌いでたまらなかった。嫌な研究をこれ以上続けるぐらいなら、死んだ方がマシなのではないかと感じた。

メンタルが相当疲弊していたのだろう。休みをとったら心がスッカリ癒えた。うつ状態から脱却した。今では死ぬなど考えられない。自分がこれまで27年間紡いできた物語をこんな所で終わらせてたまるか。この人生が今後どのように進展するのかを見届けずにはいられない。これから先の展開を見てみたい。どうなるのだろう。想像もつかない。思いもよらぬ未来が待っているかもしれない。明日の自分に期待したい。ポジティブに生きていけるだけの力を取り戻した。

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