【無知の無知】博士課程へ行ったら、何も分かっていないことが分かった

北大博士課程を早期修了した化学系大学院生かめ(D2)です。来年度から地元の民間企業で技術開発職に従事します。

B4の頃からやり続けてきた研究テーマで博士号取得に至りました。一つの分野を五年間切り開いてきたわけです。自分だけが知っている分野で自分が世界の第一人者になった。狭くてニッチな領域とはいえ、知的フロンティアの開拓者となれたことに対する誇りがあります。

万能感が芽生えたのか。”何でも知っているぜ”といった無敵感が生じたのか。実際のところはその真逆です。研究を進めれば進めるほど「自分は何も知らないんだな」と実感しました。何かを知るために博士課程へ行ったはず。何も知らない卑小な存在であることを思い知らされた二年間でした。

この記事では、博士課程へ行ったら何も分かっていないことが分かった件について記します。博士進学を考えていらっしゃる方や博士課程在籍中の学生さんにピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

それでは早速始めましょう!

研究をやればやるほど研究対象への解像度が高まっていく

博士課程の早期修了を目指してがむしゃらに研究を進めていきました。指導教員から課せられた業績要件は主著論文五報の出版。二年間で五報。ハイペースでの出版に向けて日々勉強や研究を頑張ったのです。

最初は何だか得体の知れなかった研究対象。取り組む期間が長くなるにつれて心境へ変化が訪れます。テーマのことがほんの少しずつ分かるようになっていったのです。理論式の示すこと、データの有効な考察法、他の研究に対する位置づけなどが明瞭になっていきました。「解像度が高まった状態」とでも申しましょうか。研究テーマと正対したとき、テーマのことをクリアに捉えられるようになってきました。

研究対象に対する解像度は、研究室在籍最終年度のD2に頂点へと達しました。博士論文を仕上げる過程で自分が何をやってきたのかを流れで理解できたのです。研究成果ひとつひとつの持つ意味合い。成果同士の親和性とオリジナリティ。研究分野の将来展開。こうした要素を線で捉えられて、研究対象への理解が一段と深化したように感じます。

知っていることは増えた。知らないことはそれ以上に増えた

B4からD2までの五年間で執筆した筆頭論文数はのべ七報。論文出版に向けた文献調査や専門書読破の過程で専門知識をつけられました。研究室配属前と比較して、自らの知っていることは格段に増えたでしょう。頭の中身を入れ替えられたんじゃないかというレベルで知識を拡充できました。D1後期に行った就活では企業から専門性を高く評価していただけました。とある電池材料の専門家として採用されることが決まったのです。

プラスの変化に加えてマイナスの変化も経験しました。そう、『知らない』と分かった知識が増えたのです。知らないことを知らない。ソクラテスの云う「無知の知」というヤツです。

知らないことを知るためには、ある程度知識をつけなければなりません。何かを知り、知的世界へ立脚する土台ができ、そこでようやく無知の知に思い至ります。修士までは専門知識が薄かったため、”自分はこの分野のことならなんでも知っているぜ”といった全能感がありました。質疑応答でも自信満々。何でもかかってこいや!と威勢が良かった。D進して研究レベルを上げました。博士課程でより一層勉学へ励むにつれ、知識量が増えて無知の知を自覚するようになったのです。

飛び級で博士号を取っておいて申し上げるのもアレなのですが、正直な所、自分の研究についてもあまりよく分かっていません。位置づけは分かります。研究成果の詳細やオリジナリティに関する一定の理解もある。それでも何だかまだよく分からない。解像度を上げきれなかった一部分に関する理解は相変わらずおぼつかないまま。

「無知の無知」から「無知の知」へ

M2までの自分は『無知の知』を有していませんでした。どうしてあの程度の理解度や知識量で自信満々に過ごせていたのか分かりません。学士・修士時代のスライドを見返せば思わず赤面してしまいます。直したい。ロジックから全部手直ししたい。自分が作った作品とは思えない。昔はこの程度のレベルだったの?こんなひどい体たらくでよく学会で賞を取れたよなぁ。

博士課程在籍中の私には『無知の知』がありました。修士課程在学当時の自分には『無知の知』があったのでしょう。無知の無知。何も知らないことすら知らない。意識だけが髙くて能力値が低い。おそろしく無能で役立たずな状態。私が幸運だったのは、無知の無知に陥っていることを自覚できた点。理解できるはずの基礎的な学術専門書を読むうちに思い至りました。

博士課程で重要なマインドセットがあります。なるべく早く自らの『無知の無知』に気付いて『無知の知』状態へ移行することです。指導教員や周りの学生はあなたへ”勉強しなさい”などと言ってくれないでしょう。皆さんはもう二十代中盤。誰かから”勉強しろ”と言われて素直に”ハイ、分かりました!”と勉強する気にもなれませんよね。であれば、自分の変化を自ら起こしていくしかありません。無知の無知へ気付くのは自分の力で。無知の知を自覚し、どれだけ謙虚に学習を続けられるかも自分次第です。

最後に

博士課程での研究は、知識の深さと無知の広さを同時に実感できる貴重な機会。専門分野で世界的な研究を重ねるほど、むしろ自分の理解の浅さに気づかされる過程を経験しました。

研究を進めるにつれ、確かに研究対象への理解は深まっていきます。理論の本質、データの意味、研究の位置づけなど、徐々に解像度は高まっていきました。特に博士論文執筆の段階では、自身の研究成果の意義や独自性を体系的に理解できるようになったのです。しかし同時に、知れば知るほど新たな疑問が湧き上がります。B4からD2までの五年間で七報の論文を執筆して専門性が身についた一方、「自分は全然何も分かっていないな」との認識も芽生えてきたのです。

これこそがソクラテスの説く「無知の知」の真髄。博士課程での研究を通じて、自らの無知を明確に認識できる境地へと至ったのでした。博士課程で最も重要な転換点は、「無知の無知」から「無知の知」への目覚めにあるのです。誰かからの指摘を待つのではなく、自ら気づき、学び続ける姿勢が求められることでしょう。知識を得るたびに新たな課題が見えてきます。謙虚を保ち続けることこそが博士課程修了へとつながるのです。

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