何か信じられるものがあってようやく博士課程を完走できる

「博士課程は辛い」とよく云われます。
実際、辛いです。大学受験浪人と同じぐらい、いや、それ以上の辛さを味わうかもしれません。思い通りにならないことだらけ。論文はリジェクトされまくるわ、留学先選びで大失敗するわ、おまけに共同研究者の都合で博士在籍中、一年以上実験させてもらえないわ。いったい何回「こんな所、辞めてやる。もうやっていられない!」と投げやりになったことか。頭の中がグチャグチャになって、D進を選んだ理由がおぼつかなくなります。夕空を見上げて佇んでいるうちに一粒の涙が頬をサーっと伝っていく毎日。
辛くて辛くて辛くて辛い。一瞬だけ楽しくてまた辛い。そんな日々が三年間ずーっと続いていくのが博士課程。ダッシュでフルマラソンの完走を目指すようなイメージ。100m全力で走って1分休み、また100mダッシュして1分休む。私の場合、この辛さから一刻も早く抜け出したいと思って早期修了を志しました。早期修了するといっても短縮されるのはわずか一年間。辛さに押し潰されてしまわぬように二年も耐え忍ばねばなりません。
博士課程は長くて辛い。長いから辛いし、長くなくても辛い。
人が辛さに耐えるためにはそれなりに強い動機や理由が必要です。如何なる辛さをも堪え、耐え凌ぐには、「己がなぜ生きるのか」を知っていなければなりません。自らの哲学が必要だということ。何か心の底から信じられるものがあり、それの価値を微塵も疑わないでいられるか、信じるに値するものへと換えられるかどうかが試されます。
『Ph.D』が与えられるのは、”博士”は己の中で哲学を築き上げた人間だから

工学・化学系の場合、博士課程を標準年限以内で完走できる人間は7~8割と云われています。2~3割の人間はふるいに掛けられ、ドロップアウトしたりオーバードクターしたりと時間内で完走できません。研究テーマの性質的に三年間では成果を出し切れなかった方もいらっしゃるはず。己の心の弱さに負けて博士号取得を投げ出してしまった方も。信奉できる対象や存在を見つけられるか/否かは運次第。研究の価値に魅力を見出すか、自分の人生を肯定する価値観を構築して信じるか、はたまた誰かの役に立つ行為自体へ己の生きる歓びを探し求めるか。信じられるモノを見つけた時期が早ければ早いほど生きるのが楽になり、博士課程を時間内に完走できる確率が高まります。私の場合、D1の1月に見つかりました。早い方なのかな? ひょっとすると遅い方かもしれません。
博士課程在籍中、己の中に築き上げた哲学へ依拠して辛さを乗り越えます。どれだけしんどい思いを味わおうとも、「コレを成し遂げるために生きるんだ」と固く信じ、ゲロを吐きながら頑張っていく。査読付き論文を次々と出版して博士論文提出要件の充足を目指す。
やっとの思いで博士論文を書き上げると、最後に待っているのはラスボス『公聴会』。公聴会では専攻の教授陣10名以上が一堂に会します。その圧たるや、精強な武田騎馬軍団の誇る赤備えの如し。正直、ビビりました。こんな異様な雰囲気の中で発表しなければならないのか…と。質疑応答では教授陣から矢継ぎ早に鋭い質問が繰り出されます。自らの築き上げてきた人生哲学が揺るがされて試されている感じ。身をえぐられるほどの苦しみを味わいながら、やっとの思いで返答して事なきを得る。息絶え絶えで公聴会を終了。教授会での会議ののち博士号授与が決定する、という形。
博士号は学生の持つ専門性を認めて授与されるわけではありません。高い専門性を有するのは大前提。その上で、学生がこの先どのようなことがあっても這い上がれる【確固たる信念】の持ち主かどうかを問うているわけです。公聴会での質疑応答は傍から見ると、学生が先生方から発表内容について質問されているだけのように映るでしょう。当事者側としては違います。「あなたは人生哲学を持っていますか?」「人生の舵取りを自分で行えますか?」と絶え間なく問われていたようなのです。生半可な信念は瓦解するでしょう。どんな衝撃を与えられても壊れない、堅固かつしなやかな哲学を醸成しておかねばなりません。
己の中で築き上げた人生哲学の価値や偉大さを認められた人間にPh.Dが授与されます。博士はただのオタクじゃない。自らの信仰へ誠実に生きられる真っ当な人間である証なのです。
博士課程は生き方を鍛えるための場所

”博士課程”と聞くと皆さんは「研究をする所だ」と思うかもしれません。半分は正解。半分は不正解。研究をするのは当たり前です。博士課程の神髄は、研究を通じて生き方を考え、見直し、洗練させ、より良いものにしていく所にあります。研究はあくまで我々の価値観を検討するための材料。何を研究するかが大事ではない。「どう」研究するかの方が大事なのです。
博士課程は、己の生きる姿勢を徹底的に鍛えるための訓練所。よく『D進に覚悟が必要』と言われるのは、生半可な気持ちでD進したら、精神修養に耐えられずにドロップアウトしかねないから。博士課程は万人受けする場所ではありません。合う人には合う。合わない人にはトコトン合わない。”研究をしたいから”という気軽な理由で行くのはオススメできません。生き方を変えたい、もっと善い生き方をしたい方に博士課程は適しているでしょう。
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